人の死について思うこと
今日は少し重いお話。
死について思ったことを、これまでの自分を振り返りながら綴りました。
途中で思い出話が入るなど脱線していますが、死に対する今の思いは、最後の「死という運命を背負って生きていく」と「思い出を抱えて来世に行きたい」にまとめています。言わば私の死生観のようなものです。
重いテーマですが、最後は明るいのでご安心ください☺︎
死を初めて知ったとき
"人は死ぬ"ということを初めて知ったのは、4歳の時だった。
美空ひばりさんのことが盛んにテレビで報道されているのを見て、死という意味を知った。美空さんが亡くなってから何年という節目の年だったのか、やたらとその文字を目にした。
「死ぬってなに?」と親に聞いたら、「人はいつかいなくなるんだよ」と言われてすごく怖くなった。
当時私は初めて一人でお風呂に入れるようになったばかりだった。親の手を借りずに一人で髪の毛を洗うようになって間もない頃、髪の毛を洗いながら"死ぬ"ということについて考えていた。
死ぬってどういう感じなんだろう。死んだらどうなるんだろう。
一人で心細くて本当に怖かった。そこから数日は、お風呂に入るたびにずっと死ということが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
初めてのお葬式
初めて身近な人の死に遭ったのは8歳頃のことだったと思う。友達のお父さんが亡くなって、初めてお葬式に参加した。
家も近い方で、お話ししたこともあった。坂道を自転車に乗ってすごいスピードで駆け抜けたら、転んで自転車の一部が壊れて、直してもらったこともある。
あのお父さんが死んだのか、いなくなっちゃったのかと不思議な気持ちになった。父を亡くした友達は家族席に座ってけろっとした顔で笑っていた。お父さんがいなくなるってどんな感じなんだろう、なんで笑っていられるんだろう。
あとでその友達に「悲しくないの?」と聞いたら、「お父さんのことそんな好きじゃなかったし、全然悲しくない!」とか笑って言っていたけど、彼女の本当の気持ちを私は知らない。
知っている人がいなくなったことを不思議に思う一方で、お葬式という式典を知り、たくさんの人が来てごはんを食べたりするのって、意外と楽しいものなのかなと思ってしまった。今思えばとても失礼で不謹慎な話だが、翌日、お葬式に参加した友達同士で「お葬式、意外と楽しかったね」なんて言い合っていた。
亡き人の姿を初めて見て
初めて亡くなった方の姿を見たのは10歳頃だろうか。母の叔母のお葬式に参加した時のことだった。
それはものすごく衝撃的だった。まったく動かない顔と体、からからに乾いた肌。中身のないような空っぽな姿を見て、また怖くなった。それまで亡くなった人の姿を知らなかったから、あまりにも衝撃的でショックを受けた。その日から数日は、顔が頭から離れなくて眠れなかった。
母は「死んだ人の顔、初めて見たからびっくりしたのね。大丈夫よ」と慰めてくれた。死ぬことが余計に怖くなった。
友達の死
19歳の時、小学校の時の友達が亡くなったという知らせが届いた。初めての友達の死だった。突然の知らせに驚き、事実を信じられなかった。
ここからはちょっと思い出を話したい。その子は小学1、2年生の時に仲良かった男の子で、私をよく笑わせてくれた。大豆からきな粉を作る授業で同じチームになり、きな粉を食べる時に笑わせてくるから、きな粉が飛ばないように笑いを堪えるのに必死だった。
優しい子でもあった。私が読んでいる本を友達に奪われて泣いていたら、「どうしたの?」と駆けつけてきて、私が何も言わなくても察して、友達から本を奪い「コイツのせいでしょ、これだろ?」と私に差し出してくれた。
クラスのみんなでお楽しみ会は何をして遊ぶか、案を出し合っていた時、男の子たちが「サッカー!」「野球!」と好き勝手にやりたいことを挙げるのに対し、その子は「サッカーや野球もいいと思うけど、女の子がルールがわからなかったり、できる男の子だけが盛り上がっちゃうから、女の子も楽しめるものがいいと思います」と意見を述べていた。その歳で女の子の気持ちを考えられるなんて、なんてジェントルマンなんだ、優しい子だなぁと思った。
博識でもあった。学校のお泊まり会で、体育館で寝る時に「人間って寝なくても目を閉じるだけでも疲れ取れるんだよ」とか言っているのが聞こえて、そうなんだと思ったのを覚えている。将来は博士や科学者になりたいと言っていた。
8歳の時、私のいないところで女友達2人と彼が「20歳になったらみんなで焼肉を食べに行こう」と約束した。友達Aが「ひめちゃんも誘って行こう!」と言ったら、友達Bは、私がAと仲良くしていた嫉妬からか「え、ひめちゃんはだめ」と言ったらしい。それに対しても彼は「いいよいいよ、ひめちゃんも誘ってみんなで行こう」と言ってくれたんだと、Aから聞いた。
私は直接約束したわけではなかったけど、その約束をずっと覚えていようと思った。ずっと先のことだけど、みんなで焼肉を食べに行く日が待ち遠しかった。「校庭にある木が待ち合わせの目印」などと言って、守衛さんに木を切らないようにお願いしたりもした。
小学3年生でクラスが離れ、4年生になってあまり話すこともなく、挨拶もせずに彼は転校してしまった。
中学生になってイケメンになったらしいとか、モテているらしいとかいう噂を聞いた。私のこと覚えているかな、また会って話したいなと思ったが、私は彼の連絡先を知らなかった。
いつかまた会いたいと思いながら過ごしていた時に、亡くなった知らせが届いたのだった。焼肉を食べに行こうと約束をした20歳になる前に、彼はいなくなってしまった。私が仲良かったのは遠い昔のことだけど、成長した顔との再会がお葬式の遺影だなんて思いもよらなかった。
お葬式は行列をなしていて、私と同年代とみられる人もたくさん来ていた。それだけでも彼が人気者であったことが感じ取れた。私は遺影の彼を凝視できなかったが、幼い頃の面影を残しつつたくましくなっているように思った。
彼と会っていなかった時間が長すぎて、涙も出なかった。でも心にぽっかり穴が空いたような感覚を味わった。若くても突然いなくなってしまうこともあるんだと思った。20歳で焼肉に行くという約束は果たせなかった。死ぬなんてこと、考えもしなかった。もう会えないんだ。転校後、一度でも会っておけば良かったと後悔した。
死という運命を背負って生きていく
それから私はたくさんの人を見送ってきた。祖父母も4人とも、もう天国にいる。
今は初めて死を知った4歳の時ほどの恐怖心はなくなったが、それでもやはり身近な人や著名人が亡くなるたびに、なぜか胸がドキドキして怖くなる。その人と関わった時間が濃密なほど、深い深い悲しみに暮れる。しばらくはその人のことが頭から離れず、ごはんを食べる気力もなくなったりする。
でもそういう経験を積んで大人になるうちに、死は運命なのだと思うようになった。いつその日が訪れるのかは人それぞれだが、誰にでもいつかはやってくるもの。突然病気になるかもしれない、突然事故に遭うかもしれない、特に何もなくても突然亡くなってしまうこともある。いつか来るその日に向かって、今を生きていくしかないのだ。
人はこの世に生まれてきたその瞬間から、死という運命を背負って生きていくのだと思う。この世界に生きたという確かな証拠を残して死んでいく。それが人生なのだと思うようになった。この世界からいなくなっても、関わった周りの人々の心に生き続け、思い出が消えることはない。
思い出を抱えて来世に行きたい
樹木希林さんが生前、誰々が亡くなったという報道に対して、「あぁそうなの。私、誰が亡くなったとか聞いても何とも思わないの。人はみんないずれ死ぬものだから。へぇそうなんだとしか思わない」とお話しされていた。
私はそんなふうに思える樹木さんを羨ましいと思った。みんな悲しくて辛くて泣いて悔しくて、死のショックはとてつもなく大きなものでストレスになることもある。なのに、樹木さんは死を"普通のこと"、"当たり前のこと"として捉え、平然としている。できることなら私もそうなりたい。その方が絶対にストレスフリーで楽しく生きていけるに違いないと思う。
「死は運命だ」なんて書いたけど、なかなか樹木さんのようにはなれない。
でもこの世に生まれてきた以上は、この世界を精一杯楽しんで、自分の人生物語を作り上げて来世につなげたいと思っている。いつ死ぬとしても、その日までの自分に満足した状態で人生を終えたい。
死ぬ直前に走馬灯を見ると言うが、私はそれが楽しみだ。『初めまして』にも書いたように、私は思い出を大切にしている。できるだけたくさんの思い出たちを走馬灯で見たいと思うし、それらをいっぱい抱えて次の世界に行きたい。
そのためにも、思いや感じたことを書きとめておくのは、自分の生きた証になっていいなと思っている。
満足した状態で人生を終えたいとは言っても、人生ってままならないものだ。人生にはうまくいかないことや辛いこともたくさんあるが、それも自分の運命として受け入れてとにかく今を生きようと思う。そうすることでしか前に進んでいけないから。
死後の世界は無ではなくて、あってほしいな。
次なる世界があれば、それを楽しみに生きていける気がする。