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思いのままに、生きる ―人生100年時代 横尾光子さんに学ぶ幸せな生き方

※本作品は、宣伝会議の「編集・ライター養成講座 総合コース 40期(2019年 冬)」の卒業制作として作成したインタビュー記事です。優秀賞をいただきました。

未経験から50代でカフェを開業し、その後、洋服ブランドまで立ち上げた横尾光子(よこお みつこ)さん。彼女は72歳を迎える今も好きな仕事をし、さらなる夢を追い続け、生き生きと幸せな日々を送っている。 “人生100年時代”といわれるなか、未来を前向きに自分らしく生きていく方法とは。横尾さんの人生をたどり、その生き方や考え方から人生100年時代を幸せに生きるヒントを探る。


 「70代女子、まだまだいけます!」(大きな肉のステーキを前に)
「ありがと~~って叫んでみる71歳の幸せ!」(湖に向かって)
 前髪を短く切りそろえ、モード系のファッションに身を包む横尾光子さん。彼女のインスタグラムの投稿はいつも明るく前向きな言葉であふれている。70代にして日々を謳歌する姿は、これから未来を生きる女性の鑑のように思える。

 今年で72歳を迎える横尾さんは、東京・吉祥寺のカフェ「お茶とお菓子 横尾」の元オーナーであり、現在は大人のための洋服ブランド「Chloro(クロロ)」の店主を務める。「クロロ」では、「私の着たい服」をテーマに、自身で洋服のデザインを手掛けている。

「毎日すっごく楽しいですよ」
そう語る彼女の表情は生き生きとしている。

数々の引っ越しと転職
 自ら新しい環境を楽しむ

 横尾さんは兵庫県の姫路市に生まれ、子供の頃は転勤族の父親のもとで数多くの引っ越しを経験してきた。さらに結婚後、ご主人も転勤族だったため、その回数は合わせて20回以上。幼い頃から物怖じせず、新しい環境に飛び込むのが得意だった。

「転校生って自分から行かないと、友達はなかなか受け入れてくれないと思うけど、私は調子よく行くほう。何回も転校するなかで自然と身についちゃったのかも」

 20代からはありとあらゆる職業を転々としてきた。大学卒業後は、お金が好きという理由で地元の銀行に就職。手先が器用だったため、紙幣を数える「札勘」は社内でピカイチだった。父が転勤で東京に移り、その間も1年ほど下宿しながら勤めたが、3年ほど経って父のいる東京に引っ越した。

 東京では、新聞で広告を見つけ、「なんだか大きそうだから行ってみよう」と軽い気持ちで受けた中途採用に合格し、ソニーに入社。そこでご主人と出会うも、同じ環境で働くことを会社に禁じられてしまう。会社にはオフィスの異なる系列会社を紹介されたが、気が進まず退職した。

 その後、ご主人の転勤で埼玉県の鳩ケ谷に引っ越し、当時のスカイラインが好きだったため、日産自動車に入社。車が好きで楽しく働いていたが、またご主人が転勤になり、大阪に移った。

 大阪では子供が生まれ、働かずに子育てをしていた。東大阪、奈良、西宮と、関西だけで3回引っ越し、東京に出て、さらに次は札幌へ。

「その間に子供が3人生まれて、最終的に東京に戻ってきたのが三女の香央留(かおる)が4歳の時。引っ越すたびに自分から新しい環境に踏み込んで行って、楽しく転勤生活を送っていました」

15年にわたる介護生活
 介護をきっかけにマッサージ師へ

 今でこそ順風満帆に見えるが、カフェを立ち上げるまでには、長い間苦労を経験している。それは介護だ。始めはご主人の父、母、そして自身の父、最後に母。15年にもわたって介護生活を続けてきたという。

「長かったですよ。その間って何かしたくてもできないじゃないですか。本当に大変でした」

 しかし、介護で辛い思いをするだけでは終わらなかった。

「じゃあこの間に何かやってやろうと思って、マッサージの学校に通い始めたんです」

 ご主人の父が「頭が痛い」、「足が痛い」などと言っていたため、マッサージをしてあげようと思った横尾さんは、吉祥寺にある指圧の専門学校に通い始めた。そしてマッサージだけではつまらないと思い、香りで心を癒やすアロマの専門学校にも通った。さらにこれだけでは足りないと感じ、池袋にあるマッサージの学校にまで通ったという。

「今から考えたらおかしいよね(笑)。でもすごく楽しくて。私、人を癒やすのに向いているかもしれないと思ったんです。それで、マッサージとアロマを融合した仕事を始めました」

 それからアパートの一室を借り、自身の母の介護生活が始まるまで、5年ほどアロマを使ったマッサージの仕事をしていた。施術後に「すっきりした!」などと言われることに喜びを見出し、それを介護にも活かした。

 辛い介護生活も、何かのきっかけになる。3校も学校に通った彼女からは、勉強熱心な様子がうかがえる。これまでの人生で一番の壁を「介護」と話す横尾さんは、その壁を自分が楽しいと思えるものに変えることで乗り越えた。

「子育てと違って介護は終わりが見えているから、この壁は乗り換えられる!と思って、乗り越えました(笑)」

50代、未経験でカフェを開業
 散歩で見つけた物件にハッとした

 ご主人は定年退職後、吉祥寺で居酒屋「日本酒と料理 横尾」を開業した。横尾さんは店の手伝いを始めたが、日本酒好きのご主人とは違い、酒が飲めなかったという。

「お酒が飲めないから、仕事が辛かった。こんな辛い仕事、なんでこんな歳になってやるんだろうと思って。ぬる燗や熱燗の温度をみるために、お酒をなめていたら、酔っぱらって具合悪くなっちゃって帰ったりしていました」

 あまりにも具合が悪くなった横尾さんは、2人の女性スタッフに店の手伝いを任せ、1週間ほど休んだ。そんな時、吉祥寺を何気なく散歩していて出会ったのが、空き物件だった。

「それを見た時にハッと直感が働いたんです。看板に書いてあった電話番号に、その場ですぐに電話しました」

 当時はカフェを開業するなど、考えてもいなかった。それでも「ここで何かをやりたい!」という直感が湧き、その場で物件を契約。何をやろうか考えた時、子供の頃、父がよくカフェに連れて行ってくれたことを思い出した。

「父がカフェ大好きで、小学生の頃からよく連れて行ってもらっていました。私はパフェを食べて、父はコーヒーを飲んで。あの雰囲気が大好きだったんです。それを思い出して、物件を借りてからカフェをやろうかなと思いつきました。すごい冒険ですよね」

 そして、居酒屋はご主人と女性スタッフに任せ、カフェ「お茶とお菓子 横尾」を開業した。当時の横尾さんは50代半ば。周りの友達に反対されることもあったが、それ以上にやりたい気持ちが強かった。やってだめなら、すぐにやめればいい。そんな気持ちで始めた。

「50代でカフェを始めるって、無謀ですよね。友達に言ったら絶対無理って言われて、でも私はとにかくやりたい!という気持ちが大きくて。みんながよく言う。“やらないで後悔するよりやって後悔するほうがいい”みたいな気持ちで始めて、始めたら意外といけちゃったんです(笑)」

好きな洋服が着られない!
 それなら自分で作ろう

 横尾さんのカフェはアンティーク調の落ち着いた雰囲気と、丁寧に作られたお菓子と飲み物で大人気となった。娘が手伝いに来て、スタッフも雇い、開店から3年ほど経ち仕事に慣れてきた頃、洋服ブランド「クロロ」を立ち上げる。横尾さんは昔からおしゃれが好きで、「コムデギャルソン」や「ヨウジヤマモト」をよく着ていたが、年齢とともに体型の変化から好きな洋服が着られなくなってきたという。着心地が良くて、体型をカバーしてくれる服はないのかと思い、立ち上げたのが「クロロ」だった。

「好きな服を自分が楽しくかっこよく着るにはどうしたらいいかなと思って、じゃあ自分で作ってみようかなって」

 昔から小物作りは好きだったが、本格的な洋服作りは初めて。パタンナーの友達にパターンを作ってもらい、始めは身近な友達への販売からスタートした。

「だんだん楽しくなってきちゃって。人にも販売しようと思って、工場に出し始めたんです。そしたら私が大好きだったイラストレーターの大橋歩(あゆみ)さんが、自分の店で展示会をやっていいよ、と言ってくださったので、展示会をやるようになって。そこから始まりました」

カフェを11年で閉店するも、
 2年後にまた開店 「直感が働いた」

 ご主人が亡くなり、居酒屋を閉店した後も、カフェは11年間営業を続けた。開店当時に研ぎ澄まされていた感覚が次第になくなり、自分のまったり感が許せなくなった横尾さんは、10年を節目に閉店しようと考えていた。店の前に行列ができるほどに繁盛し、マナーの悪い外国人観光客が増えてきたことに疲れも感じていた。10年を境にやめたい思いをスタッフに伝えると、スタッフに続けたいと言われ、その後1年は営業を続けたが、まったり感は解消せず11年で閉店することとなった。

「潮時も直感ですね。始めはコーヒーをおいしく淹れよう、おいしいお菓子を作ろうと、感覚を研ぎ澄ませてやっていたのに、だんだんまったりしてきて、自分が嫌になっちゃったの。こんなのお客さんに失礼!と思って。お客さんもすごく多くて大変だったんです。それでやめました」

 
 開店時も閉店時も直感という横尾さん。閉店してから2年後の2018年、友達である「イイダ傘店」店主に、同店の斜め向かいにあるカフェの跡地が空いたと連絡をもらう。ここでもまた決断が早かった。

「見に行ったらまた直感が働いて、すっごくいいなと思って。雰囲気も好きだし、駅から離れているってことは、お客さんはそんなに来ないなと思ったから、ちょうどいいと思いました」

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▲「お茶とお菓子 横尾」の2号店(現在は閉店)

 物件を見たその日に契約し、1カ月で内装を手掛けるというスピードで、再びカフェをオープンした。その物件は老朽化のため、内装時から1年半で立ち退くことが決まっていたという。

「1年半といわれて、ちょうどいいかなと思ったので、簡単な内装にして、作り込まずに始めました。クロロも営業していて忙しかったので、金・土・日曜だけやろうと決めて始めたんです。だから、気持ちがすごく楽だったんですよ」

 2店舗目は1店舗目よりも吉祥寺駅から遠く、マナーの悪い外国人観光客などに悩まされることもなかった。

「地元の方が来てくれて、とても嬉しかったです。前はお客さんが多くて大変だったけど、ここだったら地元の方と仲良くできるわと思って。1年半しかできなかったので、ちょうどいい思い出で良かったかなと思います」

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▲当時、記者が注文した「新月のハーブティー」と「りんごのおしるこ」

やりたいことがいっぱい
 叶わぬ夢を持ったっていい

 現在は島根・松江にあるアトリエと吉祥寺にある自宅を行き来し、オンラインショップで自身がデザインした洋服を販売している。時には三越伊勢丹の「大人になったら着たい服」展で、洋服を展示したり、外出自粛期間中に娘と作ったマスクをインスタグラムで販売したり…。70代になってもアクティブさは変わらない。

 これまで様々な経験をしてきた横尾さんに、今までで一番楽しかったのはいつか聞いてみると、「今」と即答した。それは彼女の笑顔や雰囲気からも感じ取ることができた。

「子育ても介護も何も考えずに自分のことだけできるようになったのは、65歳くらいからかな。こんな日が来るなんてと思います。何もしがらみがなく、好きなことばかりできて本当に楽しい!」

 だが、これでは飽き足らず、まだまだやりたいことがいっぱいある。

「夢はもっていないと。立ち止まった時も、私の夢って何だったんだろうって考え直してみて、やりたいことが見つかれば、そっちに向かっていけばいいから」

 今後の夢の一つはもう一度カフェを開くこと。現在はそれに向けて、常に物件を探しているそうだ。松江では契約寸前までいった物件があったが、結局辞退した。その理由もまた直感だった。

「ちょっと待ってと思って、東京に戻ってきて考えてみたんです。考えるってことは直感が働いていないなと思いました。もう一度その物件を頭に思い描いたら違うなと思って、電話して断りました。立ち止まればわかることってあるんです。結局私は吉祥寺なんだなと思って、今はずっと吉祥寺で探しています」

 もう一つの夢は歌手になることだ。テレビに出るような歌手ではなく、吉祥寺のジャズバーなどでピアノに手を置いて歌う、そんな歌手になりたいと話す。学生時代はバンド活動をしており、子供の頃から歌手になるのが夢だった。それが今になっても忘れられず、ボイストレーニングに通っている。

「叶わない夢でも、とりあえずボイストレーニングをやってみるとか、具体的に行動に起こすのは大事ですよね。72歳で歌手になれるわけないじゃんと思っても、こういう歌手もいるんじゃないかなって(笑)。年をとってから花開く人もいるじゃないですか。別に夢をみたっていいことだから」
 
 年齢を問わず、希望に満ちあふれ、前に向かって突き進んでいく姿がまぶしく見えた。

好きなことを追求する
 辛いことも楽しいことに変える

 彼女の生き方に一貫しているのは、好きなことを追求する姿勢と、辛いことも自分にとって楽しいことに変えていく力だ。カフェや洋服はもちろん、銀行や日産自動車への入社も、すべて「好き」という気持ちから出発している。好きなことをして生きることは、モチベーションを保つことにもつながっているようだ。

「好きなことしかやらない。結局は好きなことしか続かないから。仕事もやっぱり好きじゃないとできない。好きなことをやってこられたのって本当に幸せだなと思います。だから、皆さんには好きなことを見つけてもらいたい」

 辛かった介護生活も、マッサージという、自分がやっていて楽しいと思えるものに変えた。失敗や壁に直面した時、その環境のなかで楽しいと思えることを見つけるのは、幸せに生きていく上で大事なことなのかもしれない。

「壁にぶち当たったら、とりあえず立ち止まって、今自分は何に悩んでいるの?自分には何ができるの?と考える。そして、私が介護で悩んでいた時、父をマッサージするために学校に通ったように、今の環境で今できることを考えて、とりあえず何かやってみる。それが自分に向いていなければやめればいいし、向いていたらそれを一生懸命やっていれば、いつの間にか乗り越えています」

 「時には諦めも肝心」といわれることがある。この言葉に対して、横尾さんは「その時の自分の環境に素直についていくしかないから、それは諦めとは言わない」と力強い言葉をくれた。

「あくまでも環境が変わったから、道を変えるだけ。主人が亡くなったから店を閉めるとか、自分の周りの環境が変われば、それは諦めじゃなくてやめるしかない。それで自分の直感に従って生きていけば、先が見えてきて、次のことが出てくるんですよね。不思議なことに」

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直感力を研ぎ澄ませる
 成り行きで道が開けることも

 直感力と成り行き。これもまた横尾さんの人生を動かしてきた。好きなことを見つけるにも、未来の道を選択するにも、何度も現れたのが直感力と成り行きだった。目標を掲げ、それに向かって励むのも一つの生き方だが、必ずしも始めから目標を持たなければならないというわけではないようだ。横尾さんが物件を借りてからカフェを始めようと思いいたったように、その場の成り行きで突然道が開け、直感で夢が見つかることもある。

「直感を研ぎ澄ませていると、いつの間にかチャンスが向こうからやってくるんです。私はこれまでずっと成り行きで生きてきました。介護という15年の壁は大きかったので、目標を持ったってしょうがなかった。その場の成り行きで自分さえしっかりしていれば、流れで道が開けていきます」

 好きなことを見つけ、それを追求していく。直感力を研ぎ澄ませ、成り行きに身を任せる。横尾さんの生き方は、自身が「本当に適当なんです」と言うほど自由だ。そんな彼女を知り、10年後、20年後、その先の未来をどう生きるべきかという問いに、そんなに悩む必要はないと言われているような気がした。人生100年時代、何かを始めるのはいつからでも遅くない。やりたいと思った時にやりたいことをして、彼女のように幸せに生きたい。

横尾光子 Profile
洋服ブランド「Chloro」のデザイナー。2008年から「私の着たい服」をテーマに洋服のデザインを手掛ける。2005年~2016年、2018年~2019年に東京・吉祥寺にカフェ「お茶とお菓子 横尾」をオープン。現在は「Chloro」で洋服を販売しながら、カフェの再オープンを目指して奮闘中。

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