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銅鐸埋納との関係でもうひとつ確認しておきたいのが高地性集落である。寺沢薫氏によると高地…
ムラからクニへ、そしてクニどうしの連合や統合が進み、農耕祭祀や武威発揚祭祀を廃して首長…
「聞く銅鐸」による農耕祭祀を行っていたムラの統合が進んでクニへと発展していく過程で、あ…
弥生中期末から後期初頭にかけて古い銅鐸が埋納され、その後、弥生後期後半に新しい銅鐸が埋…
銅鐸は道路工事などの開発に伴って偶然に発見される場合がほとんどであったが、最近になって…
銅鐸の型式の変化との関連でその用途について考えてみたい。弥生時代中期前半に朝鮮半島から伝わった朝鮮式小銅鐸は高さが数センチから10センチ程度で吊り手としての鈕がつき、さらに音を鳴らすための舌もついている。そしてこの朝鮮式小銅鐸をモデルに国内で作られた小銅鐸あるいはその後に大型化していく銅鐸には文様が施されるようになる。
銅鐸の祖型である朝鮮式小銅鐸には文様が描かれていないが、それが日本に伝わって以降、国内…
銅鐸を学ぶにあたっての基本知識として押さえておかなければならないのが、佐原真氏が提唱した…
銅鐸は銅剣や銅矛などと同じ青銅器のひとつで、青銅とは銅と錫と鉛の合金のことを言う。その…
国立歴史民俗博物館が発行する「歴博」の第121号の「銅鐸の世界」には「中国では、銅鈴は390…
謎の青銅器「銅鐸」について勉強をしてきました。大和政権成立のプロセスを自分なりに解き明…