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49卑弥呼ファン集まれ!!
「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」、「臺興・天豊津媛命」説!! 卑弥呼ファン集まれ!! 「卑弥呼」はここだー!! 〇卑弥呼の父(埴岡寂諦) sakurako_saku・・・・、 左横〇をクリックすると全体表示となります。次に写真をクリックで全文表示。
「博多連々・はかたつれづれ」の中に、「ヒミコ」は名前じゃないの。
ヒメミコ--聖なる美なる永遠なる女王のことね。とある。
「卑弥呼」は「媛神子」女の神(上)の子。 わらわの国では名前を言わないのが掟なんだから。下の者がわらわの本当の名前を言うなんてあり得ないの。
「臺興」は、「豐媛」のこと。
「邪馬台国」は「邪馬囲国」。やまに囲まれた(包まれた)国。
「神」がつくと神聖な、侵すことの出来ない清らかで尊いこと。知徳がきわめてすぐれた人「聖」その人。
このように「魏志倭人伝」をどのように読むということは勝手ではあります。がそこになんの根拠もないということは 残念ですよねー。
卑弥呼「少有見者」、卑弥呼は、病気になった。卑弥呼は、年老いてから「ハンセン病」「らい病」という病気を患った。?? だから「少有見者」誰とも会えなくなった。
徒然草 第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に
(原文)
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただおそろしく、鬼ノ顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。かかる病もある事にこそありけれ。
今で言う、「ハンセン病」だったのでしょうかねー。「後は坊のうちの人にも見えずこもりて」、この言葉が、「誰とも会わなかった。」 「山の神」=「卑弥呼」
「魏志倭人伝」に記されている「卑弥呼」「少有見者」と「誰とも会わなかった。」へと繋がったのですよねー。
この「徒然草 第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に」が存在していなければ、「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神説」は発現しなかったでしょうねー。
このここのところの「徒然草」第62話第四十二段 唐橋中将といふ人の子に!!というところがなければ、このブログは存在しませんよねー。
「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」説があるから、「日本書記」へ!!