不思議な出会いがあって、お詫びするに至ったこと①
実家は曹洞宗である。
私はそうと意識していたわけではなくて、卒論を書く過程や、あるいは現代文を教える中で、真言密教が素敵に思えたり、あるいは北陸に来て浄土真宗が多くて、その土地の雰囲気から惹かれたりしたけれど、尊敬する稲森和夫さんが臨済宗であることからも、どうも禅宗に惹かれるところがある。
初任の高校が、宗教法人をバックにする学校で、その大本になる方が禅宗のお坊様だったことや、もっと大本は真言宗であることとどこか関連があるかもしれない。
大学で頭でっかちに育っていたところに、まったく違った考え方の学校に赴任して、そこはまた母校とは真逆の学校であった。
真逆の価値観を教わるというのは、それを突き抜けて自分の価値観を確立できればいいが、そうでなければ結構しんどい。
当然のごとく苦しんだ。
よくはわかっていないが、岡倉天心の『茶の本』の一節にもあるが、そもそも相対的な考え方をする。
心頭滅却すれば火もまた涼し
という教えもある。
また、修行が進んだお坊様ほど日常の些末なことをするようになっていて、そこから教えを体得していくらしい。
カンカンに教えをというよりも、いつもの自分らしく、とにかくわかるまではやってみようと思っていたのだろう。
当然自分の中には批判も拒絶もたくさんあった。
系列の短期大学には、「妻の道」という講義があったらしく、それはそれで関心があった。
自立系の考え方の私の周りにいるのは、結婚するのが楽しみな女子生徒たち。中には自立したい、国連で働きたいなどと主張する子もいたが(その生徒はその後、大学の後輩になった。)、それを聞きつけた教務主任は、
何のかんの言って、女性の幸せは家庭に入ることだ・・・。
と言ってのけたらしい。
洗濯場で一緒になった生徒は、洗濯機を前に、
先生、結婚したらこういうの、みんな自分のものになるんだよー。
と夢見るように言っていた。
ちなみに、結婚するときは、この人のために一生縁の下の力持ち、内助の功に徹すると決めていた。そんなこと、結婚して一か月もしたら、弱気にならざるを得ない程度の決意だったが、近くの小学校の、新任と思しき若いお兄さんのような先生が、これまたひよこのようにかわいい一年生を引き連れているのを見て、じんわり来ていた。学校現場が懐かしくて仕方がなかった。
そんな私だから、婚礼道具の中の鏡台を選ぶときに、わざわざらしくないデザインのものを選んだ。
自分の性質などどこかにやってしまおうと考えていたに違いない。
結婚してからも、教壇に立つよりはピアノの先生のほうが夫の仕事の上でイメージがいいだろうと、そっちに走ろうとしたこともあった。なぜか縁がなかったけど。
話は大きくそれている。
とりあえず禅宗が好きである。
相対的なものの見方といえば、老荘思想も大好きである。
知的で客観的ないわば論理的な荘子が知的イケメンぽくて好きだったが、最近は老子の大きさに魅了されている。
それに、卒論で扱った上田秋成の『雨月物語』の「青頭巾」でも、最後には禅宗の禅杖で一喝し、迷った禅師が成仏するという場面がある。禅宗に憧れるのも当たり前。
そういえば、卒論で秋成をやった私は、その原典にちゃんと当たったわけでもないのに、知的な秋成の知識を読みかじって?ちょっとずついただいた。
中でも、漢文の知識をいただいて、ある表現が好きになり、娘にはそこから命名した。
そんなこんなだったが、父が亡くなり、曹洞宗であることに目覚めた。
婚家が当たり前に浄土真宗だから、そちらの方への気持ちのほうが強かったが、母が私の下で暮らすことになり、私はいきなり憧れの曹洞宗が突然近いものとなった。
都会に住んでいると、そうそう自分の家の宗派を意識することなどない。
それはせいぜい親の代のことになってしまう。
新婚の頃、夫の店内旅行で連れて行かれた永平寺に納骨に行くことになった。そういう意味では、東京にいる兄、兵庫にいる妹よりも、私が都合がよかった。
ついでに私はお経が好きである。
いや、お経というよりも、お祈りの言葉全般が好きである。
かつて務めた学校で、週番が回ってきたら、朝、教職員心得をお誓いする校長先生の後だったかに、週番がお祈りをして、今日一日生徒のために一生懸命に仕事をすることを誓う。
お祈りをバカにすることなかれ。
この一言を朝思うかどうかが結構教職に就いているものの、キリスト教的に言ってみれば良心に訴えるものである。
知的なことだけでなく、身体を作り、品位を高め、など生徒を思う言葉が続く。
教えられたことは身体の中にしみこんでいるもので、今はたかが塾をやっているだけだというのに、えこひいきしていないか?偉そうになっていないか?などとあれこれあれこれ我が身を振り返る。
その週番のお祈りをした私に、
なんか感じいいから、来週もやって。
やっぱり違うねえ。(何が?)
と言ってくださる先輩の先生方がいらした。
まだまだ教師としての自信がなかった私には、本当に嬉しい言葉だった。お祈りだけはいける?というように。
その後息子がカトリックの幼稚園に入園して間もなく、私は仏教系の学校に勤めることになった。
入園して間もなく、息子は一緒にお買い物に行きながら隣で何やらぶつぶつ言っている。聞いてみると、
父と子と精霊との御名においてアーメン・・・。
と一生懸命に習ったばかりのお祈りを気に入ったようで唱えているのである。
この子は大体において乗りやすい。
里帰りで大阪で生まれたとはいえ、三つになる直前まで札幌で過ごしたので、基本は標準語である。それなのに、幼稚園に入って、お友達の言葉を真似して覚えてくるのが嬉しくて仕方がないようで、ニヤッと照れた様子で、
○○ながいぜ・・・。
○○ながいよ・・・。
と本当に嬉しそうに話すのである。
その当時の彼にとっては、当然のごとく、標準語よりも地元の言葉が上等そうだった。それは今だってそうだろう。お国言葉は誰にとっても大事である。
だから、どれほど大阪のイメージが悪かろうと、大阪出身者に対して、大阪へのイメージを語ったり、大阪の人嫌いなどと言う人の気持ちがわからない。
そんなことを大多数の状態で言うなら、大阪駅の真ん中で言えるのか?という話で、それって小さいことだけれど卑怯だと思う。思ってきた。
それと同様に、大学生活で京都に出てきて、故郷のほうが・・・、という同級生にも辟易していた。わかるけど、気持ち。それはやめようよ。
どちらにせよ、お祈りにハマりやすい親子である。
私はその頃、シスターのお話を聞く会にも出席し、何がなんやらわからないけれど、お祈り好きは変わらず、神社やお寺に行っては神妙な気持ちでお祈りし、そして教会では息子と同じお祈りをし、そして自分の勤めた学校のことも忘れたりしなかった。
お祈りはいい。
ちなみに妹は真言宗の学校を出ている。
彼女は毎朝?違うかな?般若心経を読んでいたらしい。
何にもない公立の、ある意味さばさばしたところに通っていた私は、その雰囲気に少々憧れていた。
教員をしていたころ、若造の私に何ができる?とばかりに、
私になど到底できるはずのないことをさせていただいているのだから、ちょっとは助けてくださいよ・・・。
とばかりに、神様にお力添えをいただいたくお願いしていたものだった。だって、年の差そう大きくない相手数十人を相手に、自分の力だけでは授業などできるわけがない。
そんな経緯があり、父のためにお坊様をお呼びするに至った。
こちらで曹洞宗のお坊様をお呼びするのは結構大変だった。
なにせ、ほとんどのお寺が浄土真宗。
あちこちに電話したり、行ってみたり、ネットで調べたり。
ちょっと遠いが写真で見て、程よさそうなお寺を見つけ、やっとお電話してみると、
その辺やったら、○○寺さんや、○○寺さんが近いから、そちらに頼まれたら来てもらえますよ・・・。
とのことだったが、それって国宝級のお寺である。そんなん頼んでいいんかいな?
そうこうしているうちに、フェイスブック友達の方が、
ここのお寺はとんでもないお寺・・・。
と書いておられるのを見て、もうここしかない、と思い詰めた。
雨の日だったが、お電話でよりも、と思い、直接に出掛けた。確か病院の帰りだったかな?
そしたら電話が掛かってきて、来てくださることになった。
そういう経緯だったが、先日、そのお坊様がとんでもないお坊様だったことを知るのである。
こんな出会いってある?
確かに大阪に比べたらこちらの世間は狭い。
ツークッション挟んだらみんな知り合い、とおっしゃった方はいらっしゃった。
でもでも、そのお坊様が、まさかそういう関係のある方だなんて。
もう恥ずかしすぎる。
どうしよう?
ということを知ったのは先日である。
どうも恥ずかしい私の人生を象徴しているかの出来事だった。
それも相当にやらかしてしまった。あああ。
話は続く・・・。