一休み
有漏路より
無露路へ入る
一休み
雨降らば降れ
風吹かば吹け
一休禅師 作
禅師の名前の一休の意味が、ここに表現されている。
有漏というのは、水が漏れること、
つまり、不完全ということである。
有漏路は、「妄想に満ちた現世」のことを指している。
ここを出て無露路へ入れば、漏れない、
「完全な世界」つまり、「自我無き意識状態」へ入る。
すると、外からの、さまざまなマイナス情報が与えられようと、もはや自分はそれに悩まされることはない、
とこういう心境になりますね!
そのような心境で一休みしようか!
と、禅師は歌われたのではないか。
ところで、人間の欲望というのは「自我の産物」
そこで、この欲望を抑えつけるのではなく、
自我そのものが、意識から退場しているとしたら、
どうでしょう。
その欲望を発する元がいないので、その欲望も出てくるはずがない。すなわち、欲望は抑えつける必要はなく、その前に消滅してしまうでしょう。
また、人間の苦しみ、我慢、忍耐というものも、
自我が消えていれば、精神的反応を
起こす本人が意識内にいないので、精神的苦痛が
生ずることもなく、したがって、そこには、我慢も忍耐も生ずるはずもない。
生気エネルギー漏れが減少し、
心身共に元気が蘇る!
あー一休み🙏