リトル・マーメイドでパンを買い込み、イタリアン・トマトでケーキセットを食べました!
昨日、もう結構疲れてしまい、教室に行く前にちょっと何か悪いことをしたくなった。
母は、私に自分の小さな症状について、そう、治療もしないと言われた、大したことない症状について、病院帰りに、
私が、○○だったから・・・。
と反省したら、
それもあるわなあ・・。
と大阪弁で私の過失を認めるような、いわゆるはっきりしたことを言われ、一瞬カチンと来たが、ここで何か言うと喧嘩になるだろうと思い、黙っていたが、もうその他であちこちであれこれあり、もう限界になり、かつて小さいころの息子が、甲高い声で、真に迫った言い方をしていたように、
もう、いやーだ!
状態になってしまった。
教室での生徒の状態にあれこれ対応しているが、今、そういう精神状態で、私が切れたら終わりだと思っているのだけれど、まあ、男子だし、結構なことを言ってくれる。これもかなりのストレスである。なぜなら、もう、自分でどうしていいかわからないほど彼が抱えているわけで、それに対応している中で、まあ、言わばいい子で来た彼が、誰かに何かを発言してみるということをしている過程にいるわけで、まあ、聞くだけ聞くつもりで入る。
その状態を母は知っている。
それに、私が働いていることをまあ、気にしておられるご近所の、あれこれも結構来ている。
先日の私の大きな誤解ではあるが、乳がんの疑いで病院に行き、その次の日も病院で、徹夜明けのような日のあった私には結構堪えた。
その帰りの時のことである。
もう、やってらんない!
と思っていた。
それをとうとう表現してしまったのが昨日。
母と私は母としてのタイプが違うと思う。
私が母の立場なら、子どもたちに、そういうことは絶対に言えない。
だいたい、尊属の悪口を言ったことがない。
愚痴を言ったこともないが、母は、ちょっと気を許すと、まあ、出て来る出て来る。これは両母共通。
それを聞くのが嫌だった私は、子どもたちが小さいころから、そういう話は絶対にしなかった。
ただ、ママ友に言われたことで悩んでいたことくらいは見ていたからわかっていたのだろう。
耳年増の息子など、おばちゃん状態で、何でも耳ダンボなので、いきなりママ友に談判し始めたことがあり、なんでも、
放っとけ!
状態の父親に比して、母と姉は守らなくては、という人?で、このあたり、家族のバランスというものは実によくできているものだと思ってきた。
母は、
家族やと思って・・・。
とか、
みんなにお嫁さんでなくて娘さんやから何でも言えて・・・。
と言われるし、私に気を許してくれているらしい。
私は、子どもたちに気を許したことなどないし、いくつになっても親は親だと思っているので、母の感覚は私にはわからない。
こういう責任論で語る娘はきっと気難しく思われていることだろうけど、私は子どもたちに甘えることができなかった。ずっと。
そこで、もう抱えていることに無理が来てしまったようで、ちょっとばかりワルがしたくなった。
教室に出勤の前に、教室には右方向なのに、左方向に行き、高岡駅に向かい、
そうだ!リトル・マーメイドで、思いっきりパンを買って来よう!
と思い着いた。
パン屋さんの中で、私はリトル・マーメイドが一番好きである。
美味しいし、もっともたくさんの人と思い出があるから。
まずは札幌から帰って来て、駅前に素敵なパン屋さんがあると目を付けた。
ちょっと子育てだけしているときには高くて買いにくかった。
それも思い出。富山市の先輩の奥様のところにまだ幼稚園に行っていなかった息子と一緒に遊びに行ったときに、たくさんお土産を買って行った。
それから、勤めていた会社(教育産業)の理事長のお家に家庭教師に伺っていたときに、そのお家の並びにもリトル・マーメイドがあり、ちょっと早く着いたときには、そのパン屋さんに行き、コーヒーを飲んでいた。
それもちょっと思い出。
それから、地元で、医学部を目指していた、本当に大好きだった生徒さんの指導の時間を忘れていたことがあり、それが申し訳なくて、彼の大好きなリトル・マーメイドのパンを買い込み、それは六百円買えばお皿をもらえる日に当たり、三枚もらってきた。もちろんそのお皿は自分の物にした。だってお皿好きだも~ん。
お詫びのしるし。どうぞ。
と差し入れした。
彼はとんでもない甘党である。
明治の板チョコが箱に入っている、結構たくさん入っているチョコレートを、私が見詰めても一枚もくれずに、ペロッと平らげてしまい。学校の先生も心配されるというほどだった。
ある日、彼は、リトル・マーメイドでくれるシールを、
要ります?
と言って、自分がもっている分のシールをくれた。
私が、そこのシールを集め、景品をもらえるのを楽しみにしていたから。
リトル・マーメイドって、このシール集めるのもあるけど、実は十八日に行くと、六百円以上だとお皿とかグラスとかもらえるんだよねえ・・・。
私、おの間、お皿三枚もらったの・・・。もう一枚ほしかったなあ・・・。
と言ったら、びっくりして、
どんだけ買ったんですか!?
と友達のように聞かれた。
あの日よ・・・。私が遅刻して、あなたにお詫びのパンを差し上げた・・・。
と言い訳したが、家の分もたくさん買っていたのは事実だった。
その恙なく現役で合格した彼の後輩が、同様に、同じ大学の同じ学部に進学を希望していて、きっと彼のことを話したことがあったのだろう。昨日は、同じ明治の板チョコを小さくしたのがたくさん入ったチョコレートが机の上にあった。
私、あなたに話したかしらん?
と訊いてみると、そうらしく、彼はその先輩にあやかりたいとでも思っている様子である。
もう一つ、健康DAKARAも彼との思い出の中にある。
考えてみれば、家族はもちろん、友人や生徒たち、そして保護者の方々との思い出の中に、あれこれ思い出を象徴する物や出来事があるものである。
リトル・マーメイドのお店を出て、駐車券をもらいに行ったら、わずかに数十円足りなかったので、大盤振る舞いで、気になっていたアップルパイも買って、レシートの金額を合わせた。
めでたく1時間分の駐車代金が無料になった。(笑)
嬉しい。
でも、そこで、帰ろうと思ったけれど、ふと隣のイタリアン・トマトが気になった。ケーキ・セットがある。
イタトマは、あまり行ったことがない。
学生時代に友達と有馬旅行に行った帰り、神戸で寄ったような気がするけど、それくらい。イオンの中にあるけど、大人になって入ったことがなかった。
一人でカフェに入るのは、ちょっと久しぶり。
1人が寂しい友人たちとは、えらい違い。
でも、一人になりたいときもある。
思い切って、ケーキセットを注文することにする。
なぜ思い切ってかと言うと、ダイエット進行しなければならないからである。だいたいストレスがあると、ダイエットは中だるみを迎え、こういうことになる。
本日のケーキセットを注文する。
ドリンクは、大好きなアイス・アール・グレイ。
今回は、甘いミルク入りにしてみる。
ストレートの気分ではない。
思い切り良くないことがしたくなる。
ダーク・モードな私の気分である。
そうそう、有馬温泉の帰りに神戸でお茶した彼女は、私と仲良かった文学部の男子と付き合ったのだけど、そのとき、私と彼が、
お似合いやよ・・・。
と言っていたのである。
これってひどくない?
いやいや彼氏がいるのに、そういうことを言わせる私も良くないけど、彼女は勝手に私をライバルにし(これはかなり無理のある設定だと思うけど?)、勝手に勝ったことにしていたようである。
いや、これは、イタトマではなくて、梅田の丸ビルにあった?クリヨンでのことだったかもしれない。
でも、なぜかイタトマと言えば、彼女を思い出す。
そうして、その彼とは、結婚前に、これまた梅田で会って食事をし、まあいわば北陸に嫁に行く私とお別れ、ということだった。(この彼の話をすると生徒たちは、なぜか私が二股をかけていたということにしたがる。(笑))
そのときにはもう二人は別れており、確か彼女はほかの人と結婚していたのだった。
そして、三月三十一日に結婚した私は、お盆の頃に里帰りし、娘がお腹にいるというのに、京都の岡崎公園にある美術館まで、フェレンツェ・ルネッサンスを観に行こうとし、体力に自信のある私は、阪急の四条河原町から、夏の暑い日をてくてく歩き始めたのである。美術館に着いた頃には、フラフラで、車いすを出しましょうか?と言われる始末で、タクシーで、また阪急の駅まで帰った。
この時に、○○君に連絡すればよかった・・・、と考える私も自覚がないが、晩秋の頃、はがきをよこした彼が、
また遊んでやってください。
でも、まあ、○○は人妻だから、~、とかなんとか書いてあり、
そうか、人妻なのか・・・?そういうことはできないのか?
と変なことを考えた。
だいたい学生時代は、
あんたは、ふつうある、男性との垣根がなさ過ぎる!
と周りの女子にに怒られていたので、私は女性だという自覚はもとより、人妻だなどと言う自覚に、大いに欠けていたらしく、妊婦で、里帰りの折には、あまりに勉強できない生活に呆れており、そんなはずだと思っていなかったので(勤めていた学校の先輩たちには、「お前は、主婦になったら本が読めると思てるやろ?」という、なんともおかしなことを言われていた。(笑))、ここぞとばかりに文化に触れようとして、言わば初の挫折を味わったのである。(笑)
それから、男性ともほどほどに距離をとることに努め、こちらに来てからは、貞淑な妻になるよう努力していた。もちろん。
でも、文学部にいた頃のように、男女別なくいろんな話ができたり、休校の時に、ちょっと映画に行って来よう・・・、と学校を抜け出したりした、あの気楽さが懐かしかった。
男性の怖さなど全然わかっていなかったし(これはあまりに危なっかしいと周りに呆れられていたが。)、思い切り男女の友情を信じているタイプだった。いちいち男性だとか女性だとか区別しないでほしかった。というより、当時は男子の方が気楽だったという方が正しい。周りは男子が多かったし。
ということで、いろんな人との思い出が、いろんなものやお店と絡んでいる。
というだけのお話なんだけど、お酒が得意でない私は、せいぜいケーキかパンか、プリンかシュークリームで大丈夫。いまだにお子様。
だから色気がないので、当時は女の子扱いもされず、あれこれやっていたのかもしれない。(笑)
今もあちこちで、子ども扱いされている。
なんでやのん?あまりに色気がないからかな?
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