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トランスジェンダーの母
私が9歳の頃母親が蒸発して父とは離婚した。
後に分かった事だが、離婚の原因は母の浮気だった。浮気の相手は高校時代の同級生の女性。母はトランスジェンダーだったのだ。
母の幼馴染の方から聞いた話しだと、学生時代から母の恋愛対象は女性で、自分自身の心の性は男性だったらしい。心の性は男性なのに、無理やり男性との間に子供を作らなければならない母は、相当苦しかっただろう。
現在でもLGBTQへの理解は充分とは言えない世の中であるのに、30~40年以上前にはとても理解されるものではなかっただろう。今の私だったら理解し受け入れることができるが、子供のころの私にはとても頭で処理できる問題ではなく、ただ母親に捨てられたと思うだけであった。
私の産まれた地域では、田舎特有の古い考えで男の子を産まなければいけなかった。姉を産んだ後も私が産まれるまでずっと苦しい思いをしたため、私のことが憎くて仕方なかったらしい。逆に女の子の姉のことは可愛くて仕方なかったようだ。現在ではニュースになるような虐待も日常的に受けていたのだが、当時はそれが普通の躾なのだと思っていた。
うつ病が再発する前はLGBTQの友達も、私にはたくさんいた。悩みや苦労などもたくさん聞いたことがある。当時の母も同じ悩みを抱えたまま成長し、家族にも誰にも相談も出来ずに相当苦しみ抜いたのだろう。
ふと「お前なんかいらなかったんだ」と何度も言われたことを思い出した。その時にはただ悲しいだけだったが、今になればその言葉に意味がわかる。
母は数年前祖父の葬儀で二十年以上ぶりに会ったきりで、今どこに住んでいるのかも知らない。その時の母は、見た目も名前も男性になっていた。性転換手術を受けて現在は男性としてパートナーと幸せに生活しているらしいことは祖母から聞いた。母の念願が叶ったということは、息子という立場ではなく、一人の人間としては喜ばしく思う。
息子の立場になってしまうと、浮気相手がどうこうではなく、あの時捨てられていなかったら私はもっとマシな人生だったかもしれない、と思ってしまうのだ。そんなことは関係ないのだろうが、今の現状を誰かのせいにしてしまいたくなるというだけなのだが。
これからの世の中は、LGBTQやその他のマイノリティーに対してどう向き合うのかという事が重要になってくるのだろう。現在でも私が子供の頃にしたような苦しみを抱えている子供たちがたくさんいるのだと思う。セクシャルマイノリティとその家族との関係性、世間からの偏見、差別的な見方を変えていき、自身の心の性、恋愛の対象になる相手の性は自由でありそれぞれの個性なのだという事をもっと認識させていかなければならないと思う。
こういった事例も、人それぞれ考え方の違いがあり、私の考えにも賛否はあると思うが今率直に思う事を書いてみたものである。
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