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神格化されるSF作品
「哲学的」
SF作品のレビューによくある、「哲学的」という言葉。
結論のでない哲学テーマという意味では奥が深い。読者に哲学テーマを投げかけるだけという意味では奥が浅い。
「哲学的」という言葉に間違いはないのに、引っ掛かりを感じていた。
哲学的な作品とは?
例えば、「攻殻機動隊」で用いられる哲学テーマ「自分とは?」という問。
アイデンティティ、誰でも一度は考えて、人によっては苦しむもの。なら、ファンが言う「哲学的」とは特筆することなのか。
それともう一つ。「哲学的」という言葉を使う割に、本気でその哲学テーマについて考えているのかも疑問である。多くのファンが、なんとなく哲学的だなー。と思っているだけな気がする。
攻殻機動隊をはじめとするSF作品を、レベルが低いと揶揄するわけではないし、むしろ時代の2,3歩先を行く面白い作品だと評価している。
哲学的な近未来SFとして優秀な作品といえば、「PSYCHO-PASS」。どこかのサイトでファッション哲学などと揶揄されていたが、哲学を何と心得ているのか甚だ疑問である。
AIシステム管理社会、これにより生じる「孤独」「主体性」「危機意識」などがテーマ。何が優秀なのかと言うと、徐々に始まりつつある社会問題であり、実際に我々が考えるべきであり、あまり考えられていない哲学テーマ。
シビュラシステムをAIに置き換えれば、すぐそこまでその時代が来ていることを体感できるだろう。
神格化されるSF作品
なんで「哲学的」で物凄く奥が深いかのようにレビューされるのか。それはSF界では古で、伝説的な作品だからだろう。
ストーリーの複雑性を哲学的に奥が深いと誤認したのかもしれない。要するに、コアなファンによる神格化。「哲学的」という言葉を用いつつ、当の本人はその哲学テーマについて深く考えていないのではないか。
ファッション哲学とは?
物語の中心に哲学テーマを添えているから本物の哲学的アニメなのか。哲学本と比べたら、この世の哲学アニメ並びに哲学小説はすべて茶番だ。哲学アニメならではの個性とは、ストーリーを基に今まで考えて来なかったテーマや、一つの答えを提示することにあると考える。哲学的であることを格調高く捉えて、それを作品の質とすることは愚かである。
※SFと哲学が常に密接であるべきとは思っていない。ストーリーや世界観も醍醐味の一つ。ただ、「哲学的」という言葉に違和感を覚えただけである。当然、作品の優劣を考えているわけでもない。ファッション哲学などという言葉はより一層違和感しかない。作品から哲学要素を必要以上に取り上げすぎであり、感覚的な作品の良さを無理やり言語化しようとした末路といった具合だ。