見出し画像

「卑弥呼」ファン集まれー(18)                       「邪馬台国・邑日野」説        「卑弥呼・阿遅須伎、臺興・天豊津媛命」説

参照。(1)  卑弥呼と邪馬台国  (notion.so)

 リラックス出来るお話、「ホタル」。皆さん最近「ホタル」を見ていますかー。一昨日の夕べ、柳田国男先生の生家近くの「雲津川」。この頃になると「ホタル」が出るので覗いて見た。あッーいるいる。お家へ帰って、○○ちゃん△△ちゃん「ほたる」が飛んでいるー。見に行こーッ。「うんー行く行くー」「わあー・綺麗やなー」「綺麗ー」5人で「おお喜びー!!」

画像1

 私、大変なことをしてしまいましたよねー。(写真 からたちの花)   柳田國男先生の「生誕の地」というだけで有名なのに、その上「卑弥呼」に話が重なってくるー。大変なことなのですよねー。

昔から「四神相応の地」として、「神積寺」が991年に創建され、その「神積寺」とともに「1千年」。簡単に「1千年」というけれども本当に様々なことがあり、その記録も求められますよねー。
慶芳上人が「有井堂」で文殊菩薩のお告げの夢を見て創建、と聞けば最初から「文殊菩薩」があったものと思ってしまいますよねー。しかし「文殊菩薩像」は、その作風から「湛慶・康円」鎌倉時代の「安喜門院」の頃のものですよねー。
「播磨風土記」は「丹後風土記」と比べて、「丹後風土記」は「地名」について解説の記述はないが、「播磨風土記」には、「あーだ。こーだ。」と屁理屈が多すぎるのですよねー。肝心の「奈具佐山」では、不知其由。それにも増して江戸時代の解説が、「出鱈目」。例えば、「託賀郡」耊の多い所。多駝里(多虵里)ではないのでしょうかねー。
「邑日野」は「オワチノ」じゃなく「ヒノムラ」。大山豪雨で消滅。その事実を確認し書籍化しなければ「あかぬことは・あかぬ」ものです。となるのですよねー。一方、出鱈目でもよい。「ない。」よりは「まし」と言うこと。沢庵和尚が「偽善も善のうち。」と述べていますよねー。

 この地に伝えられている「卑弥呼」とみられる。と私の考えている想像をお見せしましょうかねー。
 金色の羽織を着た「山の神」と呼ばれる「鬼」。
 これが「卑弥呼」、魏志倭人伝「少有見者」、「女王になってから誰とも会わなかった。」です。
 この「山の神」と呼ばれる「鬼」は、元々は、この地「六所宮」(祭神、六御縣座主命神・阿遅須伎高日子根命神)すなわち、神積寺の守護神へと変遷する中で、後二条天皇(1300年代)の勅により始められたもの。でこの「鬼」が存在していなければ、「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神説」は発現しなかったでしょうねー。                                                                                   竹木叢林多し 草木茂盛行不見前人とあるように田(水田)の開墾は、まだ始まっていなかった。
       人々は、危険の少ない山の尾根伝いに移動した。
       邑日野は、神前郡・多賀郡(日野邑・天一目神社がある。)
キーワードは、
       水田の開墾には、鉄器文化の普及がいる。
       美味しい食べ物、お米文化を知った経験がいる。
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
(裴松之)注…魏略曰 其俗不知正歳 四節但計春耕秋収為年紀
「魏略いわく、その習俗では正月(陰暦)を知らない。ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えるため、四節を年紀としている。」
   ※  一年を四節として数えている。
       ( 古代天皇の年齢が4分の1と短くなる。 )
「女帝 着鬼衣硝之弋 之鬼此字不禮非魏朝之」
 卑弥呼は弋の羽?(金色)の衣装で会見に臨んだので、この鬼無礼で朝見はできなかった。卑弥呼が魏へ行ったのでしょうかねー。
     〈 倭国の話をしているのに、漢文帝が入る。? 〉                     「卑弥呼」「邪馬台国」論争での「阿遅須伎高日子根命神」「天豊津媛命」説は、誰でもが入れない。深海の底にある。
 「邪馬台国」は「邑日野」となる。 住七八十年、大和葛城磯城へ移住?         私は、地元の歴史には関心があり、調べていましたが、あまり「卑弥呼」には関心がありませんでしたよねー。それより「卑弥呼」の論争には入らないとは思ってはいましたよねー。
  私は この地の貢献者の、安喜門院の和歌で「あわれりにぞ つゆのゆかりを たづねける きえにしあとに のこることのは」どこで読まれていたのかを探して続けていますと、 何と「徒然草」第62話第四十二段に「唐橋中将の子に・・・」と言う話がありました。
 えエッー。何―。「二の舞」の面。えエッー。えエッー「山の神」???
 えエッー。そしたら「阿遅須伎高日子尼命神」=「卑弥呼」と言うこと。???       えエッー。さあー大変だー。「魏志倭人伝」??

  よくよく考えて見ると「卑弥呼」の話が、結局、地元の歴史の話となり、「卑弥呼」には関心がありません。では通用しないんですよねー。     それ以上の論争には入らないと思ってはいますがねー



画像2


いいなと思ったら応援しよう!