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運のいい人か・・・。

先日から、私はnoteにしいたけ占いのしいたけさんがいらっしゃることを知って、初めて記事を読むために、数回お金を掛けました。

タイミングの良いことに、こんな素敵なお知らせがありました。

運が良い人について書いてありました。

私は、間違いなく、運だけで生きてきました。

タイミングの良さだけは、天下一品。

なんだか、自分に合った話が転がり込んでくるのです。

これは、私が国語の教師をしていることと関係しているかもしれません。

今まで、一生懸命仕事をし、あまりに疲れてお休みし、またしたくなる頃にはまたまた国語の先生がいるので、みたいに、途切れることなく仕事がありました。

また、お休みすることにして、ご挨拶に伺った、ある高校の理事長は、一緒に着いて来てくれた夫の横で、

あんたは、一生食いっぱぐれはないわ。

と予言めいたことを言ってくださり、その後、ある学校の先生に推薦までしてくださったこともありました。

国語の先生は、絶対数が少ないのです。

かつては、国語の教師、って、まるで勉強してきていないことの証明みたい、などと、他教科の先生方を敬意をもって見つめていました。

この辺りも、運の良さのような気がします。

教員になりたかったのは、なりたかったのです。

本当は、社会の中学校の先生になりたかったです。

でも、今、高校で国語を教えていたことが、どれほど自分の身を助けてきてくれたのか?ということを実感しています。

国語は私を助けてくれました。

国語と一緒にいさえすればなんでもなんとかなりました。

子どもたちへの心配も、その他人間関係のあれこれも。

何か言われても、国語ができる、というのは、根拠ない自信につながりました。

一方、私は、相手が絶対私を離そうとはしない国語を裏切り、振ろう、としたことは何度もあるのです。

そうそう努力もしないで手に入れたものの有り難みは、なかなかわからないものです。

浮気相手は、ときに数学であったり、もっと大部な社会科学系統の分野であることもありました。

でも、仕方なしに、ではなくとも、私はやはり、国語に戻ってくるのです。

昨日、国語の指導をしていて、自分も高校時代に教わり、指導するのも、もう何回めになるだろうかわからない文章と再会し、私はなんだかつくづく国語との縁を思ったのです。

現代文、ことに評論は、どんな分野の勉強とも繋がっています。小説は、昔の作品を読んでは、

ー あー、やっぱりこの人天才やわ!

と唸り、最近の作家の文章を読んでは、

ー 出会えた!こんな人いるんだ!

となります。

古文は、ついつい共感してしまい、今時風の言葉で言うと、

ー 言うて、私、日本人やなあ。

と感心し、

漢文を読んでは、勇ましくなったりするのです。

寂しいことに、決して手を抜いているつもりではなく、そうそう予習も必要でないほどの年になり、若い頃の、

ー わからなかったら、どうしよう?評論、オチまでもっていけなかったら、どうする?

などというドキドキが懐かしくもあるのですが、それは、逆に、私が、これが、要点、と思ったところには、必ず教科書や問題集にも、問いとして書かれてあって、とりあえず、物事の中心は、わかっているのだなあ、と捉えることにしています。

私は、わからないことをドキドキしながら進めていくのが大好きです。

今経営している教室もそうでした。

開業当初の、あの、どうなるかわからないドキドキ。

あの、ハラハラが非常に懐かしくもあるのです。


明日の自分はわかりません。

でも、いろんなことがありながらも、ずっとずっと私と一緒にいて、私を守り続けてくれた、国語という教科と巡り会うことができて、私は、心底運がいい、と思っています。


それから、私は、先日から、私を悩ませていた件について、姿勢を変えることにしました。

同じ出来事、同じ想いでも、自分を被害者にするか、その出来事や想いを積極的な意味に捉えるかで変わってきます。

私は、かなりポジティブな方です。あまり人を恨んだりも得意ではありません。

でも、どうしても、被害者になってしまう相手がいました。あなたの〇〇で、という気持ちが、どう頑張っても消えなかったのです。超超身内。

その相手はまた、自分がいかに被害者であるか?を私に説くのです。いつも。

私は、気持ちを受け止めてほしいだけですが。

そこで、私は態度を変えることにしました。

姿勢を変えることにしました。

きつい言い方をすると、相手と同じ土俵からは完璧降りることにしました。

私が、〇〇で困った、と話せば、自分の話を延々とします。

もう諦めよう!

決めました。寂しいけれど、たぶん、一生、私が何を言っているのかは、伝わらないと思います。

自分がとっくに乗り越えているのに、わざわざ、その乗り越えたことを掘り起こしに行くために話しに行くのは止めることにします。

期待してしまっていたなあ、と思います。

そんな、誰かとの会話で、言いたいことを全部言わずに降りる、そう決めている人、かな?しいたけさんがおっしゃっていらした人に共通点を見出し、この際、それを、最後の最後、期待してしまいがちな人にも応用しようと思ったのです。

考えてみれば簡単。

今だから、そう思えるのかもしれません。

また、感情が湧き上がってくるかもしれない。

でも、とりあえずは、言わないことに決めます。

しいたけさんの、どこか、落ち着いた、なんだか、ちょっと諦念めいて、達観したかのような語り口が、落ち着かせてくれているような気がしています。

今日は、お休みをいただきました。

この後も、甘えて、休ませてもらおうと思います。



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