「居るのはつらいよ」~無給のケアはなくてもよいものか~
※東畑開人「居るのはつらいよ」の読書感想文です。
セラピーとケアの価値を比べる意味とは?
私が専業主婦で新生児を育てていた頃、夫は「働き方改革」が提唱される前だったので、朝から深夜2~4時まで仕事をしていた。月の残業時間は100時間を超えていた。
子どもは音や触感覚に敏感な子だったらしく(後になってわかったが)、寝かしつけに何時間もかかる子だった。
夫が働いている間、私は子どもが寝つくまで、何時間も立って左右に揺れながら抱っこし続けた。そうしてやっと寝てくれたら、今度は起こさないように胸を子どもにつけたままベッドに寝かせ、すぐには剥がさず、完全に寝たのを確認してから静かに胸を剥がす技を身につけていた。
しかし、苦労してやっと子どもが寝たタイミングで、深夜まで残業し、終電も終バスがなくなった夫から「迎えにきて」の連絡が来る。子どもを置いていくわけにもいかないので、せっかく寝かしつけた子どもをチャイルドシートに乗せて、高速道路に乗りアクアラインを運転して、往復80kmのお迎えに行った。
そんな生活が続いたある日、「疲れた」とか「辛い」という旨の弱音を吐いた私に対して、夫が「(子育てより)仕事の方が大変だ」と言った。
その時、頭の中で何かが「プツン」と切れる音がした。
セラピー>ケア なのか?
誰かに役立つ仕事をしてお金をもらう行為をセラピーとするならば、お金がもらえない子どものお世話はケア。介護もそうかな。
もちろん、お金がなければ子どもは育てられないのだけど、オムツを替え、おっぱいをあげ、お風呂に入れて、寝るまで何時間も抱っこをするのも要らないかと言えば、子どもを育てるためには要る。間違いなく要る。
セラピーはお金がもらえるから価値がある、ケアはもらえないから価値がない、そう言い切れるだろうか。
無限に湧き出る必要な仕事=ケア
セラピーには時間の区切りがある。
期限もある。
ケアは目に見えない、お金にもならない仕事が無数にある。
しかも、終業時間もなく24時間続く。
やらなかったら、最悪、人が死ぬ。
ケアはなくてもよいものですか。
なくなったら、困る人がいませんか。
もう一度、考えてみてほしい。
ケアとセラピーの価値を比べた末路
あの日の「プツン」の音をきっかけに、私の中の夫像は一気に変わってしまった。
1秒でも長く一緒にいたいと思った恋人の姿は消え、一つの命を守るために働く運命共同体に成り代わった。
私は今の使命を全うするだけ。
人知れず誰かのケアをしている全ての人が、幸せでいられますように。
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