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「透明人間」を読んだ中三女子の感想
透明人間が、意外と普通の人間だったことに驚きました。
獣のような男だ、なんて言われちゃうけど、きっと衣食住も整わないし人に相手にもされないからイライラするようになったんだろうなって。
「透明人間」という言葉はよく聞いても、小説でしっかりは読んだことがないな、と気づきまして。
たまたま図書館のメインの棚に置いてあったので、読んでみました。
ヨルシカの曲にも、「準透明少年」ありますしね。
名作、と呼ばれる小説ですが、読みやすかったです。
文学って、読みにくいのだけじゃないんですね。こういうのも読んでいきたい。
ヴェルヌとか、読破できていないものも多いんですよ。
子供向けの文庫本シリーズでしたが、でも十分楽しめます。
というか、こんなのよく書いたよなぁと思って。
透明人間を夢想するだけじゃなくて、すっごく現実感のある作品だなと思いました。
透明人間になったグリフィンがケンプ博士の共感を得られなかったのって、姿というか、苦しんでいる表情が見えなかったことが一因なんだと思います。
まぁグリフィンのわがまま度合いもなかなかのものですが。
残酷な野望、逆に思いつかないものでは?と。
一旦、それは置いておいて。
解説のところに
包帯を巻きサングラスをかけたすがたがうさんくさいというだけで、彼を敵視する村人たちの様子を見ると、彼は人とは異なる容姿を持つためにおさないころから孤独で、その孤独が彼を透明人間の研究へとかりたてたのではないかという思いがよぎります。
と書かれているのですが、透明人間の悲劇には姿が見えないことが招いた誤解も含まれているのではないかなと。
やっぱり、人には人との関わりが必要だと思うんですよ。
あの村の人たちもなかなか鬱陶しいことをしていたとは思いますけどね。
要するに、人を見た目で判断しすぎないというか、排斥しない、ということでしょうか。