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映画『ファーストキス 1ST KISS』は全人類におすすめ

映画「ファーストキス」を観終わったのは昨日の15時だったけれど、その後「隙あらば泣くやん」とつっこまれるほど受け取った事が沢山あって抱えきれず、寝る直前までスルスルと涙が出たせいで、今朝は目が数字の3みたいになっている。
だけど、これは私だけではない。
観終わって、号泣後の顔面を直しにお手洗いに向かったのだが、しばらく外で待ってくれていた彼曰く、トイレから出てきた女の人みんな鼻赤かった、と。わかる。

最後、松村北斗演じる駈の手紙の〝だけどね、淋しいって思いは、淋しさだけで出来てるんじやないと思う。淋しさはまずはじめに、好きだっていう思いからはじまっていて、あの日出会って、好きになったこと、なれたこと、それが淋しさの正体です。それだけ好きになったんです。”って言うの聞いて、そういうのもういいって!と耳を塞ぎたくなった。

私は寂しいを感じたくない。寂しいが怖い。だから「愛する者には責任がある」というサン=テグジュペリの星の王子さまとバラの関係をスライドさせ、愛には責任があるから、互いに寂しい思いをさせてはいけない。
○ 嬉しい ↔︎ × 寂しい
○ 出会い ↔︎ × 別れ
として、恋人との間にその言葉を都合良く採用していた。

松たか子演じるカンナも、突然駈が消えてしまった大きな空白(寂しさ)を感じたくなくて、あるいは感じられないくらい麻痺していて「私を置いて、知らない人を助けて死ぬなんて」と怒りに変換されていたように感じた。
好きで一緒になったはずなのに、どんどん心も身体も離れていって、結婚生活の大半は同じ部屋にいて互いを見なくてもぶつからないよう視界には入れつつ、でも相手の存在を感じないように何年も暮らすと、相手だけでなく自分の気持ちもどんどん感じなくなる。
夫婦をやってる時からずっとさびしくて、さびしくて、さびしかっただろう。お互いが心を閉ざしたあの感じに身に覚えがあって、見ていて胸が苦しかった。

駈の手紙の〝隣ですやすや眠っている人がいること。同じものを一緒に食べる人がいること。それは例えばタイムトラベルが出来ることなんかより、ずっとすごい奇跡的日常なのだと思います。”というのは、この世の真実で。
考古学を極めたり、SNSのフォロワーが三万人になったり、何か偉業と思われる事を成し遂げたりするより、一瞬一瞬どう生きたかでしかなくて。

〝記憶のひとつひとつが、僕の人生の宝物です。君がそこにいるだけで、僕は大きな愛を受け取っていました。”
という、この愛って、愛「される」ことで相手から受け取る愛じゃなくて、その人がそこにいるだけで自分の内側にぶわっと溢れるあたたかい何か。
これが駈の中にあるから、二十代の駈と、おばさんになった四十代のカンナでも、何回でも簡単に恋に落ちる。(それにしたって、松たか子はめちゃくちゃキュートだけど)
坂元さんの脚本一言一句聞き逃したくないし、映画の一瞬のディテールも見逃したくなくて集中して観ていたけど、ふと横を見たら、完全に忘れていたけど彼が居て、視界に入った瞬間(うわっ!いる!)と感動して、泣きどころではない前半で泣いた。

彼に「この映画は冷え切った夫婦におすすめだね。」と言ったら「そうかな。一人で見ても意味ないと思う。でも、冷え切ってたら一緒に映画観ないしな。」と言ったが、愛は自己完結ではないのか?
相手の言動次第で自分の態度も変えるならそれは愛じゃなくて、二人の関係性の上で勝ちたい(優位に立ちたい)、お前が変わるならこっちも変わるけど?という自分からは出したくない損得勘定ではないのか。

観終わるまでは、別れを、寂しいを感じたくなかった私だったが、
もし三年後、いや三ヶ月後、いや、三日後?、うん、三分後に死に別れるとしても、この人を愛せた、この人生がいいと思うようになっていた。

妨げていたものが溶ける、素晴らしい映画をありがとうございました💐

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ひかり
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