北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【17】6日目 遠軽〜中湧別〜佐呂間① 2015年8月15日
盛夏の宗谷を駆け、脱水でやばいことになりかけたライドから2週間。北海道の短い夏は終わりを告げようとしていました。
今回は、サロマ湖や能取湖をのんびり巡るべく、8月15日(土)、午前10時55分に、私は遠軽駅に降り立ちました。
寄り道を旨にのんびりと。
2週間前の大雨による路盤流出のあと、お盆の多客期を前に、JR北海道は急ピッチで石北本線の復旧工事を進めてくれ、一週間後には運行再開。故に私も今回は、4時間半にわたる窮屈なバス旅ではなく、勇躍、特急「オホーツク」でやって来られたわけです。
それにしても、「オホーツク」の車両は結構草臥れていて、毎日、片道5時間半もの距離を往復させられているのが気の毒になりました。
遠軽駅の降車客は驚くほど多く、出迎えの人で改札口も大賑わい。まもなく札幌行き特急も出る時間帯なので、待合室にもキャリーバッグを携えた人が多数。地方都市で、これほど賑やかな駅を見るのはいつ以来でしょう。遠軽駅自体も昔懐かしい佇まいを残す駅舎で、立ち食いそばが健在です。
もっとも、出迎えの車は瞬く間に散っていき、駅前広場は一気に静かになりました。
サロマ湖畔の富武士という、小さな漁港がある集落が、今日の宿泊予定地です。グーグルマップで検索してみると、まっすぐ走れば僅か26キロ程度。これでは面白くないので、寄り道をしながら走る予定。
と言いますか、今回は長距離を走破することよりも、寄り道しながらのんびりと、敢えて遠くへ走ることを目的としない日程を組んできました。
枝幸から遠軽まで走った前回のライド2日目は、時間に追われ、取り敢えずルートをつなぐために走ったような1日になってしまいました。充実感や達成感よりも、疲労感と虚しさばかりが残ります。
いい歳をして、このような青臭いことに時間とお金を使って何が残るのだろうかとか、もっと札幌に腰を据えて人脈形成に勤しんだほうが、週末の過ごし方としては有益じゃないかとか、色々と考え込んでしまいました。
まあ、その方が50歳のオヤジとしては正常な判断なのかも知れませんが、ともかくも、北海道一周ぐるっと駆け抜けるだけでは、通過する土地にあまりに失礼であり、そこに暮らす人々や旅する人々、美味しい食べ物やお酒、美しい風景、それに温泉など、様々なその土地の恵みに触れていきたいと思ったのです。
前回、暑さで消耗した反省を踏まえ、deuterのシールド付きバックパックを購入。背中に触れる部分に弓状の空間ができるので、体温の放出が妨げられません。ショルダーベルトもメッシュ状。容量が限られるので、秋冬に嵩張る衣類を背負って走るには物足りないが、そういう時期になれば暑さ対策は多少犠牲にできるから、昔から使っているLarsのバックパックでもあまり支障はないでしょう。
遠軽〜湧別/かつての中湧別駅は…
遠軽の街を軽くポタリングして、遠軽のシンボルである瞰望岩に登ってみようかとも考えていましたが、あいにくの曇り空。天気予報によると雨の心配はないようですが、苦労して岩に登っても眺望は期待できない様子。
さっさと先へ進むことにしました。
二週間前に走った、長閑な田園地帯の一直線の道を、中湧別へ向かいます。海からやや強めの向かい風が吹き付けてくるが、程よくペースが上がりました。内陸部の遠軽から海岸部の湧別までは、意識していても判らぬほどですが、高低差70メートルほどの下り坂です。
遠軽や中湧別のあたりは、これまで走ってきた地域に比べて、開拓時代を偲ばせる古い建物が多く残されているように感じます。かつては農業倉庫に使われていたのか、立派な石造の建物が、さりげなく路傍に建ち、印刷会社の事務所に使われていたりします。
中湧別の街に入ると、昔の駅前商店街らしき雰囲気の残る通りがあり、その先にはかつての中湧別駅のホームと跨線橋が残され、傍らには黒塗りの除雪車と車掌車が保存されていました。
35年前の初めての北海道旅行の時、この駅で、湧網線から名寄本線に乗り換えたのだが、全く記憶にありません。慌ただしく入場券を買ったくらいで、通り過ぎてしまったのでしょうか。
かつてはどの国鉄の駅でも見られた、名所案内の看板も残されています。五鹿山(桜の名所) 東へ2.5KM、竜宮台(青少年キャンプ場) 東へ17.7KMなどと記されています。何体というのか判らないが、丸っこく細長いゴシック体のような字体に、時代の変遷を感じます。
その脇に、温泉施設を兼ねた道の駅が建てられていました。傍らには農産物直売所があって、地元の主婦たちが店頭に立っています。
「トウキビがキツネに引かれて、なかなかいいのがないのよ。キツネたち、粒の詰まったのを選んで持ってくから」なんていう声が聞こえて来ました。
道の駅のレストランでジンギスカン定食を食べ、先へ進みます。
中湧別〜湧別
前回のライドを中断したホクレンショップのある交差点を過ぎ、海岸へ向かって走ります。
通りは静かになり、古びた商店や、店じまいして久しく見える美容室やらが、そっと佇んでいます。
多くの漁船が静かに船体を休める漁港のあたりを走ってみましたが、磯の香りよりも、肥料工場からでしょうか、鼻の奥に残るような酸っぱい臭いが立ち込め、あまり快適ではありません。
サロマ湖畔へ向かう道へ出ようと、少し内陸の方へ戻って来ると、かつての湧別駅がこの辺りだったかと思われる交差点に出ました。一日に2往復しか列車の来ない終着駅として、鉄道ファンには知られていた駅です。周囲は再開発されて、鉄道の遺構は何もないのですが、道端に看板が立っています。湧別線の廃線跡は「オホーツク・リラ街道」なる名称で整備され、2002年には「全国花のまちづくりコンクール」で農林水産大臣賞を獲得した、とあります。ライラックも桜も季節外れなのは少々残念。
サロマ湖第一湖口へ
西へ方向を転じ、とうきび畑の中、サロマ湖畔へ向かって走ります。曇り空に斜め前からの風。あまり快適な走りではありません。冬は北からの暴風雪が強いのでしょう、道路際には防雪柵が設置されています。
湖岸の道路に突き当たり、まずは、サロマ湖と海を分ける砂州を走って第一湖口を目指そうと、左に道を取りました。ロードバイクが一台止まっていて、レーサージャージ姿の青年が、どちらへ進もうかと迷っている様子。
湖水が見えました。徐々に青空も広がってはきたものの、からりと陽が差す夏模様ではありません。むしろ、雲の多い空を映す湖水は陰気な佇まいです。
やがてパーキングがあったので立ち止まりました。茫洋とした風景が広がるが、このパーキングはゴミだらけで、長居したいところではありませんでした。
どうもパッとしない日であります。
海側は防風林。湖水側は結構家屋か多くみられます。この砂州は、砂丘と潅木ばかりの殺風景な景色を予想していたので、これだけの集落があるとは意外。
「レイクパレス」という宿泊施設を通り過ぎました。日帰り入浴などもできるようですが、まだ日も高く、駐車場はがらんとしていました。
その先が登栄床漁港。意外と規模が大きく、設備も整っているので驚かされます。ここは、地元の漁業中心に利用される第1種漁港としては、全国最大なのだといいます。ただし、土曜の昼下がり故、人影は全く見当たりません。専ら週末のライドなので、漁港らしい活気にはなかなか出会えないものです。
集落を抜けると、殺風景な砂地、右手に湖水、左にオホーツク海という、当初想像していたような砂州の景色が広がりました。そこはキャンプ場になっていて、道内、内地問わず多様なナンバーの車が停められています。こういう砂州の先端に立地するキャンプ場というのも、ありそうで意外とないものと思いますが、あまりに焦点が定まらぬ風景が広がり、しかも緑が乏しいので、埃っぽく殺風景に見えました。
さらに先の方へ、荒れた舗装路が続いています。家族連れなどが散策する姿が見られます。
そのまま走っていくと、やがて道はダートになり、第一湖口に到着しました。潮が引くタイミングなのか、湖から海へと 激しい流れが見られます。
小学校か中学校だったか忘れたが、この湖口が掘削された経緯が国語の教科書に出ていました。元は湖の東端に流出口があったが、頻繁に土砂で塞がれ、地元民はその除去に苦労を強いられていた、そこで現在の第一湖口を掘削するプロジェクトが進められた、という内容だったと記憶しています。
現在では、ここからもう少し東寄りに、第2湖口も設けられています。
第一湖口には、灯台があるばかりでした。ただこの灯台の基部は、砂地に原生花が咲き乱れ、天然のイングリッシュガーデンのような趣きがありました。
帰路は追い風になりました。国道238号線へと砂州を引き返します。
※ 引き続き、寄り道を楽しみながら佐呂間へ。サロマ湖は夕陽も有名です。