見出し画像

北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【35】12.5日目 青天の霹靂〜新たな相棒

札幌での生活は、充実したものでした。

仕事はそれはそれで色々なことはありましたが、小ぢんまりとアットホームな職場の居心地は悪くなく、日々忙しいなりに充実していました。
住まいの近くには馴染みの店もできて、そこに家族のように集まる仲間もできました。疎遠になっていた学生時代の友人たちとの繋がりが復活したのも嬉しかった。
バンコクを後にせざるを得なくなった寂しさはいつの間にか霧散し、雄大な自然と四季の移ろい、美味しい水と空気、豊富な食材に恵まれたこの土地に、戻って来られたことの幸運に感謝するようになりました。

赴任期間は3〜5年、と言われていました。
いつかはまた他の土地へ移る日が来るとわかっていながらも、この暮らしがいつまでも続いてほしいと願っていたものです。

□ 青天の霹靂

◆ 転勤の辞令…

しかし、会社の大規模な事業再編が決定したことにより、赴任の僅か1年後に、東京の本社へ戻ることになってしまいました。

自分自身もその事業再編に関わる立場だったので、私が勤めているポジションが新年度にはなくなるであろうことは、年末あたりにわかっていました。そうなれば、私の仕事の性質上、札幌に残ることもあり得ないと覚悟はしていました。

それでもなお、第二の故郷との二度目の別れは、それはそれは辛いものでした。

人の幸せとは一体何だろうか。
ポジションと収入、そして老後の安定なのだろうか。
それとも、大好きな街で、大切な人達の近くで、豊かな自然と海の幸、山の幸を楽しみながら暮らすことだろうか。
真面目に思い悩みました。

引っ越し準備のために休暇を取った2月末のある日。
札幌の転職エージェントに連絡を取り、オフィスに足を運びました。

◆ 北海道の転職事情

エージェント曰く、東京本社の上場企業に勤める者が北海道の会社に転職しようとするならば、大幅な収入減は覚悟しなければならないとのこと。良くて7掛け、場合によっては半減も覚悟する必要あり。休日にしても、土日祝日休みとは限らない。土曜日は半ドンとか、祝日は休みでないとか。
それだけの覚悟を持って転職できるか、ということをやんわりと諭されました。

こういう時、今の仕事が嫌、上司が嫌、といったネガティブな理由で転職を考えていると、収入は減ってもあれを切り詰めこれを止め、結果なんとかなるだろう、と安易に考えがちなものです。
それで人生につまづいた事例は、身近で幾つか見てきました。
計算上は収支が成り立つように見えても、実際は、それまでの生活水準を落とすというのは、簡単なことではないわけです。

私に限らず多くの人は理解していることでしょう。
しかし、いざ自分のことになると、冷静な判断ができなくなるものです。

一応、退職金で住宅ローンを返済し、その上で自宅を賃貸すれば、差し当たり生活には困らないだろう、と見込みは立てていました。
冷静に考え直せば、これだと働いている間の収支は成り立っても、老後資金などを留保する余裕はなく、ゾッとしてしまうような見通しなのですが、ともかくもいくつかの求人を紹介され、検討する事にしました。

その後の顛末としては、3月に入って本社に着任したところ、新たな部署では既に私のミッションが用意されていました。それも、代わりの効く人間がいないミッション。また、私の強みや経歴など、配慮頂いた仕事であることも理解できました。
これでは「今辞めたら、多数の敵を作り、恩知らずの汚名を着て、四面楚歌の中で退職することになる」と、着任したその日のうちに判明。
さし当り札幌での職探しは諦めました。

3月1日に本社へ一旦着任の後、札幌へ戻って家財道具を発送し、事務所へ最後の挨拶をした後、取引先が開いてくれた送別会に出て、3月5日の朝、札幌を後にしました。

▲ 札幌最後の日 JRタワー日航より
▲ 札幌最後の日 送別会の後で

◆ どうする、北海道一周

「週末北海道一周」は続けることにしました。
関東からでは、北海道までのアプローチに時間も金もかかるし、パッケージツアーなどで安く上げようとすればかなり前に手配が必要、しかもキャンセルが効かないので、天候を見定めて決めるわけにいきません。
しかし、2015年は数々の素晴らしい道を走り、絶景に巡り合い、束の間ながらも多くの人と触れ合ってきました。この先待っているたくさんの道のことを思うと、ここで断念するのはもったいなく思われました。
また、ライフワークというほどではないものの、せっかく見出した楽しみを会社都合で諦めるのも、何だか癪に触ったということもあります。

ただ、これからは、週末だけで走り切るのは難しいでしょう。連休や有給休暇も使って、少なくとも2泊3日程度の旅程を組むことが必要になります。

□ 新たな相棒

そうと決めたなら…と言うわけでもないのですが、関東へ帰任した翌月、私は新しいロードバイクを購入しました。

これまで乗っていたコルナゴ・プリマヴェーラは、2008年に、当時赴任していた仙台で購入し、その後新潟、ジャカルタ、バンコク、札幌と転勤生活を共にして来た、戦友のような間柄。これからもセカンドバイクとして乗り続けるつもりですが、長距離をより楽に走れるエンデュランスバイクが欲しくなり、スペシャライズド・ルーべを選びました。
その名の通り、悪路走破性を重視しているこのモデルは、シートポスト、フロントフォーク、さらにシートステイに組み込まれた振動吸収メカニズムの効果で、ロングライド時の疲労感が全く違います。例えば、70Km程度走った後の太腿の付け根の疲労感が、これまでに乗ったバイクとは比べ物にならぬほど軽いのです。これまでならヘタっとなってしまうあたりで、もう一度ネジを巻き直して、ピッチを上げて走ることができます。
元々は、一台のバイクで北海道一周を走り切るつもりでした。ただでさえ週末や連休を利用した継接ぎの北海道一周なので、バイクまで取っ替え引っ替えでは、柱がなくなってしまうような気がしたからです。しかし、このバイクを北海道一周で活用しないのはもったいない。まあ、誰かに迷惑をかけるわけでもなし、節を曲げることとしました。

サドルバッグも、最近流行のロールアップ式バッグを購入しました。Revelte Designというブランド。夏場の3〜4日のツーリングなら、バックパックなしでも間に合いそうなサイズです。 

「週末北海道一周」の再開はゴールデンウィークと決め、ANAのダイナミックパッケージを予約しました。
それまでの間、新たな相棒と、春の関東を走りました。住まいのある川越から、荒川サイクリングロード、日高や毛呂山の里山、奥武蔵を越えて秩父へ、さらには柴又や稲毛海岸を経て外房までのセンチュリーライド。
思い起こせば、菜の花に埋もれた道を走るのは、いったい何年振りでしょうか。春になれば当たり前にそこにあった風景が、熱帯にも北海道にもなかったのです。

▲ 奥武蔵の山里で
▲ 外房へのセンチュリー・ライドを終え、勝浦港にて

ある週末には輪行で、子供の頃過ごした木曽路を訪ねました。標高1000メートルの開田高原ではようやく若葉が萌え始め、三岳では白梅紅梅をはじめ春の花々が咲き乱れる桃源郷のような風景に和まされ、その風景を見下ろす御嶽山の勇姿を眺めながら、2014年の噴火がバンコクでも大きく報じられ、あまりに多くの犠牲者に言葉を失ったことが思い出されました。

▲ 木曽福島より、末川を遡る
▲ 開田高原にて

そして、5月4日(2016年)の早朝。
「週末北海道一周」再開のために、私は釧路空港へと飛び立ちました。

※ 最後までお読み頂き、ありがとうございました。
 次回は、まだまだ冬の様相の道東を走ります。


いいなと思ったら応援しよう!