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強くも弱くもない/もちはこび短歌(28)

ほんとうは強くも弱くもない僕ら冬のデッキで飲むストロング
岡本真帆『水上バス浅草行き』(ナナロク社、2022年)


 「ストロング」とは、アルコール度数が高いチューハイのことだろう。「冬のデッキ」で複数の人々=「僕ら」がチューハイを飲むという歌。実に寒そう。

 この寒そうな景を思い浮かべ、わたしは「ほんとうは強くも弱くもない」という「僕ら」に気持ちを重ねてしまう。そして、自分が強くも弱くもないと認めてなんだかホッとする。

 まずこの上の句での人類の把握がわたしは好きだ。本当に大抵の人は「強くも弱くもない」と思うし、そう思って生きたほうがどこか健やかな気もする。あの松本隆さんだって『夢色のスプーン』の歌詞で「弱くもないし強くもないの」と書いていたではないか。

 でも、人って、強い自分/弱い自分のどちらかだと言いたくなるような気がしませんか。

 この歌、初句の「ほんとうは」が秀逸で、この言葉で始まるからこそ、逆に「僕ら」は強い自分/弱い自分のどちらかだと言い切ることに、ある種の憧れを抱いているという雰囲気を感じながら一首を読み通せるように思う。(最後の「ストロング」という選択もあって、おそらく若者たちが「強さ」に憧れているという状況のように読める。)でも、「ほんとうは」そうではなくて「僕ら」は「強くも弱くもない」んだよ、と言ってくれている。読者であるわたしは、その提示に、うん、「ほんとうは」そうだよな、と深く納得してしまうのだけれど、ほんとうの納得感を得るのは一首を読み終わってから。つまり上の句の提示を補強するのが下の句の「僕ら」の行動なのだ。

 わざわざ寒い「冬のデッキ」で冷たい「ストロング」を「飲む」。この過剰な感じで十分の青春感が表れているのだけれど、なんだかその過剰さにも不思議なバランスを感じる。そこに魅力があるのでは?

 これがサイダーとか麦茶とかアイスコーヒーを飲んでいたら、寒いのに何やっているの!?ってことで終わるけれど、「ストロング」なのでお酒の力で寒さと拮抗できてしまうような感覚が生まれる。酔いと寒さのせめぎ合いのようなバランス。そして、このせめぎ合いが、上の句の強さと弱さのせめぎ合いを思い起こさせているのではないか。「ほんとうは強くも弱くもない」という上の句のフレーズは、ただのテーゼではなく、この一首は強さと弱さがせめぎ合った結果の「ほんとう」の「僕ら」の歌なのだということを、下の句まで読み終わったときに感じるという算段。

 これは実景かな。確かに、気の合う仲間たちとこういうことやっちゃうよね、とわたしも思う。でも、わたしの知る限り「冬のデッキで」「ストロング」を「飲む」景を短歌にした人は岡本真帆さんしかいない。ほんとうに絶妙な景だと思う。その景の力に読者として移入させられてしまう。

 その力は、上の句と下の句のダブルの体言止めで増幅されているようにも思う。散文的には上の句と下の句の間に助詞の「が」が入るわけだけれど、当然、そんなものがなくても意味は通るし、助詞抜きをすることによって、単に定型を守るということ以上のリズムが生まれている。いわゆる切れの部分で「僕ら」「ストロング」と名詞で畳み掛けることによって、「僕ら」と強めのお酒がぶつかり合っている感じが出ている。ここでもせめぎ合いがあるのだ。強さと弱さ、寒さと酔いに加えて、僕らとお酒。どれも身に覚えのあるせめぎ合いなので、わたしは深く納得し、共感する。「僕ら」に気持ちを重ねてしまう。

 こういう歌を好きになって記憶してしまうと、そのうち、自分でも同じことをしてしまうんだな。自分が強くも弱くもないと言い切れてしまう爽快感も手伝うので。今から冬が来るのが怖い。


文・写真●小野田光

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「もちはこび短歌」では、わたしの記憶の中でわたしが日々もちはこんでいる短歌をご紹介しています。更新は不定期ですが、これからもお読みいただけますとうれしいです。よろしくお願いいたします。

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