継体天皇の考察⑧（伝承の信憑性）

　前回の最後に書いた通り、ここでは継体天皇にまつわる越前における数々の伝承について、その信憑性について調べたことを書いてみます。ネットを検索しまくったところ、カギとなりそうな２つの情報を得ることができたので紹介します。

　ひとつめは「一乗学アカデミー　歩けお老爺　(archaeology＝考古学)　の備忘録」というブログにある「味真野の継体伝説（世阿弥、足羽敬明の功罪）」という記事です。ここには私と同様の疑問を抱いたブログ作者の考えが掲載されているので、少し長くなりますが一部をここに引用させていただきます。（読みやすいように引用者にて改行や太字の設定などを施しました。）

　“歩けお老爺”は、継体天皇の擁立が『古事記』の言う「近江国から」なのか、『日本書紀』で言う「越前国坂井（高向郷）の三国から」なのか判断出来ないでいる。

滋賀県高島市の鴨稲荷山古墳石棺と福井県坂井市牛ヶ島古墳石棺などを比較すると、擁立基盤としては滋賀県の方が優位と想われる。
ここでは継体天皇が越前市味真野に潜龍していたという歴史事実でもない伝承が、まことしやかに地元に根付いていることについて、探ってみたい。

①越前国“現在の味真野地域”は、奈良時代から罪ある中央貴族の配流（近流）の地に定められていた。

②桑田忠親氏は、「世阿弥は、永享６年（1434）72歳の高齢で若狭小浜から佐渡へ配流された。『金島集』には、5月4日、都を出て、次日若州小浜といふ泊りにつきぬ。こゝは先年も見たりし所なれども、（中略）身のわかさ路と見えしものを、いまは老の後瀬山、（後略）とあり、若き日の思い出のある小浜港から罪人として舟出した。
また、赦されて帰洛する際も舟路を利用したが、一説によると、白山禅定を試みたともいう。しかし、70数歳の老体のことだから、登山したとも思われない」（桑田忠親『世阿弥と利休』改訂増補版　至文堂　昭和53年5月20日）と述べられている。
　世阿弥元清は、『日本書紀』の継体天皇記事をテーマにした恋慕の狂乱物の謡曲「花筐(はながたみ)」を創作しており、越前市には能面製作の府中出目家もあるので、帰路、味真野に立ち寄ったかもしれない。
　『花筐』は「これは越前の国味真野と申す所御座候。大迹邊(おほあとべ)の皇子に仕へ申す者････」から始まり、「照日の前と申す御方、このほど御暇にて御里に御座候････」と展開していく。
大迹邊の皇子が越前に御滞留中、寵愛を受けていた照日の前（日本書記では不詳）が都へ狂い出で、紅葉の御幸の御前で真情を認められるという筋である。

“歩けお老爺”は「世阿弥は、万葉集に詠われた貴種配流地味真野を舞台に、『日本書紀』の継体天皇を題材にして、謡曲『花筐』を新作した」と考えている。

③佐久高士氏は「武生市味真野地方は皇子の居住地と伝え、同地区一体（帯）には、皇子に関する史蹟として、各種各様の標柱が建てられているが、怪しいものばかりである。皇子に関していろいろの伝説の元を作った人は、足羽敬明（もりあき）という近世中期に生まれた足羽神社の神主である。この人は『足羽社記略』という書物を書いて、越前の産業・神社・山嶽・用水・郷荘等、総てを男大迹皇子とその皇子皇女とに結びつけて、越前一国が全く皇子一家の創造物であることを思わせ、その皇子を祀ってある足羽神社への祟敬の念を高しめようと計ったのである」（郷土史物語『福井の歴史』世界書院　昭和42年４月10日）と、「足羽社記略」の功罪について言及され、
杉原丈夫氏も「足羽神社の神主牧田（足羽）敬明が享保２年（1717）に著作した『足羽社記略』は、『越前国名蹟考』をはじめ郷土の地誌に引用され、それがさらに明治以降郡誌や町村誌に転載されて、彼のでたらめな考証が、無批判的に郷土の人々に信じられるという結果になっている。その罪軽からずといわねばならない。故に本叢書ではこの書を、地誌そのものの価値によってではなく、安易な考証に対する批判資料として収載した」（『越前若狭地誌叢書』続巻。松見文庫　昭和52年７月）と、「足羽社記略」の解題で述べている。

　以上のことから、味真野地区には多くの継体伝説が色濃く根づくことになったのである。

【ａ檜尾谷は、檜隈高田皇子＝宣化天皇が住んだ所。　ｂ檜隈高田皇子が愛した奇石＝隈石。　ｃ継体天皇他10の神々を祀る味真野神社（明治41年、五分市から池泉に移る）。継体天皇潜龍碑。　ｄ昔、勾の里と呼ばれていた上真柄は、勾大兄皇子（安閑天皇）から付けられた。　ｅ継体天皇が腰掛けたという「月見石」。　ｆ檜隈が訛った徳間は、檜隈皇子（宣化天皇）の誕生地。　ｇ文室は、男大迹皇子が学問所を建てられたことから付けられた。　ｈ五皇神社は、継体天皇が土地の豪族大和田卿を遣わし神主とした。　ｉ帆山・池泉・城福寺の花筐桜。粟田部の薄墨桜。　ｊ継体天皇は、二人の皇子を連れて日野山に登られた。　ｋ男大迹皇子は、愛馬が宇津保の舞でまぐさを食べるようになったので宇津保万歳（＝野大坪万歳、越前万歳と名付けた）等々】。　（引用おわり）

　この記事が伝えようとしていることは、世阿弥の著した「花筐」と、足羽神社の神官である足羽敬明の著した「足羽社記略」によって越前における継体天皇にまつわる伝承が生まれて定着していった、ということだと思います。「花筐」についてはあらすじを確認しましたが「足羽社記略」については確認できませんでした。しかしながら私は「一乗学アカデミー」の記事を読んで、おおむね納得することができました。

　継体天皇にまつわる越前伝承は大きく分けるとふたつです。ひとつは越前平野の治水とその後の産業奨励に関する伝承、もうひとつは継体が過ごしたとされる味真野地区に残る伝承です。ふたつめの味真野伝承については「一乗学アカデミー」の記事の通りだろうと思うのですが、実は治水伝承について腑に落ちないことがあって、さらに調べてみることにしました。

　「『福井県史』通史編1　原始・古代」によると、継体天皇進出のエネルギー源として、少なくとも四つの要素を考えることができるとして、その第一の要素に米を主体とする農業を挙げています。以下に引用します。

越前における継体天皇伝説は非常に多いが、その大部分は治水に結びついたものである。そのすべてを荒唐無稽と退けることは、かえって歴史の実情から遠ざかることになるであろう。それは五世紀末ごろにおける九頭竜川水系における農業の発展を反映するものではなかったか。技術革新が進行すると、元来肥沃な越前平野の生産力は飛躍的に増大していったに違いない。

　　表9　『弘仁式』『延喜式』にみえる公出挙稲

　　注1 『弘仁式』主税上は断簡による前欠のため、畿内・東海道の諸国および近江国の数値は不明である。したがってそれら以外の確認できる国を多い順に列挙した。
　　注2 『延喜式』の越前国は1,028,000束、加賀国は 686,000束である。

表９に示すのは、『弘仁式』ならびに『延喜式』主税上に記されている公出挙稲の数値である。もとより米の総収穫量を示すものではないが、まったく無関係とも考えられない。『弘仁式』において越前（加賀を含む）の出挙稲数値は、陸奥・肥後・上野についで全国第四位である。『延喜式』においては越前・加賀に分かれているが、もしこれを合算するならば全国第二位となる。これらは平安時代の史料であるが、六世紀ごろの実情をまったく反映していないとも考えられない。陸奥・肥後などはおそらく律令制以後の発展が顕著であろうから、古墳時代後期ごろには越前の米生産力が全国一であった可能性さえ否定しえないのである。（引用おわり）

　文中にも書かれていますが、ここに示された弘仁式は9世紀初めに制定されたものであるから継体天皇の時代から約300年後ということになります。また、弘仁式における越前には加賀を含んでいるため、延喜式にある越前と加賀の比率を適用して弘仁式での越前分を算出すると約657,000束となり、取り立てて大きな数字にはなりません。さらにはこの表には畿内・東海道諸国・近江が含まれていません。この3点を考慮したときに「古墳時代後期ごろには越前の米生産力が全国一であった可能性さえ否定しえない」とまで言えるのでしょうか。
　弥生時代から古墳時代に入って有力な豪族が自らの勢力地の統治体制を確立していく過程で、治水や開墾など地域開発の事業が行われたことは事実だと思いますし、その結果として米の生産量がアップしたことも事実でしょう。しかし、越前が全国一の生産力であった可能性にまで言及するのは少し飛躍が過ぎるように思うのですが、いかがでしょうか。

　ただ、各地の有力豪族が自国の開発を進めていたころ、越前には男大迹王が暮らしていた。その男大迹王が越前平野の開発に関与していたことを否定する史料は何もないのですが、一方で男大迹王による事績であることを裏付ける史料はあるのでしょうか。先に見た『福井市史 通史編』には、足羽神社など地元の神社の神社明細帳に治水伝承の記載があるとしているのですが、神社明細帳は明治時代になってから社格を決めるために作成されたものであるので、伝承を裏付ける史料とはなり得ません。それこそ、先述の「足羽社記略」をもとに広がった伝承が神社明細帳に記されることになったと考えるべきでしょう。

　さらに、一般社団法人・農業農村整備情報総合センターによる「水土の礎」というサイトにある「千年の悲願　九頭竜川の用水」には「『続日本記』では、古代、この平野は大きな湖でしたが、継体天皇が三国の岩山を切り裂いて湖の水を海へ流すことにより田畑を開いたとあります。」という記述を見つけることができます。しかし、私の読み方が不十分なのかもしれませんが、「続日本紀」にはそのような記述が見当たらないのです。記述がないとすれば、どうしてこのように書かれるのでしょうか。

　ここでも登場するのが「足羽社記略」を著した足羽敬明です。彼は「続日本紀故事考」という書も著しているようなのです。この書も内容を確認することはかないませんが、「千年の悲願　九頭竜川の用水」に書かれている内容は「続日本紀」ではなく「続日本紀故事考」のことを指しているのではないでしょうか。足羽敬明はこの書でも、あることないことを書き連ねたことが想像できます。私は、継体天皇を祭神として足羽神社の格をあげるために「足羽社記略」や「続日本紀故事考」を著し、継体天皇を越前の英雄として描いたのではないかと考えるのです。そしてこの話が地元に定着、あるいは他の地域にも広がっていき、いつしか事実のように語られるようになったのでしょう。

　とは言え、火のないところに煙は立たないので、越前の発展に男大迹王の貢献はあったのだろうと思います。しかし、それにしてもこれだけの事業を男大迹王の力だけで成し遂げることができたのでしょうか。そのために、第一に必要となるのが資本力。ほかに技術力と労働力（動員力）、加えて道具類の生産・調達力なども必要となります。幼少期に近江から越前に移った男大迹王は誰かのバックアップなしにはこの事業をなしえなかったはず。それは、おそらく母の出自である江沼氏あるいは三尾氏・三国氏ということになるのでしょう。なかでも最も有力であった三国氏によるところが大きかったと考えられます。

　男大迹王は三国氏の協力なしには越前を治めることが叶わなかった。そして、継体天皇としての即位は三国氏の存在抜きには語ることができない。これが三国氏が八色の姓で「真人」を与えられた最大の理由ではないかと思うのです。
　武烈天皇が崩御して皇位継承者が不在となったとき、大連の大伴金村、物部麁鹿火、大臣の許勢男人の3人が次の天皇を決めるとき、「男大迹王は慈しみや仁愛があって孝順だ。皇位を引き継ぐべきだ。願わくば、ねんごろに進めて帝業を受け継ぎ、国を盛んにしていこう」「傍系の中から吟味して選ぶに、賢者はただ男大迹王だけだ」 と話し合いました。男大迹王は三国氏の力をバックに越前を治め、様々な施策によって大いに発展させました。そして、この実績が中央まで聞こえていたのです。

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　さて、以上で「継体天皇の考察」を終わりにします。継体の出自について父方、母方の両方の系譜から迫り、その背後に三国氏や息長氏という豪族の存在が確認できました。そして継体にまつわる様々な伝承、とくに越前での伝承がどのようにしてできあがったのかも考えてみました。どこまで行っても想像の域を出ませんが、私なりに納得のいくところにたどり着くことができました。
　
　実は今年の3月、このような仮説を従えて継体の故郷である近江や越前を巡る古代史実地踏査ツアーを計画していました。残念ながらコロナ禍によって中止を余儀なくされたのですが、最終回の次回はそのツアーの概要を紹介したいと思います。加えて、ここまでの論証において参考にした主な文献を紹介して終わりにしようと思います。