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#32 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/中国山地の美都と灼熱の砂丘へ

9月11日(2024年)朝6時半。嵯峨野の自宅からブロンプトンに乗って京都駅へ出発。

こうしてブロンプトンと共に旅立つのは久しぶりで、GWに信州へ帰省して以来です。
その間、身辺に大きな変化があり、今月末には転職して京都を離れることになりました。その顛末とか、どこへ行って何をするかなどは、稿を改めたいと思います。いずれにせよ、8月から夢の有休消化中。次の貰い手も決まっているので、ストレスフリーでお気軽な身分。
本日目指すは、美作国・津山。

小学校だったか中学校だったか、今となっては記憶にないのですが、社会科の教科書に、地方自治や地方経済を学ぶための事例として、津山市が取り上げられていました。親類縁者や友人がいるか、さもなくば仕事上の繋がりでもない限り、気に留めることもないであろう中国山地の都市が気になっていたのは、そんな縁によるものです。京都を離れるにあたり、今行かないと多分一生訪問する機会がないだろう、との思いで、その前週末に宿を手配しました。
津山へ行くなら、併せて鳥取へも行きたいと思っていました。わたしは全都道府県へ行ったことがありますが、県庁所在地は通過しただけ、という県が6つほどあり、鳥取はその一つ。また、第三セクターとして頑張っている若桜鉄道と、その終着駅である若桜からさらに山へ分け入ったところにある「不動院岩屋」も、一度訪問してみたいところでした。

▼ これまでのローカル線とブロンプトンの旅は、こちらへまとめております。


◆ アラ還の妄想

仕事のストレスから解放され、次の仕事も希望通りに決まり、心を乱される物事が減ると、その分、しょうもないことを想い始めるものであるなあ。

転職活動をしていた7月後半のこと。採用面接の前夜、夢の中に、学生時代のバイト仲間の女性が現れました。当時は女性として意識することもなかったのに、会う機会も消息を知る術もなくなってから、彼女と交わした何気ない会話や豊かな表情が折りに触れて思い出され、もう一度逢えたらいいな、という淡い想いが、ずっと心の奥底にあるのです。
その夢を見てからというもの、街を歩いているとき、夜の嵐山を酒気帯び散歩しているとき、ソロキャンでウィスキーを舐めながら焚き火を眺めているとき、彼女が傍にいるような妄想に、ついつい耽ってしまいます。
京都を離れたのち、新しい町で偶然彼女と再会するなどという、万に一つもありそうもない物語を、つい頭の中で組み立てたりもしております。

今朝もまた、わたしに付き合って彼女も買ったブロンプトンに乗って、暑い、暑いと互いにこぼしながら、共に桂川の堤防を走っている姿など妄想していました。

朝7時前というのに、京都盆地は既に日差しが強烈。汗を拭いながらペダルを踏みます。

インバウンドで毎日が阿鼻叫喚の京都駅ですが、さすがに朝7時台は空いており、がらがらのみどりの窓口で「京都市内〜京都市内」の片道切符を購入。岡山、津山、鳥取、福知山などを経由してぐるりと周回する切符です。ネットでの切符購入の利便性がかなり向上してきましたが、こういう複雑な切符は、まだ窓口で直接注文する必要があります。

その前夜、ジムとサウナでひと汗かいて帰宅したのち、早目に床につくつもりが、プエルタ・ア・エスパーニャ最終ステージの再放送をついつい最後まで見てしまい、かなり寝不足です。岡山までの「のぞみ」車内で一眠りするつもりでしたが、クーラーが効きすぎており風邪をひきそうで、腕を抱え寒さを紛らわせていました。

◆ 津山線の旅

岡山8時46分着。津山行き各駅停車は53分発と絶妙のタイミング。
ホームにはキハ40が一両きりで停まっています。大学生風の若者が多く、70%くらいの乗車率。

発車して間もなく、留置線で待機している渋い塗装の新型やくもとすれ違い、ベネッセの本社を右手に見て、市街地の北へと走っていきます。
雨雲がむくむくと湧いていました。遠からず一雨来そう。
大学生風の若者達は、一駅乗っただけで法界院で下車していきました。この近くに岡山大学のキャンパスがあるようです。
ほどなく市街地を抜け、次の備前原からはすっかり農村風景になりました。
次の玉柏は、赤瓦の小さな古い駅舎が印象的。燕が飛び交っていました。
NHKの「ドキュメント72時間」に登場した市民農園が、右の車窓に広がりました。のんびり踏んで行ったら気持ち良さげな道が川沿いに続いています。途中下車してポタリングしたらいいだろうな、と心惹かれましたが、空模様が嫌らしい。もう少し先まで様子を見ることに。
と、いきなりカバヤ製菓の大工場が現れて野々口に停車。駐車場に従業員のクルマが並んでいます。
山越駅の先、長いトンネルを抜け、建部に到着。かつては津山街道の渡しがある重要な拠点だったよう。人家は増えましたが、見るからに空き家が多い。
ここは、かつての古き良き木造駅舎が残されています。

▲ 建部駅


神目でついに雨が降り出しました。もっとも空は明るく、明らかに通り雨と思われます。

◆ 誕生寺と北庄の棚田

このままこの列車に乗っていくと津山着は10時46分。いかにも早すぎるので、途中で寄り道に良さそうな場所をGoogle MAPで探したところ、「誕生寺」という駅が目に止まりました。近くに同名の寺があり、法然上人の両親が祀られているとのこと。
その先には棚田や溜池もあるようです。
酷暑に寝不足が重なっているところ、ハードなヒルクライムはごめん被りたいところなれど、棚田までの距離は3キロ強、キツければ自転車を引いて登っても大した距離ではありません。幸い、雨も止みました。

ということで、9時57分着の誕生寺で下車。無人の駅舎は手入れが行き届いていましたが、駅前は寂しく人影なし。農協の支店が閉鎖しているのも侘しさを増幅させます。

▲ 誕生寺駅

線路をくぐり、誕生寺へ続く参道を、ゆっくりペダルを踏んでいきました。
山門をくぐると、立派な銀杏の木がありました。

▲ 誕生寺への参道
▲ 誕生寺境内

本堂にお参りし、その奥にある法然上人の両親が祀られた霊廟へお参り。そこには以下のような縁起の説明書きがありました。

保延7年3月、法然の父にあたる漆間時国は、対立関係にあった明石定明の夜襲を受けて深傷を負った。時国は我が子に、定明を敵として追うことを厳に戒めたのち、息を引き取った。
その後、15歳になった法然は、比叡山へ登るため、母である秦氏君に別れを告げた。その年の秋、母は若くして世を去った。父の遺言と母との永遠の別れが、万民救済を唱える法然上人の礎となった。

(現地の説明看板を筆者文責にて要約)

人気のない廟で少し物想いに耽りたいところでしたが、薮っぽい渓流が傍にあり、蚊がものすごい。たちまち足首を数カ所やられました。

御朱印を頂き、まだ時間はあるので、この上の「北庄の棚田」を目指します。
最初1kmほどは3〜4%の緩い登り。これは楽勝、と思いきや、その先の分岐点からグッと勾配が上がりました。
10%を優に超すレベル。普段なら、一番軽いギヤでゆっくり踏めば、小径車でも登れんことはないのですが、この酷暑に加えて昨晩の寝不足が響いています。ひと踏みするのがとにかくつらい。
恥も外聞もなく、といっても誰かに見られてるわけじゃないのですが、降りて曳いて歩きます。傾斜が8%程度まで緩やかになったところから再スタート。やがて次の激坂区間。ここは何とか踏み切りました。
もう9月中旬なのに、真夏のような陽光が照り付け、蝉の鳴き声が喧しい。
周囲の森から発せられる水蒸気故か、全身から滝のような汗が滴り落ちています。サイクルキャップの隙間からもサングラスの中へ汗が糸を引き、気持ち悪いこと。
次の激坂区間ではまた途中でギブアップ。

再び、夢に出てきた彼女が「これって、もう、ほとんど、苦行の世界」などと息を切らしながら、鮮やかなフレイムラッカーの車体を並べて走っているような気がしました。わたしもしんどくて「もう、曳いて登るべ」と…そして、汗で肌に張り付いたジャージをパタパタ扇ぎながら、ボトルの底に残った水を分け合って飲み干すと、谷底からの微かな涼風が彼女の髪を微かになびかせて、白いうなじがのぞき…
全く、いつまでこんな淡いみずいろの妄想を抱いてるんでしょうね。

そんなことを繰り返しながら、蝉の大合唱に包まれて上るうち、左手の谷底に、神之淵池が姿を現しました。
この辺がビューポイントかな、というところで停止。

▲北庄の棚田と神之淵池

黄金色の穂を垂れた稲に棚田が埋め尽くされている様を想像していましたが、下段の方はすでに収穫が終わっており、その上の方は耕作が放棄されてしまったのか、雑草が生い茂っていました。各地に残された棚田の美観に、わたしたちは無邪気に感動していますが、考えてみれば、機械を入れるのが容易ではない傾斜地での稲作は、少子高齢化社会では決して持続可能とはいえないでしょう。美観としての棚田を将来に残すためには、近年叫ばれている関係人口の増加などにより、定住者に限定せず地域の担い手を増やすことが不可欠ではないでしょうか。

熱風を全身に受けながら坂道を下り、誕生寺の山門を通過したその先にある「時切稲荷神社」へ立ち寄りました。先ほど、誕生寺の社務所に、ここの紹介が掲示されており、ちょっと興味を惹かれたのです。斜面に赤い鳥居がずらりと並び「ミニ伏見稲荷」と称されているそう。また、期限を区切って失せ物が見つかるよう願い事をすると、不思議なことにその日までに見つかる「なくし物の神様」として地元で親しまれてきたとのこと。
久米南町のホームページには、こんなことも書かれています。

この「とっきりさま」にお祈りしても、自分で決めた日までに失くした恋が戻らなかったら…。
その日があなたの再スタートの日。
忘れられない恋を抱えて時間が止まったまま、立ち直るきっかけを見つけられないときは、この「とっきりさま」を訪れてみては。

久米南町ホームページより

なくした恋、ですか…

駐車場から細い踏み跡を辿って、ミニ伏見稲荷とは少し大袈裟な気がする石段を登って、無人の社へ。

▲時切稲荷神社


厚かましくも、学生時代のバイト仲間との再会を祈願。絵馬に願いを書いて残してこようかとも思ったが、それはさすがに恥ずかしく、心のうちで念じるだけにしておきました。

駅へ戻ると、小柄な年配の女性が、駅舎を掃除していました。目が合って「こんにちは」「お疲れ様です」と自然に挨拶を交わし、出発までの短時間、この地域のことを伺いました。先ほど誕生寺で見た銀杏の老木は、黄葉の時期には必ずローカル番組に取り上げられるほど有名だそう。この地域は平地がないので、自転車通学していた高校時代は、いつも帰り道が大変だった、とも話されていました。
明日は津山から鳥取を目指すつもり、というと、津山から県境まで何十キロずっと上りですよ、何十キロだろう、と女性は言います。ループ橋などがあるのに興味を惹かれていたのですが、どこを走ってどの区間は鉄道にするか、津山あたりで情報を仕入れてからにする方がいいかもよ、とのこと。
わたしも、まともな下調べを全くしていないのです。今夜のゲストハウスか、或いは酒場で、情報を集めてみようと思います。

まもなく、2両編成の気動車が姿を現しました。女性にいとまを告げて、いざ津山へ。

◾️ ◾️ ◾️

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。次は津山を巡りますが、思いもよらぬアクシデントが…よろしければ続きもご笑覧ください。

わたしは、2020年に32年勤めた会社を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。そしてこのたび京都から、今度は本物の(?)地方移住をいたします。
noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。



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