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50「卑弥呼」ファン集まれ!!1800年目の真実の秘密。全体ビュー3921up!!
「卑弥呼・阿遅須伎高日子根命神」、「臺興・天豊津媛命」説!! 卑弥呼ファン集まれ!! 「卑弥呼」はここだー!! 〇卑弥呼の父(埴岡寂諦) sakurako_saku・・・・、 左横〇をクリックすると全体表示となります。次に写真をクリックで全文表示。
私が、「卑弥呼ファン集まれ!!」を掲載しはじめてから、今回で50回となりますー。私は「郷土の歴史」を研究しているのですが、その様々な伝承や記録は「夢を掻き立て」てくれますよねー。研究の途中に「卑弥呼」が出てきてしまったのですよねー。峯相記・播磨風土記・古事記・日本書紀・徒然草・増鏡。その他等々々と、数多くの地元の伝承。
この地は「卑弥呼」とは、全く縁のない話であるとは感じていたのですが、「卑弥呼・臺興」が、この地の歴史の中に含まれるということー?。
文殊祭礼絵馬(文殊堂)
私は この「文殊祭礼絵馬」写真を最初に見たのは、20年程前、近くの神崎郡歴史民俗資料館での何かの催しの時に初めて目にしましたよねー。
詳しく見てみると、絵馬の中に「六所宮」の幟が掲げてあるのが見えましたよねー。
ええー。こんなところに「六所宮」があったのー。神積寺の守護神となっているのー。
神崎郡福崎町西田原588番地に「宮田」と呼ばれる田があり、柱の礎石(H80cm径5~60cm石の礎石)が最近まで残っていた。古図には、神社用地1坪と記されいる。北野元宮と呼んでいる所は、一番最初の「六所宮」ー。祭神は「六御縣座主命神」(神崎郡誌)すなわち「阿遅須伎高日子尼命神」?。
播磨六寺に追儺式(鬼追い)の勅命があった。(1302年後二条天皇の勅)
迦毛大神の「鬼の面」(山の神)を作って追儺式をやった。
これが行われていなければ「卑弥呼」が出てきてなかったですよねー。
この地は「卑弥呼」とは、全く縁のない話であると感じていたのですが、「卑弥呼・臺興」が、この地の歴史の中に含まれるということー?。
絵馬の中「六所宮」。 「鬼の面」(山の神)を作っての「追儺式」 「卑弥呼」の入り口となるのですよねー。 「播磨風土記」 「所以云邑曰野者 阿遲須伎高日古尼命神 在於新次社 造神宮於北野之時 意保和知苅廻爲院 故名邑曰野」 「六所宮」あたらしいみやをつくりすんだ。
風が吹けば 桶屋が儲かるのか?
現実においては真っ白も真っ黒もなく。すべては灰色で、そこに濃淡があるだけです。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺がありますが、この場合はどうでしょうか。風が吹けば埃が立つ。埃が立つと目を患う人が多くなる。すると目が見えない人が多くなる。目が見えなくなった人の中から三味線弾きが出る。三味線弾きが多くなると三味線の需要が増える。三味線の皮は猫のものなので猫の需要増える。町から猫が少なくなる。するとネズミが増える。増えたネズミは風呂桶をかじる。だから桶屋が儲かる・・・。ちゃんとした論理です。
藤原正彦「国家の品格」39頁より
みなさん、この「卑弥呼ファン集まれ!!」は、何を言っているのか、聞こえにくいですよねー!!
「卑弥呼」「少有権者」・「唐橋中将の子に・らい病・誰とも会わなかった、二の舞の面」・「山の神の面・神積寺守護神」・「六所宮・六御縣座主命神(神崎郡誌)」・「六所宮・在新次社」・「阿遅須伎高日子根命神、邑日野」