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【読書】『人口減少社会の未来学』その3【ムダな仕事を排除せよ】

生産量 = 生産性 × 労働投入量
「機械投入量(IT、AIを含む)は?」
という疑問はあるでしょうが、今回は機械を「生産性」の方に含めて議論を進めていきます。

かつての企業戦士なら「24時間働けますか」をモットーに、サービス残業、休日出勤で、生産量を上げていたのかもしれません。
→ まっぴらごめんです
 サービス残業なんかしたくないし、残業代もらえるといっても、早く帰りたいし。休みはちゃんと休みたいし。
 ということで、労働投入量を削減しようとしたら、生産性を高めるしかないのです。
 そして、生産性を高めるための、文明の利器は数多くあるのだから、有効活用すればいい。
 それが、日本だけ失敗しているようなのです。

生産性が低いことの方が問題


 『データで読み解く「生涯独身」社会』では、1960年には3400万人以上いた農業人口が、2010年には260万人へと8%に減少したことが書かれています。
「そんなに減ったのか!」
という驚きがありますがですが、
「そんなに人で減らして、仕事が回るのか?」
という疑問がわきます。
 この疑問、実際にコメの収穫を見て納得しました。
 コンバインのスピードが速いのです。
 どことは言いませんが、5人で収穫をしていて、それで作業が回っているのです。

*イメージ

文明の利器は、人間を重労働から解放してくれます。
 それが「機械が雇用を奪う」という見方もありますが、「重労働から解放される」と考えて、ありがたく有効活用して、生産性を高めたいものです。

 経済が成熟するにしたがって成長率が低下することは、理論的にも実証的にも確認できるが、成長率がゼロになることは一般にはあり得ない。多くの先進国が2%程の成長率を保っている。アメリカがその典型であり、この20年間の平均成長率は約2%である。

 人々が工夫や発明・発見を続ける限り、技術進歩もそれによる経済成長も止まることがない。したがって、2%の率の成長は自然なことなのだが、日本経済は不自然なことに、失われた 20年の期間には0・9%の成長率しか得られなかった。

 洗濯機がなかったら、いまだに手洗いを続けていなければなりません。洗濯から解放された時間で、他の家事をこなす、本を読む、寝る、等々、別のことに時間を使えます。
 パソコンの登場で、電卓たたきまくる作業、大量の伝票を処理する作業(3000枚ぐらいあって、気が狂った)から解放されました。
 いまさら、洗濯機が大量に売れると思えないのと同様、パソコンも大量には売れません。もう出回ってしまっているのだから、買い替え需要しかありません。
 なので「爆発的な成長」はありえないと思います。しかし、まだまだ解放されたい重労働はあります。そのため、文明の利器は出現を続けるでしょう。
 そして、それを生産していけば、成長は保てるはず。
 そう考えると「2%」程度の成長は、感覚的にあり得ます。
 しかし、現実に、日本は失敗しています。

企業や大学、行政機構、あらゆる組織で非効率が蔓延しており、生産性が低迷している。2016年の日本の1時間当たり生産性は、OECD35か国中20位である(日本生産性本部「労働生産性の国際比較」)。
 労働生産性は当てにならない指標だと指摘されることが多いが、2016年の日本の一人当たり購買力平価GDP(物価を考慮したGDPに関する指標)は、全ての国々の中で30位である(IMF "World Economic Outlook Databases")。

 これからそのような生産性の低迷は一層深刻になっていくだろう。未来において、一国のGDPを決定づけるのは、労働人口や労働時間よりも、科学技術力を初めとする人々の知力となるからであり、日本の知力が今まさに危ぶまれているからである。

 個人でできる生産性を高める方法は、いくつかありますが、時間の使い方でも、パソコンの使い方でも、本屋さんに行けば売っています。勉強しましょう。
 時間の使い方に関しては、『マニャーナの法則』がオススメです。
それが、国家規模や企業規模になれば、テクノロジーです。それが危ぶまれていてるのは問題です。

 しかしこれから世界経済は、労働者の頭数ではなく、人々の頭脳レベルが一国のGDPや企業の収益を決定づける「頭脳資本主義」に転換していく。

 考えてみれば、人口減少社会。それも、世界レベルで見て。
 人口が減っているのだから「労働投入量」も減ります。
 それに、自分が長時間、働きたくないのに、後輩や子どもの世代だって、長時間、働かせたくはありません。
 それを乗り越えるには、「生産性」を上げるしかありません。
 そして、それは「知力」です。「頭脳資本主義」の時代です。

「無価値労働時間」を撲滅せよ


 井上智洋さんは、人々に与えられた一日の時間を、
(1)有価値労働時間
(2)無価値労働時間
(3)余暇時間
に分けて分析しています。(1)と(2)は井上さんの造語である。
 「有価値労働時間」というのは、実際に付加価値を生むような労働に費やしている時間です。

「無価値労働時間」というのはその反対で、付加価値を生まない無駄な労働に費やしている時間である。誰しも、「この会議は無駄に長い」とか「この書類作成は必要ないんじゃないか」と思ったことがあるだろう。そうした労働が無価値労働である。といっても、完全に無価値ということがそれほど多いわけではないので、比較的価値の低い労働ととらえてもらっても構わない。

「暇な社員が余計な仕事を作り出して、忙しい私にもその仕事を押し付けてくる」「何の価値も生まないような後ろ向きの仕事ばかりしている」「要らない仕事を削ったら、社員の8割くらい解雇できる」「コンプライアンス、コンプライアンスってうるさくて、そのためにやたら労力を費やしている。コンプライアンスが日本を滅ぼす」等々。
 日本の多くの労働者が、付加価値を生む仕事に専念できていない様子が窺える。無価値労働時間の割合が高止まりしており、生産性の低迷がもたらされているのではないか。

 ここ最近、他人の愚痴に便乗して自分も愚痴る悪い癖が出てきたので、具体例は出しませんが、同感です。

 日本は無価値労働時間が異常に長くて、有価値労働時間や余暇時間を押しのけているのではないかという仮説を筆者(注:井上さん)は立てている。

 改めて、最初の数式を思い出していただきたいのですが、
生産量 = 生産性 × 労働投入量
 第一次産業革命、第二次、第三次、第四次・・・・・
 機械化、IT化、AI化・・・・・
 いくらイノベーションが出現し、効率化され、「生産性」が上がっても、「労働投入量」が減ってしまっては、「生産量」は上がりません。
 それに、機械もITもAIも、お金がかかりますが、「無価値労働時間」の排除にはお金はかかりません。考え方を変えるだけです。

ムダな仕事を排除せよ

 実を言うと、筆者(注:井上さん)は必ずしも他国と競争して打ち勝つことが重要だと思っているわけではない。人々が幸福に暮らしていけるならばそれで十分である。ところが、日本では無価値労働があまりにも肥大化しているために、仕事での充実感も余暇の楽しみも得られにくくなっている。

 「無価値労働時間」を「余暇時間」に振り向ければ、家族・友人と楽しい時間を過ごせるし、1人でのんびりすることもできます。
 排除した「無価値労働時間」を「有価値労働時間」に振り向ければ、生産量も上がります。
 そのどちらを選ぶかは、個人の自由です。僕も自由に生きていきたい以上、他人に強制するわけにはいきません。
 相手の方が優秀だったとスポーツマンシップのようなことを言ってしまえば、他国との競争に負けるのも、まだ納得できます。納得できないのは、勝ちたいと思ってしまうからで、矛盾した感情は、執念とか希望とかいう言葉を使って、ごまかしておこう。
 たしかに、「幸せに生きられれば充分」です。
 しかし、それが「無価値労働時間」によって奪われているのだとしたら、こんなバカらしい話はありません。
 「無価値労働時間」を排除せよ。

 自然現象によるのなら諦めもつく。しかし、人為的現象の結果なら、人為によって食い止められるべきである。

 「無価値労働時間」をつくりだすのは「人間」である。
 そして、人間が原因だったら、人為によって食い止められます。
 おっしゃる通り、「人災」なら「人為」で食い止められるべきである。


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