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政治とスポーツのはざまで苦しむ選手たち 昨夜は千葉で、サッカー・ワールドカップのアジア2…
コロナ戦争の最前線で闘う「白衣の天使」たち今日5月12日は、1965年に国際看護師協会(本部:ジ…
私を溺愛してくれた母は46歳で早逝しました。南米を放浪していた私が、母の死を知ったのは1年後でした。横浜港から移民船で旅立つ私を、夜の京都駅で見送ってくれました。列車が動き出し、ホームで小さくなっていく母の姿がまぶたに灼きついています。写真は女学生時代の母です。
色に対する仏教界と現世のちがい仏教では色(しき)は、五蘊(ごうん)の一つで、物質的存在。…
占いを少しでも身近に感じてもらえるように NOTEで出会った方に 期間限定で「占い特典」を設…
禍福は糾える縄の如し 禍福は常に背中合わせですが、ブラジル在住時の記者時代に遭遇した、痛ましい悲劇を思いだし、一瞬先は闇の人生を噛みしめています。 ブラジルでの日本人農業者は、ガラスの粉からでも野菜をつくる、「農業の魔術師」と称賛されていますが、ブラジルの農業産品は、相場が激しく上下することから、ギャンブルだと言われていました。 日本から移住したジャガイモの栽培農家も、相場の値崩れで何度も苦汁をなめてきましたが、肥料や農薬の借金で押しつぶされそうになったときに、突然