年間2000㎞走る喫煙ランナーの黙示録 #55 『罰として走らせる』から全てが狂う
『黙示録』とは、
新約聖書の最後の一言を示したもの。
転じて、破滅的な状況や世界の終末などを示したもののこと。
ワタクシの場合、まぁ……
肺なのかなぁ、と。
『罰走』という慣習
以前ワタクシが目にした記事のことです。
とあるプロスポーツのチームが試合に負けました、と。
その不甲斐ない結果に監督は憤慨し、終わった直後に出た出ない関わらずチーム全員に『罰走』を課しましたとさ。
……ってかこれ、
何の意味あるん?
とはいえ、試合に負けた原因が全員のスタミナ不足だったなら意味があるかもしれませんが、そうであったとしても『罰』としてではなく『メニュー』としてやれば良い事じゃないですかね。
まぁ、
ワタクシはプロとして活動しているアスリートの世界を知らないため、あくまで個人的感想として捉えていただけたら幸いですよ。
それをふまえて、
自身がこれを題材としたのは体育会系にある『罰走』という慣習が素人の世界でも『走ることは辛い』というイメージを植え付けていることを問題視しておるわけです。
んで、ここで質問します。
学校行事でのマラソン大会、楽しみでした?
まだありますよ、
体育の授業で行われる1500m走にワクワクしましたか?
あくまでワタクシの狭い世界の話で語らせていただきますが、そのような質問を投げかけて『そりゃモチロン!』と答えた方は
誰一人として居ませんでした。
もしかしたら今後、現れるかもしれませんが、多くの方は走ることに対し『ただただ辛い』という感情を持っているんじゃなかろうかと思います。
走ることは楽しい
そもそもですがワタクシはアスリートではありません。
日々、年間2000㎞を走ることを目標としていますが、あくまで楽むことを優先にしているため、ユルく取り組んだ上で達成出来ることを優先しておりますし、無理な距離は設定しておりません。
なぜなら
誰とも競っていないからですね。
そして、走っている最中に疲れたなと感じた時には公園を見つけてベンチで休みますし、そもそも『今日はめんどいな』と思う日は走りません。
そして、
街中で信号待ちで足踏みをしているランナーが多いですし、見かけることがあるかとは思います。
理由も『ランニング 信号待ち 足踏み』で検索すると色々と出て来ますし、なるほど、と思うところもありますが、ワタクシの経験上、
知ったこっちゃありません。
そもそも気楽に走っているんです、好きにすりゃあいんですよ。
あくまで自分が気持ち良いと思えたら正解なんです。
日々、休まず走る、時間を縮める、そんなもん
どうでも良いことなんです。
そう考えることが出来れば走ることに対しハードルが低くなる気がしませんか?
特殊な道具を揃えたり難解なルールを覚える必要が無いランニングって特別な事情が無い限り気軽に始められる良い運動なんです。
あくまで大切なことはランニングに対し、まずは気楽に取り組み慣れることで
気持ちが良い。
これを感じることが重要なんじゃないかな、そんなことを思ってます。
お客さんと走る
今日はタイミングが合ったためサイクリングが趣味の方と一緒に走ってきました。
当然、ワタクシはランニング、お客さんはサイクリング。
速度に差があるため、遅い方に合わせて貰うことになりましたが、会話をし
ながら7㎞ほど一緒におりました。
いやまぁ、その間
楽しいこと楽しいこと
普段、孤独に走っているため妄想にふけっておりますが、今日は話し相手が居る、それだけで本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
そして別れ際に
『また近いうちにやりたいな!』
なんて嬉しい言葉をいただき、ランニングが趣味で良かったなぁなんて思いましたし、
またやります。
本日(2022/05/01)のランニング
社長のみなさーん! 5月ですよー!
と、そして900㎞達成です。
折り返し地点である1000㎞まで100㎞を切りましたし、いつものペースで行けば今月内に達成できるでしょう。
まぁ、ランニングというのは苦行ではない上に年間で2000㎞走るなんて考え方を変えてやりさえすれば
楽勝。
ってなわけで次回に続きます。