見出し画像

『神社に神様がいる、いない問題』について物申す! 〜小網神社〜


『神社に神様がいる、いない問題』について物申す!

今、話題沸騰中の東京の神社といえば、品川区に鎮座する蛇窪神社ですが!!
こちらの小網神社も、随分前から最強のパワースポット・強運厄除の神として注目されていたようで、街中にあるとても小さな神社なのに、境内からはみ出るほどの長い参拝の列ができ、その中には外国人の姿もありました。

え、なんでこんなことになってるの?!
何かの作品の聖地になっているのか、誰か有名人がおすすめしているのか、今日が特別な日だったりするのかな??
何の情報もなく来てしまったわたし・・・。
こんなことは滅多にないので、とりあえず列に並びながらも「???」が止まりませんでした(笑)

小網こあみ神社

所在地

東京都中央区日本橋小網町16-23

御祭神

倉稲魂神
市杵島比賣神
福禄寿 他

御由緒

武蔵国豊島郡入江のあたりに萬福庵という観世音と弁財天とを安置する庵がありました。この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられています。開基の年代は明らかではありませんが、恵心僧都の歴史を考えれば、今からおよそ一千年前ということになります。

文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。
そんな中、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。
ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。
すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。

領主・太田持資公(道灌)も、この御神徳を聞き、折に触れて、当神社を詣でました。
そして土地を寄附し、小網山稲荷院萬福寿寺と名づけたと伝えられています。
慶長年間(西暦1596~1615年)には、これらにちなみ周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。

明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年7月5日、村社に指定されました。
現社殿・神楽殿は、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門により、昭和4年に造営されました。
その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の戦前の木造神社建築となっています。
特に、向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は見事なもので、「強運厄除の龍」として拝されています。
戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となりました。社殿・神楽 殿などは現在、中央区の文化財に登録されています。

小網神社 公式サイト

どうしてこんなに人が集まっているのか氣になって調べてみると、とある有名な占い師と神社ソムリエだという方が、「ここは本物」、「本当に神様がいる」的なことを言ったことにより、最強のパワースポットとして有名になったらしいのです。
へぇ〜〜〜〜〜。そりゃ、すごい効果だな(笑)

小網神社には、アイドル声優時代のお友達と一緒に近くでランチをしてから向かいました♪
お友達は、いろいろな川の河口付近にある神社を探すというなかなか面白い目の付け所をしていて、小網神社は日本橋川と隅田川の合流地点にあるため氣になっていたそうです。

わたしが小網神社を知ったのは、鮮やかな龍の御朱印帳をネットで目にしてからだったと思います。
後ほど、その御朱印帳も紹介しますね。
やたらとシンクロするなぁ・・・とは思っていたけれど、これほどの人氣ですから、当然のことながらSNSにもたくさんの人が投稿していたのでしょうね。
そんなわけで、二人が氣になっていた小網神社に行ってみよう!ということになったのでした。

福禄寿

人が多すぎ、距離が近すぎて、拝殿の写真が上手く撮れませんでした・・・。
なのですみません、いきなり福禄寿さんです(笑)
小網神社の福禄寿は、健康長寿の御利益とともに、さまざまな徳を授ける神様として、日本橋七福神の一柱に数えられています。

銭洗いの井

境内には、金銭を洗い清めて財布などに収めておくと財運を授かるという銭洗いの井があることから、東京銭洗い弁天とも呼ばれているそうです。
わたしはこういう場所で清めたお金は、お財布に残すことなく、「綺麗なエネルギーよ、回れ〜」って感じで全部すぐに使ってしまいます(笑)

当神社の弁財天は、同じ境内にあった恵心僧都の開基と伝えられる萬福寿寺に安置されていた弁財天で、明治初年の神仏分離令により神社と寺院は分離しましたが、その後、寺院の方は廃絶してしまったそうです。
また、こちらの弁財天像は舟に乗られているため、萬福舟乗弁財天と称されています。
その弁財天像は、おそらくこの銭洗いの井の並びにおられたようです・・・氣がつかなかったよ(笑)

御朱印帳と御朱印

とにかく、コンパクトな境内の中にめちゃくちゃ人がいるので、何がなんだかよくわからぬうちに参拝が終了しました〜!(笑)
小網神社という社名よりも先に、わたしがネットやSNSで度々目にしていたのがこちらの龍の御朱印帳です。
ステンドグラスのような鮮やかなデザインで、龍や雲、波が描かれ、色合いもグラデーションになっていてとても美しいですよね。
どこかこう、南国のようなポリネシアンっぽい雰囲氣も感じられるし。
表面は凹凸があって少しボコボコしています。
巳年である今年は、白蛇デザインの御朱印帳や喜利絵御朱印も頒布されていますよ!

小網神社では、意図せずミミズク(仁徳天皇?)のピースを回収できましたけど、神社から隅田川を下って行った先にある晴海の桟橋にもミミズクのピースがあったんですよねぇ。
わたしの実家は船に関わる仕事(漁師ではない)ですから、父は漁業組合の関係で佃島の住吉神社に参拝しているそうなんです。
この話はついこの間、初めて聞いたんですけどね(笑)
大阪のすみよっさん(住吉大社)にも、仁徳天皇が大きく関わっていますしね。
春頃には岡山での神事が決まりましたし、仁徳天皇はそこでも重要なキーを握っているので、今後もミミズクを追って行こうと思います。

本当の神様の居場所

さて、本題です。『神社に神様がいる、いない問題』について。

わたしの場合ですが、日本全国どのような神社に行ったとしても、『神様がいる、いない』、『御利益がある、ない』という判断をしたことはありません。
参拝に対して、そもそもそのような概念を持っていません。
それはなぜか?と言いますと、どうでもいいからです。
そうは言っても、やはりエネルギー的に合う、合わないはありますし、ここすげぇ!、ここやべぇ!っていうのもあるけれど、それはあくまでわたしの主観ですからね。

実際に、「すっごいパワースポットに行って来たし、わたしのお願い事も叶っちゃうかも?!わくわくっ♪」みたいな前向きな氣持ちが幸運を引き寄せることはよくあることだと思います。
それはそれで全然いいと思う!(笑)
わたしも神社の特色をわかりやすくお伝えするために『〇〇のパワースポット』と紹介をすることもよくありますし、神社さんも今時に合わせて観光地化しアピールして人を呼び込むことも、神社を存続させていくためには必要なことだと思います。

しかし、この神社には神様がいるとかいないとか、そういうことを安易に発言する霊能者や占い師もいますよね。
目に見えず証明できないものに対して、「好き放題言うよねー。」と、わたしはちょっと冷ややかな目で見てしまいます。
基本的にわたしは、神様や龍などの姿が視える、話ができる系の霊能者の方を簡単に信用することはありません。
どんなに有名で成功されている方であっても、人々からすごいと称賛されている方でもね。
わたしが信じるのは、実際に対面しお話をして、自分の感覚や知識、経験、ピースなどとしっかり擦り合わせたをした上で「この人は本当のことを言っている」と感じられた人だけです。
わたし自身がそういう霊能者だと思われている方もいるかもしれませんが・・・、いえいえ、わたしは全然ふつうのヒトですからね!(笑)

この『神様がいる、いない問題』について、個人的な結論を先に申しますと・・・
そこに神様がいないと思うのは、その人の中に本当の『神』がいないから。
だと思うのですよ。
特に神事をするわけでもないのなら、そんなことはまったく氣にする必要ないと思います。

だって、何を根拠に言っているのでしょうか。
いると感じるのも、いないと感じるのも、それはその人の感覚でしかありませんよね?
その人が見たり、聞いたりしているものが、真実であるという確証はどこにもなく、その人がどの次元のどのような存在と繋がり、それを神と認識しているのかもわかりません。

だからスピリチュアルって怖いですよね。
「視える」とか「聴こえる」とか、「感じる」と言えばいいだけですから。
何の証拠がなくとも、その言葉を信じる人にとってはそれが真実になるわけですから。
霊能力があるから成功者だからと言って、その人の霊格の高さとは比例しないし、繋がっている先が神と呼べるほどの高次元の存在かどうかもわからない。
低級霊だって霊力があります、力があります、お金や人の氣を集めることだってできますよ。

そのような発言をする人は、神様の何を知っているのでしょう?
名前のある実在した人物の英霊を神格化した神様のことを言っているのなら、嘘にまみれた記紀の中で彼ら神様たちの正しい歴史を見つけられるのかしら。
神様の名前には世襲みたいなものだったり、総称みたいなもので個人の特定が難しかったり、記紀では男神として書かれているけど実は女神だったり、その逆もあるし、日本の神様かと思いきや、同一とされている外国の神様がたくさんいたりもするから、土着なのか渡来なのかとか・・・
だから、神様の姿が見えて話ができるのなら、是非とも教えていただきたい。
誰も解き明かしたことのない、神のみぞ知る本当の姿と歴史、そして真実を。

それとも、いわゆる土地神様のような土地や物に宿っているものだったり、自然に宿る神や宇宙から降りてきたもの、場のエネルギーそのもののことを言っているのかしら。
もっと根源的な神の話をしているのなら、神は名もなき大いなるエネルギー、それは万物に宿り、空間にも宿っている。
日本の八百万の神の考え方はまさにそれで、神には八百万のお働きがあって、わたし達も神の分霊である。神道はもともと自然信仰だ。
そして、時は過去も未来もなくすべて同じところにあって繋がっているのだから、“今”はここに神がいるとか、いないとか、何の話をしているのかな?って思う。

そういう神様のことじゃなければ、なにか低級な霊の話ではないのかしら??
霊能力者がチャネリングして、人の言葉をぺらぺらと喋る霊のほとんどは高級霊ではないとわたしは思っているけれど。
わたしとは繋がっている次元や見ている世界が違うのかもしれないけれど、個人的にはそのように捉えております。

こういう話を聞いて、いちいちムッとしてしまう辺り、まだまだわたしは未熟者であることを重々承知していますが。
それでも、大好きな神様たちのことをそんな風に言われるのは嫌です。
「ここは本物、本当に神様がいる」ということは、言い換えれば、「神様がいない神社もある」ということにもなります。

皆さんには、お世話になったと感じる神社や神様はおりますか?
たとえば、子どもの頃によく遊んだ神社、七五三や成人式など人生の大事な節目を見守ってくれた神社、悲しいことや辛いことがあった時に心に寄り添ってくれた神社だったり・・・。
たとえ、霊感がなかったとしても、神様の存在を感じる瞬間ってなかったですか?
そんな思い出のある神社に「そこに神様なんていないよ。」などと言われたらどうでしょう?
神様と過ごした時間は嘘になりますか・・・?
神様との繋がり方は人それぞれでいいと思うのですよね。

そもそも失礼じゃないでしょうか。
神社を後世に残すために日々奉仕し大切に管理している人達に対して、昔から土地神を大切に信仰している人達に対して、何より神様に対してとても失礼だと思う。
自分勝手にそこにあるものを否定して、歴史を否定して・・・そんな人が神様に愛されるのだろうか?

血で血を洗うような残酷な氏族間争いの末に、神社を残すため、神の名を残すために、人々がどれだけの苦労と努力を重ねて守ってきたか・・・。
神社はレイラインとか星の配置とか目印のようにエネルギースポットに立てられていたり、御神体や神域の入口にある遥拝所になっていたり、鎮魂のためにあったり、封印のためにあったり、鬼門守護のためにあったり。いろいろだから。
神の系譜は血筋で受け継いでいるものもあれば、霊統で繋いでいるものもあるわけだよ。
日本人であるならば、どこかしらの神社に祀られている名のある神様があなたの先祖になるわけです。

実際に、パワースポットだと持て囃されているような場所は、人の雑念や低級霊によって穢れていることも多く、そこでお志事をして帰って来ると、パワーをもらうどころか逆にどっと疲れていたりします。
一応、ある程度の耐性はあるので、体調を崩したり、運氣に影響するとまではいきませんが、一日中ひたすら眠かったり、肌が荒れしたりします。好転反応ではなくてね。
ちょっと神域を綺麗にして帰ると、神様は「ありがとう」と言ってくれる。
人里から離れた廃れた神社の神様だって、「こんな遠いところまでありがとう」と言ってくれるよ。
だから、神様がいるとかいないとか、ご利益があるとかないとか、パワースポットとかそうじゃないとか、わたしとしては一番『どうでもいいこと』なんですよね。
ご縁があって呼ばれたらどこへだって行く。そこで自分の役割を果たす。
神社仏閣で個人的な願掛けはしない。
神様とのやり取りはそういうことじゃない。

それでも証明できる。
わたしの生活は物質的にも精神的にも豊かに潤い、身も心も健康で幸せであること。
去年より今年、年を重ねる毎に確実にレベルアップしていること。
それはすべて神様のお陰であること。
だけど、神様に願いを叶えてもらったからじゃない。これは矛盾のように見えて矛盾ではない。

御利益がある、神様がいる、龍神がいるとか言われているところに行って、「自分の願いが叶えばそれでいい」という人はそれでいいと思います。
でも、本質的にそれは何か“違う”と感じている人は、そういうスピリチュアルな能力があるという人の言葉に惑わされないで欲しいです。
まだまだわたしも未熟者ですけれども、神様に対してそんな風にジャッジしているうちは、神へと還るまでの道はまだまだ遠いと思っていいでしょう。
それは、神様に何かして欲しいと思うから生まれる発想なんですよね。

もう一度はっきり言うよ。
そこに神様がいないと思うのは、その人の中に『神』がいないからだ。
自分の中に神がいれば、本当はみんないるんだけれども、本当の自分を見つけて生きていれば、どこに神がいるとかいないとかそんなことは氣にする必要もないはずだ。
本来は神社仏閣じゃなくても、別にどこで祈ったっていいんだから。

とは言え、そこへ行って祈ることの意味は、場のエネルギー、祀っている神の名前や霊のエネルギーによって、心身や魂に働きかけるエネルギーは変わります。
当然の事ながら、そこにあるピースも違うし、誰かの置き土産(形のあるもの、ないもの)なんかがある場合もあるからね。
せっかく御縁をいただいて行くなら、神社仏閣一つ一つと真剣に向き合った方がいい。
それは、自分が神へと還る道、そのものなのです。

『わかる』という何かを超越する形容しがたい感覚、常に神とともに『ある』という、すべてがあってすべてがない、そんな感覚を持てるのは、しっかりと自分自身と向き合い、自分の足で、自分の道を歩んできた積み重ねがあるから。
『自分自神』・・・誰に言われるでもなく、いつかその意味が腑に落ちる日が来る。
その日が訪れるのは今すぐではないかもしれない。
しかし、「氣づいて!」というメッセージがあったのなら、早急に改心した方がいい。
人間に残された時間はそう多くはない。
神と呼ばれるほどの高級霊が力を貸すのは、この世のため、すべての生命のために大志を抱き行動する覚悟ある者だけだ。
間違っても、神様や龍神を個人的な願望やビジネスのために利用するような輩ではない。

今回、例に挙げた小網神社の拝殿に言葉が掲げてありました。
神社によく参拝する人なら見かけたことがあるかもしれません。
月毎に変わる生命の言葉です。

「みな人の こころもみがけ 千早ぶる 神のかがみの くもる時なく」

神の鏡の曇る時なきが如く、皆人の心も磨いて、常に曇りあらすなという意味ですね。
こんな大事なことが目の前に書いてあるぞ!見えないのかー!?

心の豊かさ、大事。

わたしね、好きなCMがあるんですよ。
JT企業CM『鬼のゆく道』というCMです。

https://youtu.be/MHDqGUViNpc?si=suJWkrmkaQIqe1Lt

ある日、鬼はおばあさんと出会います。
おばあさんは、誰もいない山の中に佇む小さなお地蔵様を洗っていました。
鬼が「なぜ、そんなことをしているのか?」と問うと、おばあさんは「こうすると、心が洗われんだぁ。」と答え、心の豊かさが大事だと笑って鬼にお饅頭をあげました。
人にあらざる鬼が、おばあさんに出会うことで“心の豊かさ”というものに少しずつ惹かれていく・・・そんなストーリーのCMです。
最後に「心の豊かさって何だ」と尋ねた鬼に、おばあさんは「なんだろね。」と優しい表情で返します。

これでいいと思うのです。そういうことだと思うのです!
お天道様はいつも見ているからね、本質を見失わないように。
本当の神様の居場所に氣づいた時、あなたは外に求めることなく、ただただ自分の内側から湧き出る幸せを感じていることでしょう。

人は神社仏閣を通して己と対話し、その中に神の光を見るのです。
わたしは、日頃の感謝や世界の平和、生きとし生けるものすべての幸せと魂の進化を、神様にお祈りしてくださる方が一人でも増えたらいいなぁと思いながらこの活動をしています。
神様にお願い事を叶えてもらうのではなく、自分が神様の願い事を叶えるくらいのつもりでね!
そうすればきっと、たくさんの神様が太古の力を取り戻し、人と世界は少しずつあるべき姿へ還ることができると信じています。


【参加者募集中】3月8日にスピリチュアルお茶会を開催します!

日程:2025年3月8日(土)
時間:14:00〜16:30頃まで
会場:御茶ノ水駅近くのカフェ(東京都千代田区)
参拝:神田明神

現在、参加者募集中です!
どなたでもお氣軽に参加してください♪
是非、この機会に参加者さんや神様とすてきなご縁をくくってくださいね。
参加前よりもレベルアップした運氣と波動を体感できるかも?

⬇お茶会の詳細やお申し込みはこちら


いいなと思ったら応援しよう!

龍神くくりの姫巫女
姫巫女としての活動をサポート応援して下さる方を募集しております! いただきましたサポートは、世界平和を祈る聖地巡礼の旅、その他 企画イベントなどの資金とさせていただきます。わたしを介して、ポジティブなエネルギーを世界に還元して参ります♡

この記事が参加している募集