北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【38】13日目 初田牛〜厚岸③ 2016年5月5日
風速10メートルを優に超える烈風と、嫌がらせのような頚椎ヘルニアの痛みと格闘しながら、霧多布湿原を走る「週末北海道一周」13日目。
◆ 琵琶瀬展望台と火散布沼
海岸台地を一段上がり、琵琶瀬展望台に到着。
ここは、霧多布湿原の南端にあたり、海と琵琶瀬湿原の間の尾根上の場所。
素晴らしい眺望が広がりました。
が、言うまでもなく吹き曝しであり、フェンスの風上に自転車を立てかけないと飛ばされてしまうほど。
ともあれ、湿原を幾筋かの蛇行する川が流れ、弓状の弧を描く砂浜の向こうには、先ほど後にしてきた霧多布岬が臨まれました。森と草原に縁取られた地平が広がっています。この風景はアジア離れしている…
https://hokkaido-travel.com/flowerviewing/ho0301/
幸いなことに、琵琶瀬展望台を発って間もなく道は森の中に入り、風は木々に遮られ、幾分弱まりました。
大きなカーブを描いて台地から駆け下ると、火散布沼に到着。ひさんぷ、と読むのだとばかり思い込んでいましたが「ヒチリップ」だそう。大きいを意味する「ヒ」と、アサリを意味する「チュルプ」が語源で、「アサリの大沼」といった意味らしいが、色々異説もあるようです。霧多布湿原同様に、約6000年前の海水亢進により形成された海跡沼で、牡蠣などの養殖が行われているとのこと。
▼火散布の由来は、こちらを参考にさせて頂きました。
http://www.bojan.net/2012/11/24.html
海と繋がった火散布沼は、想像していたような、湿地帯にある寂寞たる沼ではなく、木々に覆われた丘陵に抱かれていました。海につながる水路や沼の西岸には、合わせて100戸前後はありそうな集落が形成され、埠頭も整備されています。
西岸の集落に入り込んで、行き止まりまで走ってみました。これまで走ってきた地域と同様に、住宅は比較的新しく生活感もあるのに、通りには人影が全くありません。もっともこの強風、さらにちょうど昼食の頃合でもあります。
集落を抜けたところで道は途切れました。開発されているのは沼口付近だけで、奥の方は道路も整備されていないようです。
◆ 帰ってきて良かった
相変わらずの強風と、アップダウンの連続です。
しかし、森の中を走る区間が増えたため、吹き曝しの海岸を走った霧多布の前後よりは、遥かに楽になりました。
風はまだ冷たくとも、木々の新芽は今にも開こうとしています。
路傍には、枯れ草の中に、フキ、タンポポが春の足音を告げています。
来て良かった、と思います。
安くない交通費と宿泊費を費やし、休みをやり繰りして、関東から北海道までやって来て、つぎはぎで一周し、後に何が残るというのか。
単なる自己満足に過ぎない行為。いやそれ以前に、虚無感が先に立つのではないか。
そのように迷ったりもしていました。
しかし、来て良かった。いや、帰ってきて良かった。
北海道は第二の故郷。帰りたくなったら、いつでも戻って来れば良い。
ヘルニアは相変わらずしんどいが、最高の気分だ。
岩の形が人の横顔に似ている、というのですが、見れば見るほど人よりもオランウータンに見える涙岬に立ち寄り、海岸台地上の開けた草原と森の境目を駆けてゆきました。
▼ 涙岬 … ヒグマに注意が必要だそうです
https://hokkaido-travel.com/spot/visiting/ho0300/
6月になると紫の花で埋め尽くされるというアヤメが原の入口を過ぎ、厚岸市街まではもう10km足らず。時刻はまだ午後2時前なので、寄り道して、海岸線を辿る旧道を走っていくことにします。
「末広」という道標に従い左折。海岸まで約1kmの気持ち良いダウンヒルがあり、下り切ると砂浜で、浜沿いに番屋が並んでいました。
海を見下ろす斜面に看板が立っています。1850年、この沖合でオーストラリアの捕鯨船が難破。地元民の救出活動によって、32名が救助され、その縁によって厚岸町とオーストラリアのクラレンスは姉妹都市となった、ということが記されています。昨年映画化された、トルコのエルトゥールル号の物語にも似た史実です。
▼ 厚岸とクラレンスの姉妹都市提携
ここから、幅員の狭い荒れた上り坂がひとしきり続き、続いてダート、改良された区間、と、曲がりくねった起伏のある道が続き、岬の鼻のような高台に出ました。
沖合に大小2つの島が浮かんでいます。小さい方のその名も小島は、高台に鳥居が立ち、低地にはトタン屋根の建物が身を寄せ合っているのが見えます。後ほど聞いた話では、これらの建物は番屋で、人が住むのは夏の間だけだそう。その先の大黒島は、霧多布沖の嶮暮帰島や、根室半島沖のユルリ島・モユルリ島のように、周囲を断崖に囲まれた無人島で、人を拒絶するような雰囲気があります。
厚岸の街は半島の向こうに隠れてまだ見えないが、人里に近づいた気配が濃厚になってきました。
そして、この先は追い風です。
◆ 厚岸
厚岸は、17世紀には松前藩の交易所が開かれ、道東の中では古くから倭人の足跡が記された土地。断崖が続く釧路~根室間の海岸線の中で、アイカップ岬と尻羽岬によって外海から守られた、数少ない良港です。蝦夷三官寺の一つとして1805年に開かれた国泰寺もあります。
そして言うまでもなく、牡蠣の名産地として知られています。寒冷地なので、通年牡蠣を味わえるという、牡蠣好きの私には堪らない土地。
最後の5キロほどを追い風を受けて快走し、国泰寺にお参りして、さっそく高台にある道の駅「コンキリエ」を目指しました。
人跡稀なエリアをずっと走ってきたこともあるでしょうが、厚岸の町がまるで大都会のように目に映ります。イオンもあれば、ロードサイド型の大型ドラッグストアも、家電量販店もあります。
厚岸に来るのは10年ぶり。前回は、確か10月終わりの霧雨の日で、灰色に沈みきった人影の少ない、最果ての町といったイメージだけが残っていました。
今日、こうして早春の青空の下再訪すると、ここは実に風光明媚、1960年代には人口2万人近くを数えた町らしい市街地の広がりがありました。もっとも道内各地の人口減少の例に漏れず、現在の人口は1万人を割り込んでいます。
▼ 道の駅 厚岸グルメパーク コンキリエ
町外れの今宵の宿へ向かい、荷物を置かせてもらいます。「風、大変だったでしょう」とおかみさんに言われました。今日はどこへ行っても、強風が時候の挨拶代わりになっています。
▼ 民宿あっけし
◆ 別寒牛辺湿原の夕暮れ
今日はこんな強風の中とはいえ、90Km程しか走っていないので、町の北東にある別寒牛辺湿原へ、もうひと走りに行くことに。
▼ 別寒牛辺湿原
その日の早朝も、根室本線のディーゼル車で、ここを通りました。湿原の中の盛り土と、所々に架けられたごく短い鉄橋で、その時走った線路を確認できます。
その時は運良く、線路側に一羽の丹頂鶴がおり、事故防止のためか乗客へのサービスか、運転士が徐行してくれたため、十数秒間ではあるがその姿をはっきり確認することができました。
風は正午前後よりはだいぶ弱まりましたが、まだ風力4位の領域でしょうか。その風は、往路は背中を押してくれ、全く疲れを感じないまま快調に走り、復路は調子に乗りすぎたかと後悔しながらまた向かい風と格闘しました。しかし西に傾いた夕日を浴びる湿原は実に美しかった。
自転車を停めてその景色に見入っていると、湿原帯の中にただ一筋敷かれたレールの上を、ディーゼル単行根室行きが、軽やかな走行音と共に駆けて来ました。浜中出身のモンキー・パンチ氏に因んだ、ルパン三世の特別塗装車です。北海道では、その年の3月に開業した北海道新幹線が専らの話題になっていましたが、叢の中、一筋の軌条を進んで行くローカル鉄道の方が絵になるし、乗っても楽しいものだと思います。
さて、今夜は、牡蠣を肴に「北の勝」で一献、と思い楽しみにしていました。
ところが帰り掛けに町中を周回してみたところ、三連休最終日故か、殆どの呑み屋は暖簾を下げており、パッと入れそうな店がありません。
宿には併設の居酒屋があるのですが、今日は休業日。
おかみさんに聞いてみるが、どうやらまた道の駅「コンキリエ」まで行くしかなさそうです。
「コンキリエ」までは3Km近くあるので、徒歩ではしんどい。行くなら自転車。
ということは、アルコールは諦めるしかありません。
「コンキリエ」の中には、日中に入ったレストラン以外に、炭火焼の店がありました。好きな食材を購入し、自分で焼いて食べるスタイル。ノンアルコールビール片手に、長細いテーブルの片隅で一人BBQというのはどうも気分が盛り上がらないが、まあ仕方ありません。
ともかくも、牡蠣を4つとサンマ、時不知の切身などを平らげ、夜道を帰り、宿に備え付けの洗濯機で2日分の洗濯をし、部屋に飾り付けて、風呂に入って温まりました。
今日は始発列車に乗るため4時半起きだったもので、部屋に戻って横になるなり、失神するように眠りに落ちました。
〈本日の走行記録〉 ※厚岸~別寒牛辺湿原往復(約30キロ)は除く
◆走行距離 90.5km
◆走行時間 4時間37分
◆平均時速 19.6km/h 最大速度 54.2Km/h
◆獲得標高 1001m
◆消費カロリー 1867kCal
※ 第13日目は以上です。最後までお読み頂き、ありがとうございました。「週末北海道一周」14日目は、秘境・尻羽岬、難読地名ロードなどを巡って走ります。よろしければまたご笑覧下さい。