機能不全家族に生まれて3
引越しをしてから、大きすぎる田舎の家に住む事になった私達家族4人に与えて貰えたのは
六畳一間の小さな部屋だけでした。
私達4人以外には祖父、祖母、小姑。
その六畳一間の部屋に住み出してから私と弟以外の家族は徹底的に母に嫌がらせをしました。
母を気に入らなかったのか、憂さ晴らしで虐めていたのかわかりませんが
ジメッとした空気の中、嫌味やあからさまな虐めを見ながらの食事を毎日していました。
母はよく耐えたと思います。
父親のキチガイ全開なDVと父親の家族からの壮絶ないじめに。
小姑が怒鳴り散らし、母と物凄い喧嘩をしているのを毎日見るようになりました。
世襲の家族なので、代々長男は甘やかされたのであろう。父親が仕事が終わりお酒を飲んでべろべろになってから帰ってきても三指を着いて御出迎えする奇妙な光景。
そしてべろべろになりながらのDV。
そしてべろべろになりながらのいじめ。
そんな毎日の中で、母と小姑は鬱憤を私に向けるようになりました。
ターゲットみーつけたー!
そんな感じだったのかも。
負の連鎖で私が虐めの対象になっていったのです。
小学校2年生の私は小姑からは厳しい所作や掃除を躾られて、畳みの上でお経を読み、乾拭きで廊下や襖のサンの掃除、畳を箒ではく、玄関の掃除、庭の草引き、色々な仕事をしました。
母にはずっと今も続いていますが、悪口の相手や過干渉の相手や(構ってちゃん)、私への期待、否定をぶつけられています。
いつ宿題するの?いつテレビ見れるの?いつゲーム出来るの?
子供らしく楽しむ時間が無かった。
家族みんな仲良くして欲しい。私、家族みんなに気を遣うの疲れたよ。楽になりたい!
ずっとそう思って生きてきています。
いい子でいたり自虐的でいたり、思いつく手段を使って皆んなの仲が良くなるように振舞ってきましたし、お母さんが可哀想だから母の心が楽になるように振舞ってきました。
そんな生活が続けば続くほど、自分の本当の感情は二の次になり次第に忘れていきました。
むしろ、
全ての感情なんて無くなればいい!
と思い、色々な感情を持たない練習をし始めました。
幼い子供でも人間だから、悲しいことも怒りもあるけれど人には見せません。というか見せちゃいけないんだ!!私が頑張らなきゃ、私が強くならなきゃって思うようになりました。
何十年も感情を押し殺した代償として
未だに
楽しいって何?
と思います。
未だに
消えたい
と思います。
家族に悪いからみんなよりも不幸でいなきゃ
と思います。