「高度経済成長時代」の戦略と、それが終わった後の戦略が、違っていて当然なのである。当たり前のことなんだけど。
人口減少が社会変化の中で必然的に起きる変化なら、
「経済成長しなくてもやっていける戦略」
を考える必要がある。
市場化による社会変化
「女性が子どもを産まなくなっている」はウソである。
結婚すれば子どもを産んでいる。少子化の原因は、日本の場合は、晩婚化であることは多くの識者が指摘している。
これについては、『データで読み解く「生涯独身」社会』がオススメである。
おっしゃるとおりである。
こう書いてしまうと、
「結局、カネか」
と、ドライに思えてしまうが、そうではない。
(注:●●県は伏せました)
これは本書で、平田オリザさんの言われていることだが、男の僕でも断ってしまうそうだ。
「東京でのんびりしてなよ」
と言う。
地縁血縁の「つながり」のブラックな側面である。
こういう地域から「逃げる」という選択肢を与えてくれたのが、市場化の進展で、お金が安全保障であると考えても無理からぬことだ。
付記しておくが、これは「地域」の問題だけではなく、「会社」でも同じである。
「終身雇用」が前提だと、
「はじめて入社した会社がブラック企業だったらどうしよう?」
20前後の若者がそんなことの判断ができるわけがないのだから、運が悪いと、定年までブラック企業に勤めるハメになる。「リストラ」は、ブラック企業から逃げる自由を与えてくれたプラスの側面がある。
資本主義の発展が、「選択の自由」を与えてくれた。これはマイナスではない。
お金で幸せは買えないだろうけれど、不幸から脱出することはできる。
「逃走」というよりも、「選択の結果」だろう。
ブラックな人間関係は忌避される。ホワイトな人間関係を求めているのだ。
当たり前のことだ。
新しい家族の形態
「1999年、どうだったろう?」
と思い出すと、「でき婚」と言われて「順番が逆でしょ」と言われていた時代である。
それがフランスでは20年以上前から変わっていたのである。
子どもの前で、だらしのないことはできない。
以前、友だちの子どもの前で、割り箸のささくれをこすっていたら、しっかり真似されてしまいました。
これは「擦り箸」という立派なマナー違反。悪いオトナでごめんなさい。
悔い改めることになってしまったのでありました。
子どもが、新しい家族の形態をつくり、それが社会の紐帯になる、可能性がある。
「今までこうだったから」が崩れたのなら、「これからこうしよう」を考えればいい。
「子どもは社会が育てる」と考えれば、やはり、悪いマナーを子どもの前でやるわけにはいかない。
人類史的な相互扶助関係の再構築
血縁、地縁というしがらみから自由になることはできた。
問題だったのは、
「次の人間関係をどうやって作るか?」
「新しい社会的紐帯をそうやって作るか?」
を提示できなかったことにある。
ジャレド・ダイアモンドさんの『昨日までの世界』が参考になる。「現代社会」と「伝統的社会」を対比して、様々な考察をしている。
「伝統的社会」では、自分たちで作れるものでも、わざわざ取引して手に入れているのである。
なぜ、わざわざ取引して手に入れるのか?
―――――人間関係を構築するためである。
「現代社会」において、製品や商品の情報を入手するのは、比較的容易である。
しかし、
「あの人は、どういう人なのか?」
という情報を入手するのは、どの時代でも困難である。
「スーパーに行ってサンマを買ってくる」
だけのことかもしれないが、信用できないスーパーに行かない。同様に、信用できない人にも近づきたくはない。
「信用 = カネ」
ではない。
「信用 = ルールを守ることができるか」
なのである。
ブラックな人間関係から逃げ出したとしても、自分がブラックな人間になってしまってはならない。ホワイトな人間になり、ホワイトな人間関係を作ららなければならない。
それが、どういうものかの結論を出せたらかっこいいんだけど。
それを作り上げて次世代に託すことが、現役世代の役割であり、自分自身が幸せに生きる方法でもある。