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「もうひとつの」戦後史――成田龍一『戦後史入門』を読む

 成田龍一の『戦後史入門』(河出文庫、2015年)を読んだので簡単な感想を残しておきます。

 『戦後史入門』と題されたこの本の眼目は、学校の教科書で誰もが習うようなオーソドックスな戦後史をなぞるというところにはない。むしろ、そのような教科書的な歴史の語りがしばしば語り落としてしまっているものを拾い上げ、歴史の教科書を読むだけではなかなか見えてこない「もうひとつの」戦後史像を浮き彫りにしてみせることにこそ重点が置かれている。

星野六子と永山則夫

 『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年、山崎貴監督)という、昭和30年代の東京の下町を叙情豊かに表現して高い評価を得た日本映画がある。昭和30年代といえば、戦後史のなかでは「高度経済成長期」の初期にあたる時期だ。教科書でもお馴染みの、「三種の神器」と呼ばれる耐久消費財や建設途中の東京タワー、在りし日の都電の姿が画面を彩るこの映画は、実際にこの時代を経験した世代のノスタルジーを喚起し、また、この時代を知らない若い世代にも高度経済成長期が何となく「古き良き時代」だったということを伝えるドラマとして、非常に高い完成度を誇っている。

 しかし、この映画を観て「高度経済成長期は貧しいながらも町の人たちが絆を大事にしていた、古き良き時代だった」という認識を固めてしまっていいものだろうか。たしかに、この映画が描こうとしている高度経済成長期の日本の姿というのは一面においては正しいだろう。けれど、そんな風にこの時代を捉えることによって何か見落としてしまっているものはないか、と筆者は言う。

「ある視点から語ったときに、何か見えなくなっているものがある、隠されてしまうものがあるということに気がつくこと。そのことが頭にあるのとないのとでは、歴史への姿勢はまったく異なるものになるということを知っておいてほしいのです」(同書、p.130)

 では、『ALWAYS 三丁目の夕日』に描かれたような高度経済成長期の風景からでは「見えなくなっているもの」とは何か。それを説明するために、筆者は二人の人物を取り上げている。一人は星野六子、もう一人は永山則夫という人物である。星野六子という名前には聞き覚えがあるかもしれない。『ALWAYS 三丁目の夕日』で堀北真希が演じていた、青森から集団就職で東京にやってきて鈴木オート(堤真一演じる社長が経営する小さな自動車修理工場)に就職した女性である。「ロクちゃん」と呼んだ方が分かりやすいだろうか。一方の永山則夫の方はフィクションではなく、実在した人物だ。六子と同じく高度経済成長期に集団就職で上京してきたものの、東京の空気に馴染めずに職を転々とし、その後連続殺人事件を起こして死刑判決を受けている。つまりこの二人、集団就職で地方から上京してきたという立場は同じであっても、その後に歩んだ人生がまるで正反対だったということになるのだ。

 この二人の対比がいったい何を意味しているかというと、一口に高度経済成長とは言っても、その恩恵に浴した者とそうではなかった者がいたということである。むしろ、六子のように都会に順応して希望を成し遂げた若者というのは少数派で、集団就職者の大半は都会で深い挫折を味わって離職を繰り返したという(その後犯罪に手を染めてしまった永山は極端な例であるとしても)。

 もちろん、筆者は永山の例を取り上げて『ALWAYS 三丁目の夕日』は高度経済成長期のリアルを描いていないから駄目だ、と言っているわけではない。ここで問題となるのは、歴史の「語り」についてである。『ALWAYS 三丁目の夕日』は高度経済成長期をある意味で理想化し、明るく希望に満ちた時代として描こうとした映画だった。そのような映画を撮るためには、都会で挫折してしまった永山則夫のような上京者ではなく、都会の絆のなかに順応して幸せな人生を歩んだキャラクター(星野六子)を用意しなければならなかったのだ。もし、監督が高度経済成長期の負の側面にスポットを当てた映画を撮ろうと思えば、今度は逆に、希望を持って都会にやってきたものの挫折してままならない人生を送る若者を画面に登場させたことだろう。ここでは、高度経済成長期を「どのように語りたいか」という「語り手の意図」によって、その時代のエピソードが取捨選択されている。

「たしかに歴史の出来事(=事件)は、もうそこにあります。しかし、それをなぞることが、歴史なのではないのです。たくさんの出来事から、ある出来事を抜き出し、別の出来事とむすびつけて説明することが、歴史なのです」(同書、p.16)

 高度経済成長期という同じ時代を語るにしても、どの「出来事(=事件)」を抜き出すか、どの出来事とどの出来事をどのように結びつけて説明するかによって全く異なる時代像が現れてくるということ。どの出来事を選び、どの出来事を選ばないかという選択の背後には「語り手の意図」があるということ。筆者の伝えたかったことは、そこにあると思われる。

中心/周縁の歴史

 教科書の語る歴史は、教科書が持つその性質上、単純化という問題を避けて通ることができない。そのため、教科書における歴史の語りは必然的に「中心・中央」からの視点に沿ったものとなり、「周縁」の歴史はどこかで蔑ろにされてきたのではないかと筆者は指摘する。周縁の歴史というのはたとえば沖縄であり、女性であり、在日コリアンにとっての歴史である。教科書には沖縄がたどった戦後史(”本土”のそれとは大きく異なる)がどのようなものだったのかについての記述はほとんど見られないし、女性や在日コリアンについてもまったく同様だ。つまりここでも、出来事の取捨選択がなされている。歴史教科書の語りというのは、「本土」の「日本人男性」という「中心」に沿った形で書かれていて、その教科書的な語りに大部分を規定されている私たちの歴史感覚もまた、知らず知らずのうちに「中心」の目線に立ったものになってしまっているのではないか。

「私たちが学んできた歴史は、中心・中央の「われわれ」の戦後史であって、周縁の・他者の戦後史ということを考えたときに、その狭さが見えてくるということになります。「かれら」他者の歴史を考えることによって、歴史はもっともっと複雑で、もっともっと多様なものであるということがわかるでしょう」(同書、p.164)

 「中心」の立場から降りて、これまで「周縁」とされて意図的に遠ざけられてきた立場(沖縄、女性、在日コリアンあるいはその他)から戦後史を見つめ直してみる。そうすることで、私たちのよく知る戦後史像とはまるで異なる「もうひとつの」戦後史がそこにたしかに存在していたということに気がつくはずだ。

 最後に、歴史学を深く学んでいるわけではない私があまり迂闊なことを言うのは憚られるが、筆者をはじめとする歴史学者の仕事というのは、歴史の語りが常に何かを語り落としてしまう宿命にあるという前提に立ち、そのようにして見落とされてきた歴史を一つひとつ掘り起こして私たちの目の前に提示することにこそあるのではないか。そんなことを、本書を読んで考えた。


 本書のなかで、沖縄の歴史についてはこちらの本が紹介されていました。沖縄がどのような戦後史をたどってきたのかを知ることは、いまも残る基地問題などを考えるきっかけにもなると思います。

 また、これもいわゆる「周縁」とされてきた歴史を克明に描いた著作として、石牟礼道子さんの『苦海浄土』も取り上げられていました。高度経済成長の裏側で起きた深刻な公害病の一つである熊本の「水俣病」について、その被害の大きさを告発し、患者やその家族の苦しみをつぶさに記録した一冊です。


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