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意味の重さを与えれば

私の地元京都は、年がら年中たくさんの観光客の方々がいらっしゃいます。

特に春と秋なんかは、公共交通機関が麻痺するくらいです。全然慣れませんよ。毎度毎度、新鮮な気持ちで「嫌どす」と思います。

また、観光客の方々は地元住民のことを、「旅行先」というテーマパークの中のキャストだと思っている節もあるように感じます。

接客の仕事をされている方たちに対してならまだしも、明らかに出勤中の人に写真撮影を求めている様子を見かけたこともあります。

それに対しても「嫌どす」という気持ちを抱いているので、罪の意識を持ってもらうために以前、観光客を断罪するコントを書きました。

こういった遠回しな嫌がらせは、今後も進んでしていこうと思っています。京都人なので。


そんな観光客の方々に、この間私もお世話になりました。

その日はバイトがあり、自転車を有料の駐輪場に置いていました。ちなみにバイト先は建築現場です。なかなか信じてもらえないのですが建築現場です。

一日中肉体労働をして、やっと帰ってこれたやで〜と駐輪場へ行くと自動精算機の前に男女二人組が立っていました。

話し声を聞く限り、どうやら海外の方々だということが分かりました。そして少し揉めていました。

早くどいてほしいな、と思いながら自分の自転車のラック番号を確認し、「私が到着するまでに離れてくれ」と願いをこめてゆっくりと歩きました。

近かったのですぐ着いてしまいました。

仕方なく後ろに並んだものの、お二人はなかなか精算をせずに「shit! shit! (クソ!クソ!)」と言い合いをしていました。

私は数字の5を押して100円を入れるだけで任務が完了する状態だったので、「お願いだから先に行かせてくれ」という思いが頭を駆け巡ります。


精算機の画面には「6000円」という文字が映っており、男性が5000円札と1000円札を一枚ずつ持っていました。

小さな頃から『金田一少年の事件簿』を好んで読んでいた私は、その情報だけで、

「この精算機は5000円札が入らないタイプのもので、お二人は1000円札を6枚も持っていないから支払いが出来ずに困っているのだ」

という推理に辿り着きました。

近くに両替機も自販機もなく、お金を崩すには、視界には入っているけれど少し歩かないといけない距離にある駅かコンビニへ行くしかありません。

それは避けたかったようでしたが、諦めたのか男性がその場を離れました。このタイミングで、残った女性は後ろに並んでいた私に気づきました。


その調子で少し右にズレてくれれば、私もさっさと精算をして「気にしなくていいんやで」という表情で立ち去ることが出来たのですが、女性はどいてくれませんでした。

う〜ん。
まあ確かに、今はお二人の順番だから私が先に精算するのは、順番を抜かされた!と感じてしまうのかもしれない。

譲ってくれないことをなんとか正当化しようとしていると、女性が私に話しかけました。

「Do you have 5000yen ?」

おそらく「1000円札を5枚持っているか?」と言いたかったのだろうと思います。

両替のためとはいえ、知らない人とお金のやりとりは怖いですし、そもそも1000円札5枚は本当に持っていませんでした。

困っている人がいたら助けることをモットーとして生きておりますが、今回は仕方がありません。

力になれず申し訳ない…という思いを込めて
「No...(持ってないやで)」と伝えました。

逆ギレされました。

「shit! shit!」

「sorry...」

「shit! shit!」

「sorry...」

「shit! shit!

OMOTENA-shit!」


" OMOTENA-shit "

"おもてなシット"


旅行は楽しめてるんや。

日本の心は「おもてなし」だと謳っておきながら、必要なタイミングでおもてなししてくれないじゃないか!という気持ちを短いながらも上手く表現した言葉。

明言はしていませんが、「おもてなしが無かった」が転じて「おもて無し」になっている可能性もあります。

ただただ不快な思いをするだけの時間になるはずが、思わぬオモシロワードが生まれる瞬間に立ち会うことが出来ました。


おもてなシット後は、「もうこいつに言っても仕方がない」と呆れた様子で順番を譲ってくれました。

私は慌てて数字の5を押してから100円を入れ、この数分の間に起こったオモシロメモリーを脳内で反芻しながら、家に帰りました。

※本題は終わりました。以下はAdditional Timeです。

少し気になったのは、女性は「怒り」という感情を全て「shit」で表現していたことです。

旅行で疲れた中での面倒臭い問題に対する苛立ちや、スムーズに事を進められなかった自分たちへの呆れ、あるいは男性とのやり取りで嫌なことを言われたなど、彼女の中には色んな種類の怒りがあったと思うんです。

その怒りを「shit」一つで表現しきってよかったのでしょうか。

そんなありきたりな言葉で、今まさにあなたを苦しめているその感情を表現しきれているのでしょうか。


他の場面でも、こういった言葉選びで引っかかることがしばしばあります。

もちろん、こんなありきたりで短い言葉だからこそ、熱を持ってその感情を届けることが出来るとも捉えられるので、要は、表現をする上で一体何を大切にしているのかということの違いなのかもしれません。

こんなに言葉にうるさくなったのは、日記を一年続けたからだと思います。

去年の11/1にiPhoneのメモで日記をつけ始めて、毎日欠かさず何かしらの文字を打ち込みました。

「ねる」だけの日もありますが、私は自分に甘く居たいので、続けようとする意思の方を重点的に尊重致しております。

日記と言っておりますが、出来事の羅列というよりは感情解放に近いです。

これまで感情を押し殺しすぎて「感情が湧く」という感覚が麻痺していたのと、何かを思ってもそれを言葉にして伝える能力が欠如していたので、トレーニングも兼ねていました。

今感じているこの気持ちを、一番そのものに近い状態で形にするという作業。いろんな言葉や表現を考えて、ゆっくりと文字に起こしていきました。

これを一年間続けた結果、話し口調が書き言葉っぽくなりました。う〜ん。

例えば、花粉症で鼻水が垂れていたときには「ハナ、垂れてるわ〜」でいいものを、

「鼻水が人中をせせらいでおります。
まるで小川のような。」

くどい。作家気取りです。

これはこれで新たな個性、思わぬ副産物とは思いつつ、真面目な場でこの話し方をするとふざけているように捉えられてしまう可能性があるので、今度はちょっとしたコントロールが必要となってきました。

成長欲を止めなかったことで起こる弊害なんてあるんですね。


昔よりは遥かにマシになったとは言え、まだ感情表現が豊かではありません。なので「嬉しい」や「ありがとう」や「美味しい」などの言葉をカラフルに伝えることが出来ません。

だからこそ、言葉を駆使してどうにか自分の気持ちを知ってもらいたいと思っています。

そうじゃなきゃ、30秒くらいで話し切れるような内容を、こんなに長々と書いたりしませんよね。

なのでこれからも「こいつの話長いな」と思いながらも「まあでもなんか頑張って言っとるわな」と心を広く、豊かに、穏やかに、応援する気持ちをもって、にこやかに、話を聞いてほしいです。


そういう気持ちこそが、おもてなしなのではないでしょうか。違うか


馬場光

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