私に教えることの喜びを取り戻させてくれた彼女のこと
私は、塾を主宰しています。
別に学校現場が嫌いになったわけではないし、むしろ学校は大好きです。でも、ある年、あるきっかけで大学受験指導が中心になってから、私は、むしろこちらの方が自分らしく指導ができるような気がしてきました。
そして、いろんな教育する場を経て(実は、教育とは違う分野に飛び出したい!と真剣に思い詰めて勉強していた時期もあります。)、
ああ、私がしたい教育をするには、開校するしかないなあ・・・。
ということに気づいたのでした。
それは若いころから予感はありました。
いつか自分がそういうことをしているのではないかな?
というような。
教師としては、それなりに経験は積んできましたが、経営者としては素人。
その割に、ある人の言を借りるなら、
泳ぎ方がめちゃくちゃ下手なくせに、結構速く泳いでる・・・。
という状態で来たようです。(笑)
でも、そんなある年、私は、畑違いの経営の方ではなくて、教師として行き詰りました。
外から見たら、そんなの、若い子だし、いろいろあるよー!というようなことだったのですが、一生懸命育ててきた子の大学受験が、思うようにいかず、なぜかわからなかったのですが、裏でサボっていたらしかったのです。それも、まあ、よくある青春の・・・。
今思えば、そんなことでぶっ倒れることができるほど私は甘ちゃんでした。人間というものを理解していませんでした。
騙された・・・。などと、思い悩み、なんで私がそれを見抜くことができなかったのだろうか・・・?などと自分を責め、それから、私はがっかりして、やる気を失っていたのでした。
そこには、教師と生徒との信頼関係、などというものが私の中には大きく占めていて、それはこちらの勝手。勉強しようがしまいが、その子の人生の一部分。そこから学んでいくのが筋というもの。その過程に私たちが存在するだけです。
それを、自分との信頼関係から勉強するだろう・・・、だなんて、私が甘いも甘い。(笑)
大手の予備校や都会などでは考えられないかもしれません。
それか、もう、すべてをお任せいただくような塾か・・・。
正直、その生徒との関係はそこまでのものではありませんでした。また、そこまで責任も求められるようなものでもありませんでした。
でも、その年の一学期。私は面談する気もなければ、新規入塾もしていただかなければならないのかもしれませんが、それも怖い・・・。
そんな状態が、3年前(コロナが始まる前からです。)から、どこかに余韻をもちながら、そろそろと生徒さんに入塾してもらってきました。
その電話のやり取りが自分でもおかしいのです。
あ、この子はウチだ!という直感めいたもののある場合は、ぜひ来てください!と電話で話しているし、直ぐに決まって指導が始まります。
でも、早く面談しましょう。もし合わなかったら、次を探さなくてはいけないでしょうから・・・。などと私自身が、言ってしまうときもありました。
まだどこか怖かったのだと思います。また自分が傷つくのが。どこか恐る恐るになっていました。
それなりに自分が何かをした、という実感が掴みたかったのだと思います。
そんな昨春、ある女の子がご両親と一緒に面談に来られました。ちゃんと自分で電話を掛けて。
その日のうちに面談があり、ああ、この子、ウチに来るな、と思ったし、自習室で勉強している姿も思い浮かびました。でも、まずは違うところに行くだろう・・・、ということもなんとなくわかっていました。
在校生にも、あの子、夏ごろにウチに来るだろうな、と言っていたのです。
私の勘はあまりに当たるので、私は、ある生徒から、水晶を持たないだけで、「高岡の母」と呼ばれています。わからんではないわな・・・、と内心思っているのですが、どうも占い系に結び付けてからかっているようなのです。
そして、夏。
再会しました。
それから、あれこれありました。いろんな生徒さんとの時間を過ごすように・・・。
でも、一人ひとりとお付き合いしていると、その生徒さん、生徒さんが、ご自分の何と闘っておられて、そして、その一歩がどれほど尊いものかが手に取るようにわかります。
周りからは見えない。外から見ているだけではわからない努力が私には見えます。いろんな話をしたり、いろんなことができるようになったり・・・。
それはコツコツとした尊い歩みです。
そんな彼女が、受験を控えています。仲間と一緒に。
そして、この時期になって、私は彼女と出会ってから、彼女の歩みと一緒に私が教師として、立ち直っていくのを感じました。役立てているということ。ほかの誰かには見えないかもしれない努力を味わっているという現時点の尊さ。教育という、本来は見えないものを扱うその仕事の尊さを、再発見したような日々でした。
もしも、これから彼女に何かあっても、私は驚かないし、また一緒に冷静に何かを始めるでしょう。それに私の下から旅立ってくれたら、それこそいつか仲間として仕事ができるようになるかもしれない、という楽しい夢を頭の中で描いて楽しみにしていることでしょう。その過程で、もっと素晴らしいことがあるかもしれませんし、もし落ち込んだら、周りの誰かと協力するなり、また私と考えてもいい。
ただ、この夏からの一緒に過ごした日々が、私には充実していて、その想いが心を温めるのです。これからのことなんか言ってない。ただもう、今までの、期間としては、決して長くはない時間のその必死だった自分。でも、どこか冷静であろうと努めていた自分の、その在り方こそが、自分の思う教育だったのです。
だから、今、彼女との出会いに心底感謝しています。
これは意志としてだけれど、押しつけがましい何かを言うつもりもありません。彼女の人生です。
でも、とりあえず、この日々を過ごせたこと、結果としてではなく、この過程を共に過ごして、進んできたことがとても嬉しいのです。
後退もあるかもしれない。お休みするときがあったっていい。
何より自分のした努力を自分が認めてあげられるようになってほしい・・・。
と願って来たけれど、彼女に願ってきたことは、そのまますべてもしかしたら、自分に願ってきたことなのかもしれません。
もう少し、肩の力を抜いたら?
責任感だけで走らないで。
自分のこと、もっと大事にしたら?
どこか自分に言いたいことをどこか彼女に投影して、私はまるで自分を見ているように彼女に少しずつ話していたのだろうと思います。
頭のいい彼女は、十分すぎるほどの分析もできていて、それは将来ご自分んが進みたいと思われている分野でとても役に立つことでしょう。
どこか生真面目だった、そしてそのために身動きできなくなっていた自分の若いころ、そして、あまりに忙しいバブル期の都会だった面もあってか、誰もその状態を理解してくれなくて、苦しんでいた若いころを思い出しては、彼女のおかげで私の心の中にあった解決できないものがたくさん溶けて行ったような気がしています。
今はとりあえず出会いに感謝!
それからのことは、本当にこれから一緒に考えて行けばいいと思います。
それはほかの生徒さんにも言えること。これから数週間の間にあれこれ未知のことが起こり、そして、それに対する自分がどういう反応をするのか?それは誰にもわかりません。
でもわかっているのは、私たちは、その時最善だということを選んでいるはずだということです。
周りがどう表現しようと、間違いなく誰のものでもない、尊い自分の人生を歩んでいるということです。そして、仮に後退に見えるときがあったとしても、それは間違いなく進歩であるはずです。進歩のための後退は必ず存在するはずですから。
と、自分の人生を振り返って、断言できてしまうところが怖いですが・・・。(笑)