【読書】『十字軍物語 第四巻』【現実主義者が誤りを犯すのは?】
第四巻を、まとめると、
第六次十字軍(1228~1229)
神聖ローマ皇帝フリードリッヒが率い、一戦も交えずして、イェルサレム奪還。
第七次十字軍(1248~1254)
フランス王ルイ九世が率い、王から兵卒まで捕らえられる、完全敗北。
第八次十字軍(1270)
フランス王ルイ九世が率い、チュニジアに上陸。たった二ヶ月で撤退。
アッコン陥落(1291)
スルタン・カリルが率い、中近東からキリスト教側の勢力を完全に駆逐。以降、十字軍再開されず。
フリードリッヒがうまいことやってくれたのに、ルイは何してくれたのか?
―――――というような、簡単な話でもないのです。
フリードリッヒと第六次十字軍
フリードリッヒは、三歳で父を亡くし、四歳で母を亡くした、のにもかかわらず、たくましく成長する。
独学で、アラビア語、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語を理解したというのだから、相当たくましく成長したのである。
そして、時代は中世。神聖ローマ皇帝の子どもであり、南イタリアとシチリア島を領有するシチリア王の相続人だ、と主張してみたところで、力、つまり武力をもって主張しなければ、相続することはできない。それでも、奪い返したのだから、たくましすぎる成長をしたのである。
そんなフリードリッヒが率いた十字軍は、戦わずしてのイェルサレム奪還。
これは、塩野さんの想像だが、
イェルサレムがイスラムの支配下にある限り、ヨーロッパのキリスト教徒の頭はカッカとしづつけ、十字軍を組織しては侵攻してくるのはやめない、と。
フリードリッヒからの提言であり、スルタン・アル・カミールも、それを承認したのではないか?
十字軍の「目的」が「聖地奪還」であるなら、戦おうが戦うまいが、奪還したのだから、文句言われる筋合いはない。
聖地巡礼したいキリスト教徒は喜ぶ。東地中海を足場とする交易商人も平和に喜ぶ。イスラム勢の攻撃に耐えていた中近東の十字軍国家も一安心。一戦もしなかったとはいえ、遠征なのだから死傷者がゼロということはないだろうが、戦うことに比べたら軽微な損害しか出なかったであろう兵士も喜ぶ。
ここまで書くと「いいことづくめ」のように見えるが、この結果には、イスラム教側からもキリスト教側からも、非難轟々である。
イスラム側が「屈辱」と書くのは、せめて一戦して敗れてからにしてくれよとか、フリードリッヒの軍事力に怯えるんじゃないとか、考えたとしたら、仕方のないことかもしれない。
しかし、キリスト教側は
「異教徒イスラム教徒と講和を結ぶとは何事ぞ!」
「聖地は、キリスト教徒の血を流して奪還しなければならない」
イエルサレム奪還したんだから、そんなものはどうでもいいじゃないか。
考えてみれば、十字軍は、地に堕ちたローマ法王の権威を回復するために、提唱されたもの。
聖地奪還しても、ローマ法王の意に添わなければ認めない。
―――――もうちょっと現実的なメリットを考えてくれよ。
ルイと第七次、第八次十字軍
祖父フィリップ二世が「汚い」手段でフランス王直轄領を拡大してくれたおかげで、穏健な善政を行えたのは、ルイ九世のラッキーなところ―――――フリードリッヒとは大違いである。
こちらも対照的なのだが、子をなしただけで13人の女性がいたフリードリッヒに対し、ルイは愛人の影もなく、愛する奥さま、王妃マルグリットのみ。
そんな、模範的なキリスト教徒ルイが率いた十字軍の結果は?
第七次十字軍は、王から兵卒に至るまで捕虜となる「完全敗北」。
第八次十字軍は、チュニジアに上陸したものの、疫病にかかり、たった二ヶ月で撤退。
この結果、
・ヨーロッパの強国フランス王が完敗したのだから、もう二度と十字軍は率いてこない、と思わせてしまったこと
・第七時で、宗教騎士団の戦力を弱体化させてしまったこと
・中近東の封建諸侯の力も弱体化させてしまったこと
この結果、中近東のキリスト教側はガッカリし、イスラム教側は喜んだことでしょう。
それなのに、ルイは「聖人」に列せられる。
キリスト教側に何もメリットがなく、イスラム側にしかメリットがなかったのに、ルイが聖人?
―――――現実的なメリットを、何も考えなくていいのか?
アッコン陥落
サラディンから始まるアイユーブ朝が滅亡し、奴隷兵士出身のマムルーク朝に変わる。
そして、「モンゴルショック」で1258年にバグダット陥落、アッバース朝滅亡。
この結果、バグダットのカリフが聖職者を引き連れてカイロに来る。
キリスト教の法王が現実的に考えてくれず、よって、フリードリッヒの十字軍が評価されず、ルイの十字軍を評価したように、イスラムのカリフや聖職者も現実的に考えてくれるわけではない。
マキアヴェッリはその著作の中で、法王庁などはスイスにでも行ってもらいたいと書き、グイッチャルディーニも、死ぬ前に見たいこと三つの中に、政治に口を出す法王と聖職者の徹底した排除、と書いたくらいである。
と、マキアヴェッリもグイッチャルディーニも嘆いているが、イスラム教側も嘆いたのではないだろうか?
いずれにせよ、カイロのスルタンも、
「キリスト教徒の最後の一人まで、地中海に突き落としてやる」
ということで、中近東の十字軍勢力を駆逐。そして、1291年アッコン陥落により、十字軍時代は終了しました。
イェルサレムがイスラム教側にある限り、キリスト教側は十字軍を組織しては攻めてくる、のであれば、中近東に十字軍国家があるからキリスト教側は十字軍を組織して攻めてくる。
だったら、中近東の十字軍国家を壊滅させてしまいましょう―――――
―――――と考えたのだとしたら、極端な政策がうまくいったともいえる。この後、十字軍は起きていないのだから。
しかし、困ったことになったのは、イスラム教側も同様である。
まず、東地中海交易。オリエントの物産を買い取ってくれる、ヨーロッパのマーケットがなくなってしまったので困ったことに。
結局、マムルーク朝のスルタンも交易を認めることに。
そして、聖地巡礼―――――旅行者はカネを落としてくれるのである。
この間旅行した、沼津も「ラブライブの聖地」としてアピールしていたので、「聖地巡礼」はいつの時代もカネになる。
参照:【旅行】沼津というより沼津港【漁港・富士山・びゅうお】
(ちなみに、ラブライブには全く興味がなかったので、その関係の写真はありません。)
と考えたら、極端な政策は「困ったことになる」のです。
現実主義者が誤りを犯すのは?
「現実主義者が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように現実的に考えて愚かな行動には出ないだろう、と思いこんだときである」
この言葉は、塩野さんが好んでよく使う言葉である。
そもそも十字軍が提唱されたのは、「カノッサの屈辱」の恨みを晴らすために、皇帝ハインリッヒが法王の権威を地に落としたことが発端。
「聖地奪還」のスローガンのもとに起こされた十字軍は、法王の権威を高らしめることに大いに貢献し、ハインリッヒは寂しい晩年を送ることになる。
(参照:【読書】『十字軍物語 第一巻』)
しかし、この結果、皇帝の力は弱まったかもしれないが、相対的にフランス王の力が高まってしまい、「アヴィニョン捕囚」につながり、法王の力が弱まってしまうことに。
そう考えると、十字軍運動もほどほどのところで妥協して・・・・・と現実的な戦略を考えてくれればいいものを。
「八つ当たり」というか「とばっちり」というかの十字軍だが、「東地中海交易」と「聖地巡礼の旅行者が落とすカネ」という経済的なメリットがあったことも事実。
イスラム教側も、「キリスト教徒の最後の一人まで、地中海に突き落としてやる」必要があったのだろうか?
ある一面だけを見て、メリットがあったとしても、トータルで考えるとデメリットになる、ということがある。
「現実的に考える」とは、さまざまな角度から見て検討する、ということだと思うが、「現実主義者」はできる限り利害得失を考えて、ある程度のところでと考えるから、愚かな行動はとらないし、相手もとらないと考えてしまう。
一方、熱狂的が行き過ぎて、狂信的にまでなってしまうと、一面だけ見て、その他のデメリットは考えない。だから、何をしでかすか分からない。
できる限り多方向から視点を変えて考える、というのは、「教養」というか「バランス感覚」というか、せめて「学習」してほしい。
「十字軍そもそも論」は考えものなのは事実である。
しかし、十字軍が東西文化交流の一助となり、それが地中海交易と聖地巡礼という観光ビジネスを生んだ、という一面がある。
それを「現実的に」考えてくれたら、もうちょっと平和的な結果になったのではないだろうか。