2年8カ月の青春、その後。
文・短歌・写真●小野田光
継続するってことがほんとうに苦手だけれど、東京歌壇(東京新聞の短歌欄)への投稿はどういうわけか欠かさなかった。2016年4月から昨年末までの2年8カ月間、毎週最低1首の短歌を東直子さんの選歌欄に送りつづけ、なんと2018年の同欄「年間賞」に選んでいただいた。
東京歌壇への投稿はわたしにとって、青春だったのではないかと思う。10代・20代の頃にも熱中した物事はあったけれど、これまで取り組んできたどんなものとも短歌は違うし、短歌の活動の中でも東京歌壇への投稿は特別だった。だから、年間賞受賞を知らせる封書を開いた時は、短歌を始めてから一番うれしい瞬間だった。でも一方で、昨年12月の第一歌集刊行後は投稿活動をしないと決めていたこともあって、今後こういう熱中には出会えないのではないかという寂しさもよぎった。この幸福感と寂寥感の合体は、青春ならではのものではないだろうか。
どうしてわたしにとって、短歌はほかのどんなものとも違っていて、その中でも特に東京歌壇は特別だったのか。おそらく「道筋」というものがない世界だからだろう。
社会に身を置いていると、明快な道筋を探る機会が増えてくる。それはおそらく学校生活が始まって以来、わたしが続けてきたことだ。ところが、東京歌壇・東直子選歌欄にはそういった道筋が見えない。道筋がはっきりしていない歌、要するに散文的説明が野暮に思える歌がたくさん集まっていて、その傾向は新聞歌壇としては異色であるとさえ思う。投稿を続けるうちに、わたしはその「色」が大好きになった。
投稿という行為と、どういう作品を作れば掲載されるだろうという思いは、常にセットであるように思う。でも、そんな方程式はない。それがこの欄の「色」だと思う。多様だし、柔軟だし、やさしい雰囲気に満ちているのに、どこか尖ってもいる。中森舞さんや櫻井朋子さんのように、どちらかというと散文的な意味の短歌は詠まないのに、読む者の心に何らかの爪痕を残すような作り手が常連になっていることも、わくわくする理由だと思う。なぜなら、彼女たちの短歌を素晴らしいと思っても、どうやって作っているのか、やっぱりわたしには道筋が見えないからだ。
そんなことを考えながら日曜日の朝、東京歌壇の紙面を眺めていると、とても当たり前のことに気づく。これらの歌を選んでいる東直子さんの短歌こそ、道筋が見えないものの代表ではないか。わたしは東さんの短歌を読むことが大好きだし、毎日何首かは東さんの短歌を思い出す瞬間がある。でも、それらの歌について論じたり、評したりできないのは、わたしが東さんの歌の道筋を見つけられていないからだとも思う。どうしてこんな歌ができるのだろう。どこからこの発想は来るのだろう。そんなことを想いながら東さんの歌を眺めている時間が好きだから、わたしはこれからも無理やり道筋を掘り起こしたりしようとはしないだろう。
たぶん、東京歌壇・東直子選歌欄をわたしと同じ気持ちで眺めている方は、たくさんいらっしゃると思う。なぜかわからないけれど胸騒ぎがすること、それが青春なんだと感じながら。
もしかしたら、わたしにとって詠む青春は終わったのかもしれないけれど、これからも読む青春は続けていきたいと思う。毎週日曜日、東京新聞を開くことは人生のよろこびのひとつだ。
国境を解かれた陸の果てに舞う百年のちの手旗信号(東京歌壇・東直子選 2018年・年間賞受賞作)
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