北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【33】12日目 根室〜初田牛〜厚床②2015年10月17日
「北海道一周」2015年の最終日は、とんでもない烈風と黒雲の下、冬の気配が忍び寄る根室半島を走っています。体力が尽きるのが先か、心が折れるのが先か。
◆ 落石岬へ
昆布盛から再び道道に戻り、強風に抗って進んでいくと、道路沿いに大量の倒木が見かけられるようになりました。
この旅の10日ほど前、超大型の台風23号が北海道を襲いました(正確には、温帯低気圧に変化した後に北海道へ襲来)。札幌はさほどの被害も受けずに済みましたが、根室では最大瞬間風速38メートルという暴風が吹き荒れ、低地は高潮の被害も受けたといいます。
トドマツかと思われますが、海岸沿いの木々が、根こそぎ持ち上げられて倒されています。なんとも痛々しい。
さて、パッとしない一日ではありますが、落石が近づいてきました。
JR落石駅に寄って時刻表を確認した後、内陸へと方向を転じる道道から逸れて、港の方へ向かいます。落石は一見して陸繋島とわかる地形。漁港は砂州の部分にあり、集落が形成されています。
その風景を見下ろす、馬の背のような見晴らしの良い道を走り、一直線に漁港へ下りました。漁港周辺に地場の海産物を食べさせてくれる店などないかな、と期待していましたが、日曜日の漁港には全く人気がありません。
砂州の反対側は、ダート混じりの登り。
登り切ると、農地と荒地が混ざった平坦な台地上には、小さな平屋建ての家屋が疎らに立っていました。
やがて車止めに行き当たりました。
ここからは徒歩で落石岬を目指すことになります。サイクルシューズを携帯用のランニングシューズに穿き替えます。
すぐ、灰色の廃墟のような建物がありました。興味を引かれつつ、帰り道にゆっくり見ようと、横目で通り過ぎます。
赤エゾマツの森の中に入った途端、ぴたりと風が止みました。
森が風を防ぐ力はすごいものだと、実感させられます。
この辺りは湿地帯のようで、地面は厚い苔に覆われています。ほどなく、開けた湿原に出ました。「サカイツツジ自生地」と看板と説明書きが出ています。
再び赤エゾマツの森に入り、ついに森が途切れると、一面に笹の原が広がり、その向こうに靄に煙る海がありました。赤と白の灯台がポツリと立っています。
人影は全くありません。
森を出るなり、再び烈風が襲い掛かってきました。
灯台の下まで行くと、その下は一気に海に落ち込んでいました。岩礁に波が渦巻いています。
仮に、昨日のような麗らかな秋晴れのもと、ここに立ったとしたら、どこまでも続く豪快な断崖に感嘆し、台地に腰を下ろし、潮風と風に揺れる笹の音を愉しみ、遊歩道を散策し、いつまでも立ち去り難い気持ちになったかもしれません。
だが、早くも冬の足音を感じさせるような烈風と、ほんの一瞬だけ陽光を煌めかせては隠してしまう黒雲の下で感じられるのは、北国の自然本来の、冷酷なまでの寂寞感でした。
この先の道程の事もあり、早々に踵を返すと、森の中から初老の男性が一人、姿を現しました。見るからに自然の中を歩くことに慣れ親しんだ風の体裁です。
こんにちは。あの自転車の人?と声を掛けられました。その飄々とした風情は、なんだか自然科学系の研究者的な雰囲気があります。
今日は浜中まで走るつもりだったんですけど、この風なのでねえ…といった会話を交わし、一旦別れました。
どうにも煩わしい、ランニングシューズの剥がれかけの靴底を、思い切って完全に剥がしてしまい、足袋で歩いているかのような違和感を覚えながら、木道を歩いて戻ります。
先ほどのコンクリートの廃墟の写真を撮っていると、先生風おじさんが戻ってきて「これは、昔の長波通信所」と教えてくれました。
「何でこんなところに建てたかわかる?」と訊かれます。こういうところも、いかにも先生風。
「今では長波なんて死語かもしれないけどね」と先生が笑いながら教えてくれた理由は、落石岬が、日本の本土の中では北米大陸に最も近い地点であるからだそう。明治34年に開局され、日本ー北米間の通信、太平洋を航行する船舶との通信などで重要な役割を果たしました。昭和6年には、リンドバーグもこの通信局の誘導によって太平洋横断を成功させています。
▼ 旧落石無線電信局
▼ 今では、このような最新鋭の通信施設も設けられているそうです。
で、先生の専門は植物。落石岬周辺に咲く花々を定点観測しているのだそう。
「夏だと、全部記録して歩くのに何時間もかかるんだけどねえ、」
この時期じゃ西洋タンポポくらいしか咲いてないから、今日はあっという間だった、と笑います。
再びロードバイクに跨り、人気のない漁港を抜け、馬の背への坂を登って道道へ戻りました。ここから道は内陸に入っていきます。
◆ 森の中を初田牛へ
緩やかな丘陵は森に囲まれ、木々が風を遮ってくれます。
やっと多少は快適に走れるようになりました。
日が差してさえいれば、さぞ美しいと思われる紅葉の森の中、登り基調の道が続きます。
それにしても、腹が減ってきました。
ここまで、食事する場所も、補給ポイントとなるコンビニなども見つけられないまま、ずっと走ってきたのです。
そしてこの先も、そんなものに縁のない原野の道が続きそう。
深山の雰囲気のある丘陵越えを終え、別当賀に到着。数軒の農家と無人駅、そして牧歌的な風景に似つかわしくない電波塔が二基建っています。
視界が開けました。緩やかに波打つ丘陵に、牧草地と防風林が広がり、未舗装の農道が伸びています。その彼方に、靄に煙る水平線が見えました。
別当賀を起点に、海岸の牧草地を歩くフットパスも整備が進んでいるようです。フットパスはイギリスが発祥で、風景や歴史を味わいながら歩くこと自体を楽しむための道とのこと。中標津周辺に広がる「北根室ランチウェイ」というロングトレイルが有名だが、このエリアでも整備が進められているようです。ただし、今日はトレッカーらしき人影はありません。
※ 北根室ランチウェイは、コロナ禍で惜しまれながら閉鎖されました。個人的にもクラウドファンディングを通じ微力ながら支援していたので、残念です。
晴天のもとで拝んだならば、さぞや感動するであろう風景でした。返す返すも、この荒れ模様の天候が恨めしい。
別当賀から西へ伸びる道もまた、晴天のもとで走ったならば、思い出に残るセクションになったことは間違いないでしょう。
紅葉の森の中、道路だけが一直線に伸びていきます。地形は適度な起伏があり、飽きることがありません。
ちょうど、前日に風蓮湖北岸で走ったような、まさに錦秋を感じさせる道。
しかし、この灰色の雲の下では、木の葉の色は重く沈み、冬が間近に迫っていることを感じさせられるのみ。
春になったら、別当賀から、或いは落石から、新緑のこの道を走り直してみようかな、とも思います。
◆ 2015年のライド終了…
13時15分、初田牛駅に到着。周囲には人家が見当たらない、森の中の無人駅です。
※初田牛駅は、現在では廃止されています。
「週末北海道一周」初年度は、ここで中断。何とも中途半端な場所ですが、この陰鬱な空の下で行程を消化してしまうのは、何とも勿体ない。
来年、ここから再び走り始められるのは5月になるでしょうか。落石岬の先生の話では、海岸沿いの道は断崖が続き、風光明媚ながら起伏が激しいそう。春から夏にかけては霧の多いエリアでもあり、体調も天候も見極めて戻ってきたいものです。
霧多布への道に背を向けて、内陸へ向け丘陵地を走り出しました。
起伏と横風に加え、腹が減って力が出ません。
ただ、ようやく雲が切れて、少し陽光が差してきました。
8キロほど走って厚床に到着。かつては根室本線と標津線の分岐駅だった所なので、大衆食堂くらいはあるかと期待していましたが、コンビニ2軒と小さなカフェがあるばかりの静かな集落でした。取るものもとりあえず、コンビニで肉まんと温かい飲み物を買って、軽く腹を満たしました。
集落内を軽くポタリングしていると、フットパスの表示を見かけました。厚床駅を起点に、内陸側の伊藤牧場などをめぐるルートが整備されているようです。
その伊藤牧場にあるレストランが、情報誌に紹介されていたのが記憶に残っていました。
駅前でバスの時刻表を見ると、中標津空港行きは、伊藤牧場の前にも停車する模様。発車時刻まではまだ2時間もあります。
風は収まり、青空ものぞいています。
伊藤牧場まではせいぜい3キロ半程度なので、行ってみることにしました。
別海に向かう国道沿いの伊藤牧場では、おとなしそうな白い犬と山羊たちに迎えられました。
午後の日が差し込む暖かなレストランで、新作メニューというシシリアンライスを頂き、ようやく満ち足りた気分になって、バスの時間までのんびりとコーヒーを飲んで過ごしました。
▼ 伊藤牧場
牧場の奥さんに話しかけられて談笑しながら輪行準備を終えるとほぼ同時に、根室交通の3列シートの豪華なバスがやってきて、今年の「週末北海道一周ライド」は幕引きとなりました。
【走行記録】
走行距離 64.3Km(根室~厚床間、以下同)
走行時間 3時間24分
平均速度 18.9Km/H Max. 48.3Km/h
消費カロリー 1279Kcal
※ 第12日目、そして2015年編は以上です。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
再び走り始めるのを楽しみに北海道の長い冬を送りますが、根釧原野へ戻ってくる日までに、全く想定外の出来事が待ち構えていました…