寄り添う心で
親の価値観が、40代になった私を未だに縛り付けていることがある。
いや、いつの間にか自分自身で縛り付けてしまっている。
私は小学生の頃からショートヘアか、肩上あたりの髪の長さだ。
髪の雰囲気を変えるのが、私の母の美容室に行く意味だ。
毛先だけそろえるのに美容室に行ったものなら
帰って早々に
『どこ切ってもらった。』
が返ってくる。
母は責めているつもりはないのかもしれないけれど、その反応に私は美容室に行くと、髪をバッサリ切らなくてはならないという擦り込みができてしまった。
父と母は結婚し、母家の横にある家で暮らした。
母は専業主婦で、夜勤のある父を支えた。
母は母家のしきたりを、忠実に守っていた。
祖母から言われることに従順だった。
母は車の免許を持っていない。欲しいと言った時に父に反対されたと言っていた。
母は仕事に出たいと言った時も
『家のことが今まで通りに出来るのか』
と父に言われて、仕事に出るのを諦めた。
父は団塊の世代。夜勤、残業のある仕事で、働けるだけ働いていた。
父は父なりのやり方で家族を支え、母は母なりのやり方で家族を支えた。
父は仕事をして家族を支えている自負があり、母のことは、家のことや父の世話をする事が当然と見ていた。
母は元来世話好きな人で、求められたことはそつなくこなしたが、できて当たり前、自分の手足のような扱いをする父の態度に、よくキレていた。
『女はこうあるべき』は父から感じられた。
母からは
『私が若い時はあなたみたいには、自由には出来なかった。』
『(あなたみたいには)孫の面倒は見てもらえなかった。』
『(あなたの夫のようには)お父さんは手伝ってくれなかったから私一人で家のことしてた。』
とよく言われた。
私は自分のやりたい事をする時、いつも後ろめたさや罪悪感があった。
自分の好きを、なかなか口に出すことができなかった。
家族の生活は、母の自己犠牲の上に成り立っていた。
女とは、母とは、妻とは。
父が母のことをありがたい存在と認め、表現できたなら。
母が父のことをありがたい存在と認め、表現できたなら。
巡り巡って、もっとお互い生きやすくなるのに。
私の両親は、父として母として、家族を支えていたありがたい存在なのだ。
両親が20〜30代だった1980年頃、働いている女性の数は専業主婦の数の約半分。
現在は働いている女性の数と専業主婦の数がその頃と完全に逆転している。
時代はあっという間に変化しているが、世代間の価値観は変わらない。
世代によって、環境、教育、価値観が大きく異なる。
私の就活は超氷河期だった。
数うちゃ当たる戦法で、自分と向き合わないままの就活は、相当厳しいものになった。
かたや団塊の世代の父は、働けば働くだけ仕事があった時代だ。
夜勤と残業に明け暮れて、頭の下がる思いだ。
父は今でもよく口にする。
『何が金の卵だ。
散々働かされるだけ働かされて。
収めた失業保険は一円ももらえず、年金はどんどん減らされて。』
どの世代にもメリットデメリットはある。
他の世代のメリットにフォーカスし、自分の世代のデメリットにフォーカスしていると、結局自分の不満だけがたまってしまう。
悪い方から捉えるクセを直そう。
両親が反面教師となって私に教えてくれている。
父も母も、本当に父母の役割を忠実にこなせる人たちだ。
ただ、素直によい気持ちを表す術がない。
私は自由を持っている。
ありがたい。
私は子どもたちを両親に預けられる環境にいる。
ありがたい。
私の夫は子どもたちの良き父で、家のこともしてくれる。
ありがたい。
私は私で、罪悪感を捨てて、感謝で生きることに決めたんだ。
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