『名前』と、わたし。~両親の想いを背負う~
前回は、わたしの産まれた時のことについてお話させていただきました。
そこで今回は、わたしの『名前の由来』についてお話しするとともに、両親の想いを改めて噛みしめてみたいと思います。
【参考記事】※前回の記事・『誕生とわたし』はこちら↓
名字のルーツをたどる
日置=ひおき?
わたしの本名は、変わらず『日置秀馬(ひきしゅうま)』と言います。
日置というと、『ひおき』と読むのが一般的かと思いますが、
我が家は『ひき』です。
親戚関係は少なく、かなり小規模の一族のようです。
わたし自身の出身地は神奈川県ですが、本籍地としては『岡山』になり、
日置家代々の墓も岡山にあります。
父曰く、先祖を辿っていくと、日置忠尚(ひきただひさ)という方がいるようで、その方は岡山城に仕えた『家老』だったそうです。
専門学生のころに、父と一緒に入った博物館に、忠尚さんの所持していた帯刀をみたことを、うっすらと覚えています。
また日置家の墓は個人名で記されたものが多く、明治時代のあたりから続く墓石が、コの字を描くように並んでいます。
およそ9基。たしか9基。
そして、お寺の裏山に、さらに個人のお墓が10数基あります。
『日置○○左衛門』『享保・天保』の文字が刻まれていますが、
正確な数とお名前が把握できないものも多々あります。
祖父の代からは、『日置家代々の墓』にまとまっています。
名前の由来
最初の名前は違った
さて、わたしの名前『しゅうま』ですが、
当初、この名前になる予定ではなかったそうです。
最初に考えていた名前は冬馬(とうま)でした。
しかし、前回の記事にもあるように1か月早く産まれ、
さらに『トンマ』という言葉があるのでいじめられないように、
という理由から、『秀馬(しゅうま)』に変えたそうです。
この秀馬という名前には
・秀…秀でた
・馬…うまのように速く
という意味が込められていると、両親から聞いたことがあります。
実際にその想いの通りかというと、あまりそうでもありません。
徒競走も速くはないし、勉強に秀でているわけではなく。
どちらかというとマイペースに、のんびりと過ごすのが好きなこどもでした。
わたしと声優の世界
声優・ナレーターという専門的・特殊な職業・生き方を選んでいるわたしですが、まだまだ秀でるには・この競争の激しい世界を速く走り抜けるには、時間がかかりそうです。
むしろ競争がなく、それぞれがそれぞれの畑で、役者の数だけ、活き活きと表現活動を行い、互いに認め合い、衣食住を安定して続けられる生活が出来るような環境であれば・各々が必要とされる世界であればいいのに、と思うこともあります。
ですが、それが難しい世界であることは百も承知。
このマイペースな馬が、どこまで進むことができるのか。
それは誰にもわかりません。
この名前とともに生きるということ
話を戻しましょう。
競走馬というよりは、牧場でのんびりと過ごすのが好きな馬に育ったわたしですが、両親からもらったこの名前と、想いは背負わなくてはならない、と考えます。
きっと、一生懸命考えてくれたでしょう。
健やかに育ってほしいと願ったでしょう。
小さい頃はわからなくても、成長するにつれて、自身が様々な経験をするにつれて、その想いを感じることが出来ます。
2020年7月現在、世界も、日本も、依然として危機的状況にあることは確かです。
誰かにつらく当たってしまうとき、何かを信じられないとき、そっと自分の過去や、名前の由来、人の想いに耳を傾けてみる。想いを馳せてみる。
そうすることで、少しだけ、心がスッと、軽くなる瞬間があります。
そこには、自分を産んでくれた両親の顔や、祖父母・親戚の笑顔が見えてきます。
秀でているわけではないけれど、速く走れるわけではないけれど。
元気に、心身ともに健やかに生きてほしいと願って・未来の息子の姿はきっと素晴らしいものだということを想像しながら、この名前をつけてくれたはずです。
その想いを背負いながら、今日という日を生きたいものです。