媚を売る演劇、というのが実態なのではないだろうか。

先日、私の主宰する劇団Яeality第8回公演で演出助手を務めてくれた川部瑠夏くんとTwitterでお話しました。
様々な理由で媚を売らなければならない。けどそれって演劇的価値の提供になってるの?というお話です。

以下の私のツイートの引用は全て川部くんとのやりとりです。
全貌を見たい方はTwitterへお願いします!

お客様へ演劇を提供するのではなく媚を売ってるだけなのではないか

演劇、特に小劇場はさらに大きな舞台(もしくはテレビなど)に出演するための踏み台になっていると感じます。
それは悪いことではないし、実際有名になって芸能で生きていくことを夢見る人は多いと思う。
チャンスを掴む、という点では優れている点とすら感じます。

しかし、「お客様に演劇を観てもらう」ことより「自分の価値を高める」ことが優位になっているのではないか
もちろん、自分が売れることはある種の正義ではあるし、絶対的に悪だとは思いません。それがモチベーションになることもあるし、実際とても良いお芝居をする人もいる。

ただ、「自分の価値を高める」ことがあまりにも肥大化してしまうと、演劇的価値である体験や感動の前に「いかにお客様に気に入ってもらって次の舞台に来てもらえるか」が勝負になる。

お客様を呼べる役者は正義です。
呼ばないと何も始まらないし、実際チケットノルマがあったり呼べる人数によってギャラが決まったりする。

ただ、そうなるとお客様は「推しを観にいく」ことになって
「演劇を楽しんでもらっている」というのはどうなのかなぁ、と思ってしまうんです。

演劇の面白さってなんだと思いますか?
これは全員異なっても良いと思っているのですが
物語性・臨場感・一体感・目撃している感じ・推しが目の前にいる……
多分演劇が好きな人って、こういう要素のうちいくつかを掛け合わせて観ていると思うんです。

これは以前書いた私のnoteなのですが、
この中の「推しが目の前にいる」というのが少々厄介でして。

推しがいることはすごく良いことだし、推してくれて応援してくれるのはありがたいことです。
けど、「この人は必ず自分にリプ返してくれるから好き」「顔面が好み」というのは、役者的にはどう思ってるんだろう?って私は感じちゃう。

ただ、どんな理由であれ自分の舞台に来てくれるお客様は大切。
私は否定するつもりはないし、むしろ今の演劇界は推しがいるお客様のおかげで成り立っていると思う。

本当にありがとうございます、どうぞこれからもあなたの推しを推してください!!!!!!

ただ、媚を売るのは役者のメインの仕事かと聞かれるとそうではない。
でも、媚を売り続けるしかないんです。だってそうしないと自分の目標が達成できない。実力があっても推してくれる人がいないと評価されない。役者にとってお客様はとっても大切。それは自分を観てくれるという意味でも、自分をもっと成長させる為にも。

媚を売るっていうのは言葉が悪いけど、推してくれる人がいないと何もできないのが役者なのです。

媚を売らざるを得ないのは、個人主義が過ぎているからだと思う

「お客様を呼べる役者が正義」なら、当然Twitterも頑張るしインスタも更新するしリプが来たら返すしいいねもするし劇場で面会したらお礼を伝える。
お客様を呼べる役者を使って劇団は利益を上げる。これは正直どんなエンタメや芸術でもそうなのでは?とは思います。

ただ、演劇って個人じゃできないんです。
一人芝居でも裏方は絶対にいる。
そんな時「自分の価値を高める」ことを一番とした役者ばかりが集まったら、良い芝居は提供できるの?って思うんです。

良い芝居っていうのは、感動だとか何かについて考えるだとか、夢や希望をもらえたとかそういうの。
推しが可愛いだけでも感動するし、夢や希望や生きる糧をもらえると思います。ってかもらえる。推しは生きているだけで尊い。(合掌)

でも、推し個人からじゃなくて作品として感動などをしてもらうには、やっぱり個人主義じゃいけないと思うんです。

演劇は集団で行うもの。それは役者だけでなくスタッフ含めて。
セリフが一つもない役でも、必要だからその場にいて、舞台にいる意味は確実にある。

けれど、評価はお客様の数。
無名で、どんなに素晴らしい演技をしてもお客様を呼べなかったら舞台に呼んでもらえない。
役者として良いと思っても、お客様が呼べないなら使われない。
これって大きな損失だと思いませんか?

個人主義がいき過ぎて、この人がいれば作品のクオリティが上がるのに評価されないというのは、ひいては「自分が目立たなければ」という役者が増えて演劇そのものの価値が薄くなる。
そんなことを懸念しています。

「劇団」としての価値を追求しないと物語を届けにくくなる?

昨今、プロジェクト型公演が増えて劇団としての形の公演はそんなに増えていないと感じます。
私が主宰する劇団Яealityでも、第8回は全員客演(劇団員ではない人の出演)でした。そのほかの公演も劇団員より客演の方が多い公演ばかり。

これって、様々なズレが起きるんです。
劇団員は、どちらかというと本来の演劇的価値(感動だとか)を届ける為にどうしたらいいか、積極的に考えてくれます。
けれど客演はそうじゃない。お客様にどれほど観てもらえるかが勝負。
もちろん全員が全員じゃないけれど(Яealityの特性として学生劇団だからかあんまりいなかった、小劇場で生き抜こうとしている人が少なかった)、やっぱり意識の差としては大きいと思う。

となると、劇団側が伝えたい物語はちゃんと伝わるのか?
どうしても媚を売らないと、覚えてもらって推しにしてもらわないといけない役者と、劇団として頑張りたい役者。
ここだけでまとまらないってのはあるんだと思う。

私は「劇団として推してもらいたい」と常々思っているんだけど、どうもうまく行かない。
それは私たちに実力がないからだと言われれば反論できないけれど
でもこの状況で劇団のファンとはなんぞや?とも思ってしまう。

公演につき何人かは「〇〇さん目当てで観に来たけれど、作品の系統が好きなので次回公演も行きますね」とおっしゃってくださる方がいます。実際来てくれる。ありがたい。

でもそれって、役者が劇団のやりたいこと(脚本とか演出とか)をしっかり表現してくれないと起きない話。
その為に作品にコミットしたいけれど、客演はお客様に覚えてもらわないといけない(以下ループ)。

これを打開する為には、「劇団」としての価値を高めないといけないと思うんです。
お客様を呼べる役者は、劇団側からしてもありがたい存在です。
だって売れる目安があるんだもん。
ただ、「お客様を呼べる役者」と「作品のクオリティを上げる役者」は別でいなければいけないと思う。
そして、作品のクオリティを上げる役者を劇団員にして
「この劇団は面白いから応援したい」と思ってもらわないと推してはくれない。

「劇団」としての価値を追求しないと、いつまでも媚を売り続けなきゃいけない。
今、劇団を持っていたり入っている人は「劇団の価値」を見直さなきゃいけないと感じています。

自戒含め。

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香西姫乃|合同会社舞台裏代表
いただいたお金は!!!全て舞台裏のためのお金にします!!!!殺人鬼もびっくり☆真っ赤っかな帳簿からの脱却を目指して……!!!