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武内宿禰と先代旧事本紀
武内宿禰と先代旧事本紀 ひじかたすいげつ
先代旧事本紀は古事記・日本書紀や古語拾遺にくらべずいぶん遅くに編纂されたが、そのためもあってか内容的にはかなり矛盾がなく、ある意味正しい歴史を表しているといわれる。
古事記は天皇家の歴史書であり、日本書記は対唐政策のための新しくできたばかりの日本国の歴史書であり、古語拾遺は忌部氏の歴史書である。そして、先代旧事本紀は物部氏の歴史書であった。
その序には聖徳太子の命により蘇我馬子宿禰がつくったと書かれてはいるが、この序の部分は後年別の者が書き加えたといわれ、その内容には誤った部分が多く、本文の信憑性に影響を与えかねないほどであるといわれている。
しかし本文にはさほどいかがわしいところがなく、物部氏の歴史書として問題のない内容であるといわれる。むしろ古事記日本書紀(記紀)よりも矛盾がないともいわれる。そのため、この先代旧事本紀を記紀よりも先に読む方がよいともいわれる。
また、序にある蘇我馬子宿禰の名は有名ではあるが、蘇我宿禰馬子と書かれるべきであるのに、蘇我馬子宿禰と書かれているのはおかしいともいわれている。
これらは古今伝授を知らない者が古今和歌集を語るのと同様に、とんでもない誤解(むしろ明らかな間違い)をさも正しいことのように広めてしまっている状況が生まれている。
万葉集にもある持統天皇の歌に、「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山」という歌がある。ほとんどの書物に「白い衣が香具山に干されている」と書かれている。そんなばかな。白い衣がなぜ夏だけ干されるのか?そして香具山には洗濯物は干されないのに。
春が過ぎ夏が来た時に咲く花-ササユリ-のことである。白いユリが衣を干しているように風にたなびく様子を夏の季語のように使っているのである。そんなことがわからずに解説を書く者が少なくない。
そして、蘇我馬子宿禰の「宿禰」も実は位を表す名称ではない。蘇我馬子も武内宿禰であったのであり、武内宿禰の「宿禰」であった。そしてさらに、そもそも物部氏の歴史書をなぜ蘇我氏がつくらなければならないのか?
蘇我氏は物部氏に勝ち政権を取ったように言われることが多いが、蘇我氏はもともと臣下ではない。初代武内宿禰は成務天皇と双子であり、天皇家である大君家と対等の大臣家であった。そのためあえて大徳の位をもらわなかったといわれる。聖徳太子の制定した冠位12階の一番上の位を大徳という。大徳冠は紫の冠であった。蘇我馬子は紫の冠は被らず、武内宿禰だけが被る宿禰帽を用いたといわれる。
つまり、蘇我馬子宿禰の「宿禰」は武内宿禰の意味であった。あえて言えば蘇我大臣馬子宿禰であった。彼は第12世武内宿禰であり、第7代大臣であったといわれる。
大臣家とは大王家(大君家)に並ぶ祭祀を行う家柄であるということであった。つまり、当時の政体(大王家)に対応する国体(大臣家)であった。後にその関係が逆転し、それをよく思わなかった者たちによって乙巳の変が起こるのである。そのときの第14世武内宿禰は第9代大臣でもある蘇我入鹿であった。