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44「卑弥呼」to「日本書記」to「古事記」!!
「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」、「臺興・天豊津媛命」説!! 卑弥呼ファン集まれ!! 「卑弥呼」はここだー!! 〇卑弥呼の父(埴岡寂諦) sakurako_saku・・・・、 左横〇をクリックすると全体表示となります。次に写真をクリックで全文表示。
わらわはヒミコよー。 2.5等身は気にしてはいけなくてよー。 「ヒミコ」は名前じゃないの。
ヒメミコ--聖なる美なる永遠なる女王のことね。
使いの者が魏の国に行って「ヒメミコ様におわす」と言ったら、魏の書記官がヒミコって名前だと思っちゃっただけ。
わらわの国では名前を言わないのが掟なんだから。下の者がわらわの本当の名前を言うなんてあり得ないの。 ところであなた、倭国にいる方? あら、ニホンていうの? 倭の国はニホンと名付けられたのね、もろこし(唐土)の国から。それはいいことね。いつまでも「ワ」「ワ」言ってたらオレオレ詐欺みたいだもの。 ニホンの皆さんは、わらわの国をずっと探していらっしゃるのね。いつか、わらわを見つけてくださるかしら。?
草葉の陰--じゃなかった、陵(みささぎ)の中でお待ちしててよー。 (博多連々・はかたつれづれ)より
卑弥呼「少有見者」 卑弥呼は、病気になった。
卑弥呼は、年老いてから「らい病」という病気を患った。??
だから「少有見者」誰とも会えなくなった。
「らい病」とは、どんな病気。 「二の舞の面」 徒然草
第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に
(原文)
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて教相の人の師する僧ありけり。
気の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただおそろしく、鬼ノ顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。かかる病もある事にこそありけれ。
と今で言う「ハンセン病」(らい病)だったのでしょうかねー。
だから「山の神の面」は、「二の舞の面」と同じ。 「山の神」は、「葦原醜女命神」すなわち「阿遅須伎高日子尼命神」。
「卑弥呼」=「阿遅須伎高日子尼命神」となる。
みなさん、パソコンで「神積寺・鬼追い・写真」で検索くださいねー。
金色の羽織を着た「山の神」と呼ばれる「鬼」。
これが「卑弥呼」、魏志倭人伝「少有見者」、「女王になってから誰とも会わなかった。」ですよねー。
「阿遅須伎高日子尼命神」の名前がわかって初めて「日本書記」へと入れるのですよねー。 (これが言える。までには21年3ケ月を要しましたよねー。)
ハンセン病(ライ菌) 昔はハンセン病の治療法が確立されていなかったために、重症化する患者さんが少なくありませんでした。 たとえば、皮膚症状に加え、手足や顔に変形が起こる患者さんもいたのです。手足や顔など人目につきやすい部位に病変が起こり、さらに重症化したことが「治らない恐ろしい病気」という印象を与え、偏見や差別につながったと考えられています。