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#33 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/中国山地の美都と灼熱の砂丘へ②

2024年9月中旬、まだまだ猛暑が続く中国山地を旅した記録です。早朝に京都を出、岡山から津山線に乗り、途中、法然上人ゆかりの誕生寺と山中の棚田へのポタリングで汗だくになって、津山へと向かいます。このところ頭にこびりついて離れない、学生時代のバイト仲間の面影と共に…

▼ここまでの記録はこちらです。この記事は、note公式マガジン「#旅のフォトアルバム 記事まとめ」にピックアップして頂きました。ありがとうございます。


◆ ホルモンうどんを求めて

誕生寺駅を11時41分に発車した津山行きは2両編成。夏草に埋もれた山あいを走っていきます。
10分ほど走って着いた亀甲駅は、美咲町の中心部。美咲町といえば、去年の6月に旧片上鉄道の廃線跡を辿って訪問した旧棚原鉱山もまた、町域に含まれます。ホームの観光案内板には、三休公園、棚田などと並び、棚原も紹介されていました。廃坑の町の卵かけご飯と、親切な店主のおばちゃんのことが思い出されます。
やがて、カーディーラーや物流倉庫が現れ始め、小さな待合室があるだけの無人駅、津山口に停車。次が終着の津山です。

列車は広い構内へゆっくりと進入していきます。左手には転車台を囲むように建てられた煉瓦造の円形車庫。ここへは後ほど来てみるつもりです。
津山駅は、姫新線、津山線、因美線が合流する中国山地の一大ターミナル。蒸気機関車や客車列車が似合いそう。

ちょうどお昼時。棚田への登りでお腹も適度に空きました。
昼ごはんは、津山のB級グルメである「ホルモンうどん」を食べようと思います。

何故、津山でホルモンが名物かというと、

歴史を紐解けば705年、津山で牛馬の市が開かれたとの記録が残っており、津山地域は古くから牛馬の流通拠点であった。また肉食が禁止されていた明治以前でも、津山は滋賀県彦根市と並んで、全国でもまれな「養生喰い」の本場であったようである。「養生喰い」とは、字の如く「健康の為に食べる」、「薬として食べる」という意味で…

津山ホルモンうどん研究会HPより

さらに、津山には先進的な設備の食肉加工場があり、鮮度の良いホルモンが入手しやすい環境にあるのだそう。

駅周辺にもホルモンうどんを食べられる店はいくつかあるようですが、せっかくブロンプトンを連れて来ているのだから、郊外の人気店へ足を運ぶことにしました。Beelineでルートを設定しスタート。

駅と市街地の間に、吉井川という川が流れています。Beelineが選択したのは、川の南岸にある小高い丘を越えるコース。大した上り坂ではないものの、たちまち汗まみれになります。
丘の上から束の間の爽快なダウンヒル。その勢いで川を渡った先は、津山市街の東端を南北に伸びる生活幹線。まもなく田畑や混交林が丘陵地帯に広がる中の緩い登りになりました。堆肥の匂いが漂います。ここにも溜池が作られていました。
太陽が照り付け、蝉の鳴き声が喧しい。

市街地北郊のバイパスにぶつかり、ロードサイド店舗が軒を連ねる道をしばらく走り、 Beelineのナビゲーションに従って脇道へ。その先はひとしきり上り坂。勾配はさほどではないものの、日陰のない炎天下。ふたたび滝のような汗をかきました。
見上げる坂の上には真夏のような青空と入道雲。

▲ 坂の上の夏空

帰路にここをダウンヒルするのは気持ちいいだろうな、と先に待つご褒美を楽しみに、アスファルトに汗を滴らせながら上ります。津山駅で麦茶を補充したボトルは、たちまち空になりました。

津山駅から約7.5キロ、30分弱で、目指す「ドライブインたかくら」に到着。町外れのロードサイドにぽつりと建つ店ですが、ひっきりなしにクルマが出入りしています。
ラジカセが昭和歌謡を奏でるタイムスリップしたような店内は、現場作業員、家族連れ、ライダーなどで大賑わい。フロア担当は女性一人きりで、注文と配膳と片付けを捌ききれず、パニックを起こしかかっています。オーダーを取り忘れて客を待たせたり、違うものを運んでいったり…
「いいよいいよ、気にしないで」
それにクレームをつけたり、あからさまに不機嫌な態度を見せる客は一人もおらず、みんなそのように声をかけます。気の良い人が多い風土なのだな。
ホルモンうどん850円也。味が濃く、ビールが飲みたくなります。

ついつい、面影の彼女に語りかけています。
「あ〜、うまい。ビールがほしい」
「いいわよ、飲んでも。但しブロンプトンは町まで引いて帰ってね」
…すみません、誰か、この妄想を止めて下さい。
隣席の現場作業員風の二人連れは、ごはん大盛りを追加注文していました.

▲ ホルモンうどん

腹もくちて、さて、市内へ戻り城下町津山の風情を楽しもうか…というところで、過去に経験のないアクシデントが発生しました。

◆ アクシデント発生

勘定を終えて店を出、自転車のワイヤー錠を外そうとすると、どうしたことか、開きません。
何度ダイヤルを回してみてもダメ。
もしかしたらわたしが番号をど忘れして、間違った番号を合わせているのか、なんてことも考えて、思いつく他の番号をいくつか試してみるも、当然の如くびくともせず。
これはもう、ワイヤー錠が壊れた、という以外に考えられません。
自転車歴ン十年で初めての経験に、今出て来たお店のホール係の女性並のパニックに陥りました。

努めて冷静に考えます。
このワイヤを切断するにはボルトクリッパーが必要。交番などに備え付けられているそうですが、貸して下さい、などと訪ねていっても、盗難ではないかと疑われかねません。自分の所有物であることを証明しようにも、このバイクは海外駐在時に購入したため、実は防犯登録をしていないのです。自転車屋などでも同じことでしょうし、第一、ここまでの道すがら、そのような店は見かけませんでした。
そうすると、ボルトクリッパーを購入できるホームセンターまで、なんとか辿り着くほかありません。

ただ、不幸中の幸いが2つ。
一つは、いわゆる「地球ロック」をしていなかったこと。ワイヤーを括り付けるのに適当な電柱や柵がなかったのです。不用意なことではありますが、人目の多い場所なので、まあ、車輪だけ留めておくべ、とブロンプトンを畳んだ状態でホイールとフレームを巻くようにロックしていました。
もう一つは、ロードバイクじゃなくブロンプトンだったこと。12キロの車体を担いで歩かなくても、畳んでハンドルを立て、キャリアに付いているコロで転がしていくことができます。
もっとも、帰り道は田園の中を爽快なダウンヒル、と期待していただけに、灼熱の7キロの道をブロンプトンを曳いて戻ることを思うと、うんざりします。

いつまでも変な妄想に浸ってるんじゃない、と見えざる力に頭をぶん殴られたような気分で、腹を括って歩き出しました。
※ タクシーを呼んでブロンプトンと一緒に近くのホームセンターまで乗って行けばいいじゃん、などと言ってはいけません💦

歩きながらスマホでホームセンターを検索します。来る途中にロードサイド店舗が集積した一角があったので、その辺りでボルトクリッパーを入手したいところ。
ところが、ホームセンターはこの一角にはなく、町を挟んで反対側まで行かねばならぬ模様。そこまでは津山駅から一駅乗って津山口駅まで戻り、さらに1.3キロほど歩くことになるようです。たかが一駅とはいえそこはローカル線、今から津山駅まで歩いたあとに乗れる列車は、16時34分発までありません。今はまだ13時半。
都合よく路線バスでもあれば良いのですが、近年では地方の路線バスは、人手不足や経営難により鉄道以上に運行本数を減らしており、全くあてになりません。

先ほど汗みどろになって登ってきた坂を、再び汗みどろで下っていきます。下から電動アシスト自転車で登ってきた若い女性が、不思議そうにわたしを見て「こんにちは」と挨拶して通り過ぎていきました。

昼下がりの強烈な陽射しの中で熱中症にだけはならぬよう、自販機を見つけるごとに水分補給しながら、中国縦貫自動車道から津山城下にかけてのロードサイドビジネス地帯まで戻ってきました。後になって思えば、この辺りの100均でニッパーを調達し、時間はかかるものの少しづつワイヤーを切断する手があったのですが、この時はボルトクリッパー、ボルトクリッパー、とそればかりが脳裏を渦巻いていたのです。
白バイとすれ違い、悪いことをしているわけじゃないのに、あらぬ疑いをかけられないかとどきりとします。でも向こうは全く気にしていない様子。考えてみれば、自転車泥棒が白昼堂々と、こんなメインストリートを歩いているわけはありません。

一時間半にわたる灼熱の行軍の末、何はともあれ市街地まで戻ってきました。
旧出雲往還と表示されている、暖簾をさげた飲食店が多い静かな通りを歩いて行くと、立派なアーケード街が姿を現しました。地方都市の商店街の御多分に洩れず多くの店がシャッターを下ろしていますが、その中に昭和の時代から営まれている店と新たに誕生した業態とが共存して、生まれ変わろうとしている萌芽を、このアーケード街にはどこかしら感じます。

突き当たりは天満屋のGMS。今どき、地方都市の中心市街地に、このような商業施設が残されている街は多くありません。1階の食品売り場以外は閑散としていましたが、それでも市街地にこのような核になる施設があることは何がしかの街の魅力を担保するものだと思います。わたしが中〜高校生の頃に暮らした信州の街では、2つのGMSが相次いで撤退したことにより、中心市街地の地盤沈下が一気に進みました。

▲ 天満屋の一階ロビーのからくり時計

その天満屋の駐輪場に、予備のチェーンロックでブロンプトンをつなぎ、津山口方面への列車にはまだかなり時間があるので、駅の南西にある「津山まなびの鉄道館」へ足を運びました。

空は黒雲に覆われ、四方の山から雷鳴が響いてきました。
京都の梅小路機関区などと比べると規模は小さいものの、創建当時からの煉瓦造りの機関庫と転車台が保存され、様々なディーゼル車両のほか、C11も保存されています。実際に車両に乗ることができたら面白いのですが、ここでは外から眺めるのみ。
空は一段と暗くなり、いつ降り出してもおかしくありません。鉄道館では時間を潰そうにも居場所が限られていますので、取り急ぎ、雨宿りできる場所を求めて駅へ向かいます。
駅前ロータリーの手前で大粒の雨が降り始め、待合室に駆け込むなり本降りになりました。

津山口方面への列車には、まだ時間があります。同じく雨を避けて駆け込んできた高校生たちでいっぱいの待合室で時間を潰します。
そのうち、存外早く雨足が弱まってきました。時刻はまだ16時前。
これだったら、歩いて行く方が早いかも。
Googleマップで検索したところ、目指すコメリパワー津山店までは4キロ弱。早足で歩けば、予定していた列車が津山口へ着く頃に、店に到着できます。

ということで、ゴアテックスのブレーカーを着込み、サイクルキャップを目深に被り、ターポリンのフロントバッグを襷掛けにして、雨の中を歩き始めました。

その先の顛末を詳述しても読者の皆さんには退屈なだけでしょうから、簡単に経過だけ記します。雨のなか4キロ弱の道を歩いてコメリパワーへ着き、目的のボルトクリッパーを調達し、またこの道を歩いて帰るのは勘弁して欲しかったので津山口駅を17時過ぎに出る列車を捕まえるべく、バッグを小脇に抱えて1キロ強を走り、息を切らして津山口駅のホームに立つと、ちょうど17時04分発の津山行きがカーブを回って姿を現しました。

◆津山の夕べ

こんなことで半日が潰れてしまいましたが、なんとか明日からも旅を続けられることになり、ホッとした気分で改めて津山駅前に立ち、吉井川にかかる橋を渡って歩を進めます。

▲ 吉井川

津山は、市街地の中央に、旧津山城の豪壮な石垣が残り、復元された備中櫓が町を見下ろしています。
地方都市の御多分に洩れず、津山市も人口減少が止まらず、2024年9月時点で9万5千人、2015年から約9千人も減っています。しかしそれでもなお、この町には風格が感じられます。駅前に川があるのも良い。
ようやくワイヤー錠の枷から解き放たれたブロンプトンのペダルをゆっくり回して、街を一巡りしました。
町のへそにあたる交差点。美作の都と呼ぶにふさわしい品格があります。

今宵の宿は、市街地にあるゲストハウス。チェックインは無人とのことで、事前に送られてきたメールに従い入館します。元々は事務所ビルだったのかな、という作り。
夕暮れのドミトリーに人影はありません。
まずはシャワーを浴びて着替えます。汗を吸った靴下からむせ返るような悪臭が漂い、これが自分の匂いかと思うと、自分の存在が世界にとって迷惑でしかないような嫌悪感に囚われました。

さて、このゲストハウスは無人化されており、おすすめの店を教えてもらおうにも、聞く相手がいません。
先ほど市内を一回りした折に目星をつけておいた店へ行ってみます。
ひとり旅では、カウンターで店の大将や隣り合わせた人たちと話しながら呑むのが楽しみなのですが、カウンターは予約で満席。二人がけのテーブル席へ通されました。
月半ばの水曜日などという中途半端な日に、これほど予約が入っている店ですから、選択は間違っていなかったのでしょうし、実際、料理はどれも美味しかった。ただ、なんとなく所在なげに杯を重ねました。

酔い覚ましに、音楽を聴きながら夜の街を散歩。
人気は少ないものの、興味を惹かれる看板や路地裏もありましたが、何せ今日は炎天下や夕立の中を十数キロ歩いたので、そのうち酒気帯び散歩もしんどくなってきました。もう一軒、とも思ってましたが、明日の鳥取にとっておきましょう。

▲ 津山の夜

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。続いて、翌日の津山探訪と因美線の旅、さらに鳥取砂丘へのライドなど綴っていきたく思います。よろしければ続きもお読み頂ければ幸いです。

▼これまでのローカル線とブロンプトンの旅は、こちらのマガジンにまとめております。

わたしは、2020年に32年勤めた会社を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。そしてこのたび京都から、今度は本物の(?)地方移住をいたします。
noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

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