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人間/もちはこび短歌(24)

鼻だけを逆向きに描く弟の人間の絵が賞をもらった
竹中優子『輪をつくる』(角川書店、2021年)

 竹中優子さんの第一歌集の中から、わたしのもっとも好きな歌を。
 竹中さんは「人間」という単位に興味がある歌人だと思う。短歌は「私の文学」とも言われるが、歌人の多くは自分という個人と他人、または自分と社会との関係を詠む。竹中さんにもそういったスタンスで鋭く人間関係を表す歌は多いが、時に個人の枠を超えた「人間」という単位に思い及んだ歌がある。これらも独特の切り口で魅力的だ。
 人間とは何か、という問いは答えの出ないものだ。答えが出ないからといって考えずに過ごすか、自分なりに考えてみるか。「人間」に興味がある人は後者になるのだろう。掲出歌はそういった考察が自然となされた一首だ。
 「鼻だけ逆向き」の「人間の絵」はおそらく絵画の構図としてはおかしなものだろう。描写の正確性という点では写実できていないのかもしれない。しかし、「絵」がすべて写実的でいいのか。しかも、これは「人間の絵」である。写実できる表の姿とは違う人間の真実は、「鼻だけ逆向き」の描写に宿るのではないか。事実、この歌では「弟」は「賞をもらった」のであり、他人からの評価を得ているのである。飄々とした散文的な文体が、端的に事実だけを伝えている印象を与えるが、主体はその事実に否定的ではない。この歌は家族についての一連に置かれているが、一連を読んだ印象からも「弟」の描写と受賞を良しとしているようにもわたしには思える。これはわたしの感じたことであり、あくまでも事実だけを書き、その判断を読者に委ねているところもいい。
 竹中さんの歌は、「人間」がどういうものか結論を出すのではなく、あくまでも時折その考察を行っているということがわかる点が面白い。たとえば『輪をつくる』にはこんな歌がある。

島という一本の坂 人間を乗せたミニバンの窓枠に蟻
人類を森口博子を知る者と知らない者に分けて秋雨
駆け出せば必ず会える展開のテレビドラマをひとは眺める

 これらの歌の「人間」「人類」「ひと」は確かに存在するが、存在するという以上の何かはない。「森口博子を知る者と知らない者」で「人類」は100%カバーできるが、その「分類」は社会的には意味のないことだろう。「ミニバン」に「蟻」と同乗することもあるし、「展開」の読める「テレビドラマを」「眺める」こともある。それを知ることも即時的な利益をわたしたちにもたらすことはない。しかし、考えずにはいられないのだ。すてきだ、と思う。
 答えはないけれど、その中でひとつだけ言えるのは、「人間」について考えることは面白いということだ。「弟」の「人間の絵」同様、竹中さんの人間の歌は、常にそのことをわたしに思い出させてくれる。

文・写真●小野田光
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「もちはこび短歌」では、わたしの記憶の中であって、私が日々もちはこんでいる短歌をご紹介しています。更新は不定期ですが、これからもお読みいただけますとうれしいです。よろしくお願いいたします。

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