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つらい時でも他人に優しくできる人がいるのはなぜ?

昔から疑問に思っていたことがあります。

パニック映画などで大勢の人々が危険にさらされたとき、自分だけが助かろうと利己的な行動に走る人と、周りを助けようと奔走する人がいますよね?(主人公はたいてい後者です💦)

自分の身が危うくなって、つい本能的に自分の身を守ってしまうのは納得できます。けれども、なぜピンチの瞬間にも相手を思いやれる人がいるのでしょうか。これは、映画やドラマに限った話ではありません。

例えば、ボストンマラソンの爆弾テロや9.11、日本で頻発する豪雨災害などでも、自分のことは脇において、他の人を助けに行ける人がいました。なぜこんなことができるのでしょうか。ピンチの時に優しくなれる人は、ふつうの人よりも器の大きい人なのでしょうか。

今回は、ストレスを負ってもなお、優しくなれる人の謎について考えてみました。

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ストレスを受けたときに人とつながりたくなる本能

人間は、ストレスを受けたときに周りの人との絆を深めたくなる本能を持っています。

「スタンフォードのストレスを力に変える教科書(ケリー・マクゴニガル著 2015年)」によると、人間は強いストレスを感じたとき、時と場合に応じて4つの反応をするのだそう。

①闘争・逃走反応 → 差し迫った危機があったときに、自分の身を守るために脳や身体を活性化させる。思いもよらない力が出せる一方で、攻撃的で利己的な行動をとってしまうことも。
②チャレンジ反応 → ①に近いが、それほど恐怖は感じていない時。力が湧いてプレッシャーがある状況でも力を発揮できる。最高のパフォーマンスが出せる状態。
③敗北反応 → やる気を失い、無力感・絶望感を感じている状態。うつ状態。
④思いやり・絆反応 → 子孫や大切なものを守るための反応。相手を信頼し、絆を強めたくなる。脳の恐怖中枢の働きをおさえるので、勇気がわき思い切った行動がとれるようになる。直感力もUPする。

そう、つまり人にはストレスを感じたときこそ周囲に優しくできる、という本能があるんです!この「思いやり・絆反応」があるおかげで、親が危険をかえりみず子供を守る、といった行動もとれるわけですね。

またストレスを「思いやり・絆反応」に変えることによって、自分の中の不安や恐怖を消し、③の敗北反応を避ける効果もあるそうです。ほかの人を助けるための行動が、結果的に自分の心も救っているなんて、驚きですね。

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あのアウシュビッツ強制収容所でも思いやり・絆反応が見られた

第二次世界大戦中多くのユダヤ人を虐殺した、アウシュビッツ強制収容所でも、多くの「思いやり・絆反応」がみられたことが分かっています。

収容所の生存者であるユダヤ人精神科医・心理学者フランクリン氏は、著書「夜と霧」の中で、次のように書き記しました。

周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はポツポツと見受けられた。一見どうにもならない極限状態でも、やはりそういったことはあったのだ。強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。

つらい経験をした人ほど、他の人への思いやりの気持ちを強く持ち、他者のために行動できるようになります。

そして本書によると、感受性の強い人びとこそ困難な状況にも意味を見出しやすく、精神的なダメージを受けにくかったのだとか。

ストレスを受けても冷静でいられるのは、器の大きいタフな人というイメージがあります。けれども、自分の内面をじっくり見つめる感受性の強い人こそ、ストレスを他者への思いやりに変換できる人なのです。

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自分がどう運命に向き合うかは自分で決められる

今、コロナという新しい脅威が世界中をおおっていますが、大きなストレスを受けたとき①~④のどの反応を示すかは、自分で決められます。

「夜と霧」の中の一節です。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

これから何が起こるのか、どうすればいいのか。誰も正解を持っておらず、自分で判断して生きなければならない時が来ています。コロナに対する脅威のとらえ方も人それぞれで、ロールモデルのない時代。けれども、できることなら優しい心を持って生き続けたいと思います。

苦しい時に他者を蹴落とす自分ではなく、誰かの手を握れる自分に。どんな状況が待っていたとしても、どういう態度で生きるかは自分で決められるのですから。


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