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【HILLOCKのヴィジョン⑦】一人一人が主人公
今回はHILLOCKにおけるスクール憲法「ヒロック宣言」の第5条解説です。
全文はこちら。
5.(民主的学びの定義)シェルパ、コゥ・ラーナーは立場や人数、前例や常識のみにとらわれず、民主的な意思決定と判断、表現をする権利を持ち、そのために必要な物事を学ぶ権利をもつ。
第5条は「民主的学び」を定義しました。
そもそも民主的とはなんでしょう?
民主主義とか、民主的な決定と言われると、多数決を想像してしまいませんか?
多数決は、確かに便利な方法ではあります。
しかし、見方を変えると、少数派を切り捨てる選別方法でもあるのです。
皆さんは普段、なにかを決める時、どのような決め方をしていますか?
「偉い人が決める」「年長者が決める」――職場や家庭で多いかも知れません。
「多数決で決める」――政治では多いですよね。
「前例に従う」――イノベーションの起こりにくい業種は、わりとこの方法。家庭も多いかも?
「常識に従う」――常識、正しくは「誰かが常識と思い込んでいること」が基準となる決め方なので、上のどれかと重なってくるかもしれません。
以上の方法は、確かに決定速度は速いかもしれません。
しかし他方で、少数派やイノベーティブの種を踏みにじっていることにも、自覚的である必要があると思うのです。
民主的な
民主的とは、読んで字のごとく「民が主」なわけです。
一人一人が主人公で、かけがえのない存在。
どんな境遇であろうと、権利としては平等にもっていてしかるべきだと思っています。
たとえ年下だろうと、少数派だろうと、新しいアイデアや納得できない事柄があれば遠慮せず、恐れず進言できる権利。
それこそ民主主義の土台だと思うのです。
そう考えると、私たち大人の社会はどうでしょう?
表だって意見を言うことははばかられる代わりに、匿名の場になると平気で不平不満や、人を傷つけるような言葉をぶつける。
これが私たちの理想と掲げてきた「民主主義」だと言えるのでしょうか?
もちろんよいところもたくさんあると認めた上で。
変わらなければならない問題も多くはらんでいると思うのです。
そのために必要な物事を学ぶ権利
ヒロックでは、民主的な在り方(ビーイング)を学んで欲しいと願っています。
人はそれぞれ思いや考え方が違うこと。
違いがあるからこそ、高め合っていける存在であるということ。
意見と人格を分けて考えること。
違和感を口にできる、安心した土壌があること。
一人の意見を大切にするということは、言ったもん勝ちということではなく、みんなで頭をひねって取り上げるという行為そのものにあるということ。
どんな人の意見にも、取り上げる価値があるということ。
前例や慣習、常識を越えたところに、調和の種が隠されている可能性があるということ。
常に「自分は完璧」ではないということ。
すべての人が意見を言える雰囲気であるか、気を配るゆとりをできるだけ作っておくこと。
これらのことを知ることは、その後の人生を豊かにしてくれると信じています。
これらのことを学ぶのは、権利です。
幸せになる権利を、すべての人に保障する。
小さな社会をみんなで築きながら、体感的に学んでいく場としていきます。