見出し画像

夏に哲学

本を読むことが好きだし、ヨーロッパの町並みを観るのが好きだし、お買い物も好きだ。


消費することではなく、じぶんが生産する側創造する側に立ちなさい、とここ数年頭のどこかにあるのだけど、まあ今のところこのnoteに徒然なる日記、備忘録を書くのが精一杯のところ。


なにかを作るという楽しみ
お金のかからない趣味

端的にはこういうことをなんとなーく持ちたい、持つべき?って思ったきっかけは、ひろゆき氏の『無敵の思考』だった。


「べき論」で始めようとしたところで、それが続くわけないよなぁ、、と結局今日もボーッとするような過ごし方なわけです。まぁ、これでもいいか!って、自然を見てると思う。



今年も南の島に行ってきたのだけど、一日10分も携帯見てないような生活してて、料理する、昼寝する、海に行く、食べる、という単純で緩慢であまい生活を堪能した。


砂浜ではなく、サンゴ礁のかけらからなる海辺は、寄せる波の音がカラカラと鳴ることや、人の声も車の音もない闇の静けさが始めだけ怖いこと、ウミガメは息を吸うために水中から顔を出すこと、そんなことを知った島の夏。


これだけのことをありがたがって、幸せだなぁと味わえたのは滞在が一時だったからかしら。


「ああやってのんびり過ごす自分が嫌いになりそう」 

って田舎暮らしを、レジャーとして体験する人も、本当にそこで生きたことがある人も、等しく思う可能性はあるわけで、わたしも思ったこともあるんだけど、今のわたしはああやって贅を尽くしたいと感じた。



せめてじぶんの身の回り、じぶんの分は生産しまかなえるようになりたいなぁっていう漠然とした将来像は持っている。
作ることだって、料理以外にも洋裁やDIYはやってみたい。


頭の片隅にある程度の「べき論」 として考えていた創造というものは、「何」や「なぜ」が他人のお仕着せであったから、やる気にもならないのだけど、“じぶんの生活、こうしたい、これをしたらじぶんはハッピーだろうな”って考えて出てくる何かをツクル意欲はとどんどん具体的になって大きくなる。


それもいいよな
これでもいいよな

ってまる印をじぶんにつけていく。


それと同時に他人も、色々あって、それでいいかって、なるべく手放していく。


じぶんの思いで世界の見方が変わるということを久々に思い出しました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?