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Z世代が考える戦争 NHKドラマ「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」を観て

はじめに

私は中学生のころから戦争、特に太平洋戦争について興味があり10年ほど勉強を続けております。先日、NHKドラマ「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」を観たので感想を書いていこうと思います。ネタバレ有りになりますのでご了承ください。

あらすじ

椰月美智子作の児童文学「昔はおれと同い年だった田中さんとの友情」のドラマ化。小学校6年生のスケボー好きの男の子、拓人が神社の管理人をしているおじいさん、田中さんと出会う。田中さんは70年、神社の敷地内で一人ぼっちで暮らしてきた。拓人は田中さんと交流を深めていく中で、田中さんの戦時中の体験を聞く。拓人は田中さんのことをみんなに知ってもらいたいと思い、田中さんの講演会を開くことを提案する。

NHK公式HPより
https://www.nhk.jp/p/ts/MPM37XL2RX/

感想

戦後80年

戦争が過去のものになって80年ほどとなります。このドラマに出てくるような田中さんのような方は、あと10年もすればいなくなってしまうでしょう。
恥ずかしながら、私自身も戦争の当事者(作中で言う語り部)のお話を聞く機会はなく、すべて書籍、ネットなどから得た知識しか持っていません。このような知識しか持ち合わせない私では、真の意味で戦争を語ることはできないのかもしれません。そう考えるとこのような機会を得ることのできなかったことは非常に残念に思います。

田中さんのような人

主人公拓人が出会った田中さんは戦争孤児として地域に支えられてきた方です。戦時・戦後の混乱を考えると決して珍しいことではないと思います。ただ私たちはそのような方を知りません。作中の拓人くんも田中さんのことを知らなかったようです。それどころかその地域の大人達ですら田中さんの事情については一切把握していなかったようでした。
現代社会を生きる我々は他人との距離がものすごく遠くなっています。地域の人はもちろん、職場の人、さらには親でさえ関わりを持ちたくないという人が増えているように感じます。そのような考え方のなかで地域のおじいさんの事情など知りようがないでしょう。
本当にそれでよいのでしょうか。少なくとも拓人くんは違ったようでした。

打ち解けたから見えてきたこと

ひょんなことから田中さんと関わることになった拓人くん(達)は最初は渋々お手伝いに行っていました。しかし、気さくに関わってくれる田中さんと交流を深めるうちに徐々に打ち解けていくことになります。これは田中さんの人柄の良さももちろんあったと思いますが、受け手側の拓人くんの心境の変化もあったと思います。どんなときでも気さくに話しかけてくれる田中さんと関わるうちに、彼は田中さんのことをもっと知りたいと思うようになったのです。
そんなある日、彼らは神社の敷地内で慰霊碑を見つけることになります。慰霊碑のことを聞いた彼らは、地域にあった出来事、そして田中さんの壮絶な過去を知ることになります。

戦争があった

おそらく小学校6年生の彼らは授業で「太平洋戦争」を知っていたでしょう。それは歴史の授業でならった過去の話であり自分たちとは関係のない世界です。
ですが田中さんの話を聞いて、彼の負傷した右足を見て、それは確かに現実としてあった出来事なのだと実感させられる、そのような強烈なシーンとなっていました。戦争という、今の日本ではある種おとぎ話のような世界が自分たちの世界とリンクしていく、そのような体験を彼らはしたのです。

戦争を知る

田中さんの戦争体験を聞き、田中さんの苦労をと街の歴史を知った彼らは、町の人の田中さんへの態度に疑問を持っていくことになります。神社のお祭で田中さんをよそにどんちゃん騒ぎをする大人。彼らは田中さんを、良いご身分だといいます。戦争、そして戦後をたくましくも慎ましく生きてきた田中さんが、なぜこのような態度をとられなければいけないのか。それは町の人々も田中さんを知らない、戦争を知らないからだと彼らは考えるようになりました。
確かに、今の日本で戦争について知る機会というのはあまり多くありません。自ら知ろうしない限り、触れ合う機会が少なすぎるのです。これは悲しいことであり、そして非常に危険な状態だと私は思います。
今、戦争のことについて学ぶ機会は主に学校の授業が中心になると思います。学校の授業では戦争の”流れ”については把握することはできます。しかし、戦争の辛さや、過酷な体験について実感することは難しいと感じます。このイメージと実際の現状の乖離は戦争を軽いものに変えてしまうと私は考えます。
現代の戦争教育は、戦争は軍部の指導により行われ、無謀な戦いの後に日本の無条件降伏により終戦…という流れかと思います。確かにそのような”側面”はあると思いますが、それがあの戦争の”全て”かと言われると違うと感じます。後述しますが、田中さんのように大本営の戦果を信じ、軍国日本の勝利を疑わなかった人ももちろんいたでしょう。何が言いたいかというと、学校で習うような軍部の半強制的な命令により戦争に走った哀れな国民達というようなイメージは違うという事です。そしてこのイメージは日本を今後戦争に導く可能性があると私は考えます。

戦争は誰かが起こすもの

戦争は政治家が起こすもの、と考えている方はそれほど多くは無いかもしれませんが、少なくとも自分が起こすものと考えている人はいないでしょう。しかし、実際には戦争を指導するような政治家に選挙で投票したり、逆に戦争を回避しようとしている政治家に反対をしたり…と私たちは間接的に戦争に関わっています。これは当時の人々も同じだったのでは無いでしょうか。よく戦前の日本は独裁国家のように扱われますが、実際には今の日本のように内閣があり平等とはいえませんが選挙もありました。つまり国民の意見が”ある程度”は反映されていたという事になります。そのような状況の中で全てを軍部の責任にするのは少々暴論であると感じます。
話がそれてしまいましたが、このような実状とイメージの乖離が田中さんへの態度に表れていたと感じます。ここから物語は田中さんと戦争を町の人に知って頂こうという展開になっていきます。

語り部

田中さん、そして戦争について知って貰う方法として拓人くんたちは田中さんに語り部をやってもらおうと考えました。語り部とは戦争体験を後世に伝えるための語り手のことです。彼らは早速先生に相談をし、クラスのみんなの了承を得ることができたら開催しても良いという指示を受けることになりました。膳は急げです、クラス会でみんなに田中さんのことを相談します。しかし、みんなの反応はいまいちです。一人の女の子は「戦争なんて怖いものの話を聞きたくない」といいます。別の男の子は「時間の無駄」といいます。しかし、一人の女の子の「聞きたい、これは大切なこと」という発言をきっかけに一人、二人と賛同の声が出てきてついに田中さんの語り部会が開催されることになるのです。

戦争は怖いもの

上記のシーン。最初に反対をする女の子が出てきます。「戦争は怖いもの。見たくない。」と。昨今、子供が怖がるからと戦争資料館の展示が変更されたり、戦争を扱った著名作品を学校に設置しないなど、子どものPTSDを理由に戦争を排除する動きが強くなっていると感じます。確かに、戦争を扱うということはそれなりにショッキングでありトラウマ、いわゆるPTSDの問題とは切っても切れない関係にあるとは思います。しかし、本当にそれでよいのでしょうか。ショッキングなシーンを嫌がる子供に見せろとは言いませんが、きれいに整形された戦争展示からどう戦争を学ぶというのでしょうか。
私は心理学者でもなんでもないので戦争の歴史が子供にどう影響を与えるのかはわかりません。しかし、先程も述べたように戦争を知らない状態で子どもたちが育っていくことは非常に恐ろしいと感じます。戦争が他責的に起こされ、自分たちではどうしようもない出来事であると考えてほしくないのです。戦争は、その場に関わる全ての人の責任で起こります。私達にできることは正しい戦争を学び、そして誤った道を歩まぬよう、決定権のある人たちを監視し、二度とこの国が戦争に歩まぬように、”国”を止めることではないでしょうか。そのためにはあらゆることを知らなければなりません。そのための戦争教育なのです。
もちろん、配慮は必要だとは感じます。その子ども一人ひとりによって感受性は違うのも理解しています。ですが、そこで必要なのは”配慮”であって事実を”排除”することではありません。子供が怖がるからといって全てを排除するのではなく、段階的に戦争教育をする方法を考えるのが私たち大人の役割ではないのでしょうか。
この女の子については作中で深く掘り下げられることはありませんでした。実際この子も田中さんの話を聞いたはずです。その後、怖いと思っていた戦争の話についてどう思ったのか。このあたりも掘り下げてくれると良かったのですが尺の都合もあると思いますので仕方ないでしょう。残念。
余談ですが、私が個人的に全国の子供達に見せたい戦争映画あります。「野火」っていうんですけど…。

語り部田中さん

クラスのみんなの協力もあって語り部の会は無事開催されます。そこには田中さんをよく言ってなかった町の人達の姿もありました。いよいよ田中さんの話が始まります。
田中さんは父、母、兄、そして妹がいる三兄弟の次男でした。戦争は中盤に差し掛かり、父、そして兄が戦争に駆り出され、家を守るのは自分だと思い、日々学校の先生の教えるようにアメリカと戦う訓練をしていました。
兄が出征する際、田中さんはこう言います。「武運長久をお祈りします」これは時勢で行った言葉ではありません。田中さんは本気で、国のために戦いに行く兄を誇りに思い、いつか自分も戦いに行く立派な日本人になると思っていたのです。田中さんは自分のことを軍国少年といい、日々ラジオから流れる大本営発表の華々しい戦果を楽しみに父と兄の武運を祈っていたのです。
※このときに流れるラジオが「台湾沖航空戦」の過大戦果であったのはNHKさんはなんともいえない演出をするなと思いました。国民の感覚と戦況の乖離、日本の勝利を疑わなかった、軍国教育を受けた少年をよく表現されていると感じました。
しかし、状況は変わります。父の戦死が伝えられ、続けて兄が戦死したという一報が入ります。泣き崩れる母と妹を横目に、田中さんは怒りが湧いてきます。「泣くな」と妹を叱る田中さん。なぜ。この理由は後にわかるのですが、父、兄は立派に務めたのだから、国に残っている自分たちがしっかりしなければならないという田中さんの気持ちは言葉に表せないものであったでしょう。そして日本はどんどん苦しい状況に追い込まれていきます。
サイパン島の陥落を期に、日本本土は大規模な空襲を受けることになります。田中さんの住んでいた町も例外ではありませんでした。夜(空襲は焼夷弾の広がり方が確認しやすいよう、夜に行われることが多かったです)鳴り響く空襲警報の中、田中さんは飛び起きました。ですが避難間に合わず至近弾が着弾し、田中さんは気を失ってしまいます。次に田中さんが目を覚ましたときには、住んでいたいえは跡形もなくなくなってしまい、運び出される母と妹の姿がありました。この空襲で田中さんは足を負傷し、家族を失ってしまったのです。
間もなく戦争は終わります。勝つと教えられた日本は無条件降伏をし戦争は終わったのです。

戦後

ここまでで田中さんの話は終わります。このあとは子どもたちによる質問タイムに入ります。
一人の男の子質問が始まります。彼はこんな会は必要ないと言ったあの男の子です。

Q.なぜ軍国少年だった田中さんが、戦後急に戦争反対になったのか。そんなにすぐに気持ちの変化が起こるわけがない。

うん。なかなか鋭い。確かに、戦争が始まる前を知っている当時の大人ならともかく、物心がついたときから日中戦争が始まっていた子どもたちがどうして戦後すんなりと考えを変えることができたのか。田中さんが答えます。

A.戦後。この間まで正しいとされていた教科書を黒く塗りつぶしたとき。私はなんともいえない気持ちになった。この間まで、国のためと言っていた先生はその場で泣き出してしたのを見て、すべてがおかしく見えてしまった(意訳)

このシーンの衝撃。実はこのドラマを見る前に、同じNHKの戦争特集で特攻兵についての特集を見ていました。そこでは特攻にいく若者に、地域の学校の教師から激励の言葉が来ていたとされていました。特攻については詳しくは語りませんが、あの、若者を、死なせた特攻に行く若鷲に学校の教師が、激励を送る、さらには「私は教師として、より多くの若者に戦時教育していかなければならない」と残していたそうです。こんな世界があってよいのか。
田中さんは、この先生は、周りに流され、自分を失っていた自身が情けなくて泣いたのだろうといいます。当時の教師というのは、若者に軍国主義を教え、日本が戦争に向かうためのプロパガンダに使われていたわかりやすい例だと思います。すべての先生がこうあったわけではないと思いますが、この田中さんの先生のように、周りに流され、子どもたちに悪魔のような指導をしてしまった先生は大勢いたと思います。そして、こういった間違った(狂ってしまった)日本がリセットされていくさまをよく描いたシーンであったと思います。戦後の日本の教育についてぜひ、NHKさん特集を組んでください。
さすがにぐうの音も出なくなってしまった男の子の質問はここで終了します。次に、なぜ田中さんが妹に意地悪をしてしまったのかという質問が出てきます。
先述したように、田中さんは兄が戦死して悲しんでいる妹を叱りつけてしまいます。これはなぜだったのでしょう。田中さんは答えます。

A.本当は自分も泣きたかったが、それよりも残された家族として母と妹を守らなければならない。強くなければならないという気持ちがあった。そこで泣けない自分と泣いている妹をみて羨ましくなってしまった。

まだ12歳の子供が背負っていい業ではないと思いますが?このような悲劇も世間そして教育によって生み出されてしまったものだと感じます。これは、現代を生きる私達には到底考えることができない現実であると思います。このような”リアルな”感情というものは、歴史のお勉強だけだと知ることができない本当の戦争だと私は思います。

友達

最後に小さい女の子からの質問です。「田中さんの好きな食べ物はなんですか」。
田中さんはほほえみこう答えます。「それはチョコバナナです。これは友達がくれた一番美味しい食べ物です。」
このチョコバナナ、神社のお祭で拓人くんがくれたものでした。きっと戦時中のなか、お祭りなどもなく友達と屋台を食べるなんてことはなかったのでしょう。これは田中さんが初めて友達からもらった屋台の食べ物だったのだと思います。現代では当たり前な友達と分け合う食べ物が、実はとても貴重なものであったと私達は忘れてはいけないと感じます。

最後に

語り部会が無事終了し、田中さんとの友情を確かめた拓人くん達。その後田中さんは病気でお亡くなりになってしまいます。
しかし、田中さんの歴史はなくなりません。拓人くんが新しい語り部となり、田中さんのことを伝え続けるのです。
ここでドラマは終了いたします。
ここまで私の涙腺は崩壊。そして、語り部世代の現実を思い知ることになります。
残念ながら人間には寿命があり、語り部世代の話を聞けるのは本当にあと数年といったところでしょう。このまま戦争の話は途絶えてしまうのか。私は違うと考えます。作中の拓人くんのように語りつないでいけばよいのです。
私の同級生の中で戦争について本気で考えることをしていた人はごく僅かでありました。それは私の下の世代でも同じであると思います。この現状は非常に悲しい。先述したように、現在の日本ではどんどん戦争を過去のものにし、まるでなかったことのように扱う流れが増えてきています。さらには戦争の事実を歪曲し、自身の利益のために使おうとしている大人がたくさんいます。このような教育を子どもたちにしてよいのでしょうか。私はもっとしっかりとした真実を、リアルの声を子どもたちに届けてほしいと願っています。
語り部世代が本当にいなくなるまで時間がありません。今、私達大人ができることを考えていく良いきっかけになるドラマであったと思います。来年は戦後80年になります。今一度国民一人ひとりがあの戦争を学び直す時期に来たと私は思います。

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