海外生活で鬱になった私が、書くことで救われるかもしれない話
私はいてもいなくてもいい存在なんだ……
フランス語が飛び交うスーパーの真ん中で
突然涙をこぼすアラフォー主婦。
私は完全に自分を見失っていました。
カナダで暮らして10年をゆうに超えました。
他国での留学、就職時期を入れると通算18年になる海外生活。
以前の期間が決まっていた海外暮らしは、多少辛いことがあっても、これも経験だと前向きにとらえられました。
ところが、結婚して家庭を持ち永住することになった途端、今まではとは違う単位での覚悟が必要になりました。
好きで出てきたはずの海外。
しかもご縁があって住むことになったのは自由で自然豊かな憧れのカナダ。
「何を覚悟することがあるのか」
それが、気がついた時には外国のスーパーの真ん中で涙をこぼしていました。
これは、「異国でも日本語で自分を表現しながら私らしく生きていく!」
そう決めた私のお話。
「海外生活はこうあるべきだ」という固定概念に縛られていた自分を解放し、同じように現状に苦しんでいる海外在住者に、あなたはどこにいても日本人として生きていけばいいんだよ、と伝えられればと思って書いた記事です。
◆カナダなのに英語が通じない
あれっ、カナダって英語を話す人の国じゃなかったっけ??
これが最初の壁でした。
そして今でも私に立ちはだかる大きな壁。
私が住んでいるのは、広いカナダの中でも唯一フランス語が公用語のケベック州というところ。
日本に住んでいた頃、あるフランス映画にハマりました。
それがきっかけでフランス語に興味を持った単純な私は、
「英語もブラッシュアップできてフランス語も学べちゃうなんてお得だわ」
と、仕事をスパッと辞めてカナダにやってきました。
運命のいたずらで、なんだかんだと気がついたらカナダで結婚して子どもが生まれていたわけですが。
妊娠した辺りから、
「あれっ、フランス語ができないとここでの生活しんどいんじゃないか?」
と思う場面が多くなりました。
独身時代は自分が心地よいと思う場所を選んで行動できたのが、家族ができたことによって、否応なしに現地社会にどっぷり入っていかなければならなくなったのです。
フランス語圏の中でもカナダ第2の都市モントリオールの中心部にいると実は英語で十分暮らせます。
ところが、一歩郊外に出るとフランス語しか分からない人が途端に増えてきます。
実際、夫の親戚家族は、義両親を含めて英語が得意ではありません。おばあちゃんにいたっては英語ゼロです。
どの国でも下手なりに英語でなんとかやってきたのに、まさかのカナダで英語が通じない!
「じゃあ、フランス語勉強すればいいじゃん」
ごもっともです。
1つ言い訳をすると、フレンチカナダのフランス語はテキスト通りではありません。フランス人でさえ苦戦するという話も。
そんなこんなで、英語もまだ完璧ではないアラサーの私は、癖のあるケベックフレンチをゼロから身につけないといけないという難題を突きつけられました。
フランス語を学びたくてカナダに来たはずなのに、やらざるを得なくなった途端、嫌でたまらなくなったのです。
◆どこに行ってもポツン
ケベック州は英仏完璧なバイリンガル率が驚くほど高いのですが、それは大都会モントリオール周辺に限ったこと。
フレンチカナダの人は、日本人に負けず劣らず英語が話せない劣等感のようなものがあるように思います。
そして、英語系カナダ人に比べてシャイな人が多い(言葉の壁から来るのかもしれませんが……)。
私も人見知りで、フレンチカナダの人もシャイで。
そうするとなかなか距離が縮まりません。
夫がいる時は大体通訳してくれるのでなんとかなります。
ですが、職場とかお母さんたちの集まりとか、自分だけでなんとかしないといけない場面は出てきます。
日常会話くらいなら理解できるレベルにはなったものの、早口の雑談についていける気は一生しない。
ポツン……
雑談の輪に入れずただニコニコしていることが多くなりました。
ひーのがいるから英語で会話しましょう、などと気を回してくれることもありますが、根っからの日本人の私は、今度は逆にすごく申し訳なくなってしまう。
* * *
次男が保育園に入って落ち着いた段階で、学校で資格を取りました。
そうすれば現地社会に溶け込めるかもしれないと期待して。
通った学校ではみんな英語が話せました。
みんなが自分の言ったことを理解してくれ、休み時間には年齢関係なく笑い合い、分からないことがあるとクラスメートと質問し合う。
久々に昔の自分に戻ったようでした。
ところが、インターンとしてまたフランス語社会に戻ると、まるで自分が無能になったなような孤立したような気分になる日が始まりました。
フランス語が流暢じゃないと仲間として認めてもらえない。
クラスメートとはあんなに笑い合えていたのに。
本当はそんなことないのだろうけど、病んでいた私は
「ケベックの人はなんてよそ者に冷たいんだ」
と思うようになっていました。
多分、インターンとして働き始めた頃から私の自尊心は一気に下降していったのだ思います。
◆NOと言えない日本人
インターン時代あまりいい思い出がなかった私ですが、せっかく苦労して資格を取ったのだから就職しなくちゃと思いました。
未経験の職種でしたが、雇ってくれるところが思ったよりもすぐに見つかりました。
後から職場の人がこっそり教えてくれたのですが、完璧ではないにしろ英語が出来たことと、日本人だったことが大きかったようです。
もともと文系の私。
それが、理系用語が飛び交う会社で、しかも母国語ではない英語とフランス語を使って仕事をすることに。
さらには前職が教職だったので、いわゆる企業に勤めるということも初めて。
初めてだらけの中新しいことを覚えるだけで必死の毎日でした。
ところが、まだ働き始めてそんなに経っていない時にボスから呼び出されました。
新たなシステムを導入する予定だ、トロントオフィスとコンタクトを取りながらシステムの使い方を習得して、チームに教える役をやってほしいと。
英語が母国語でもない私が、まだ全く慣れていないタスクを覚えながらそんな仕事できるはずがありません。
それなのに、「NO」と言えない日本人代表の私。
「YES」と言ってしまいました。
同じくらいに入ったカナダ人男性は、エクセルの処理さえ「ノー」とか言っているのに(そして私にまわってくる)、なぜ外国人の私がこんな役割を担わないといけないのか……
なんて会社だ!
冷静になってみると、外国人の新人にも平等にチャンスを与えるなんてさすがカナダ太っ腹だな、と今なら思えます。
* * *
平日の仕事が始まった頃、私は週末にもう1つ日本語を使った仕事をしていました。
お願いされてのことではあったのですが、一応得意分野である仕事を日本語でできるというのはありがたい機会でした。
ですが、平日慣れない職場環境ですり減り、週末は日本人的な気遣いが必要で気が抜けない。そして、仕事の休憩時間や帰宅後に週末の仕事の準備をする日々。
家事も子どものことも完全に夫に任せっきりになりました。
夫も普通に毎日オフィス勤務をしていて、なんなら私なんかより断然責任ある大変な仕事をしている。
それなのに文句ひとつ言わず色々やってくれます。
そんな夫の姿を見ながら私はどんどん後ろめたい気持ちになりました。
さらに追い討ちをかけるように、職場で仲良くしていた同期2人が立て続けに会社を去りました。
気に入らないことがあると、もっといい職場を見つけてさっさと転職してしまうカナダ人。
チームは違ったけれど、悩みがあった時にはランチを食べながら英語で愚痴を言い合える貴重な同期でした。
そんな2人がいなくなってしまい、会社に行くモチベーションが一気に下がりました。
* * *
完全に疲弊していた頃、あのパンデミックが起こりました。
全員自宅待機の期間が続きました。
その間に私の緊張の糸はプツンと切れてしまいます。
自粛期間が終了しオフィスに戻るように言われて出勤しましたが、私はもうがんばれる気がしません。
会社のデスクで作業しながら、「なんでこんな所にいるんだろう」と泣きたくなったり。
さらに、自粛期間中に子どもたちとゆっくり過ごしたことで、もっと家族の時間を大切にしたいと強く思うようにもなりました。
がんばれなくなった私は、平日の仕事と週末の仕事を一気に辞めました。
◆なにもできない母親
仕事を辞めた私は何もすることなく家に引きこもるようなりました。
朝ベッドから起き上がるのもつらい日々がずっと続きました。
夫以外の現地の人と会話するのが嫌。
スーパーにちょっと買い物に行くのでさえなんだか怖い。
手続き関係は全て夫にお願いしないといけない、子どもの学校や習い事関係、プレイデート等の連絡も夫にしてもらわないといけない。
日本に住んでいたら普通にやっていたであろうことが何もできない。
「何もできない母親でごめん」
自分が情けなくなり、子どもたちにも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
* * *
ある日、夫と近所のスーパーに買い物に行きました。
お店の人に聞きたいことがあったので質問したのですが、店員さんは夫の方を向いて説明し始めました。
その場では持ち堪えたものの、店員さんが去った途端涙が溢れてきました。
「そっか、私はいてもいなくても一緒なんだ」
今思うと、あの時の私は完全に鬱だったのだと思います。
◆書くことで救われるかもしれない
パンデミックが治まり、世の中が日常を取り戻し始めた頃、私もゆっくりではありますがまた何かやってみようと思えるようになりました。
家族と過ごしたり、旅行に行ったり、日本人の友達と思う存分日本語で話したり。
そうやっているうちに少しずつ心が回復したように思います。
でも、また外に働きに出る気にはなれませんでした。
とりあえず好きなことをやってみよう。
ずっとさわってなかったピアノを弾いてみたり、ハンドメイドに挑戦してみたり、絵を描いてみたり、パンを焼いてみたり。
その中のひとつとして、ずっとやってみたかった子ども向けの物語を書くということをやってみました。
それを何気なくコンテストに応募したところ、驚くべきことが起こりました。
なんと入賞したのです。
日本で行われる受賞式の案内が届きました。
大賞ではないので、高い航空券代を払ってまで出席するべきかと迷いました。
ですが、家族が「行っておいでよ」と背中を押してくれ、帰国することにしました。
授賞式では、同じような志を持った受賞者の方々と交流し、審査員の方と直接お話をする機会もいただけました。
「ぜひこのまま書き続けてください。」
審査員の方に言っていただいたこの言葉が大きな救いになりました。
そっか、
海外にいるからといって無理に現地の言葉で何かしようとしなくてもいい、私は1番得意な日本語で自分を表現していけばいいんだ!
自分の存在意義が分からなくなっていた私にとって、久々に自分を認めてもらえたように感じた大きな出来事でした。
このまま何もできず年を取っていくのかと怖くなっていた私ですが、やっとまた未来へ目を向け始めました。
* * *
今でも完全に自信を取り戻したわけではありません。
ですが、「書くこと」が自分の救いになるように今は感じ始めています。
最近、自分の未来への投資だと思ってプロのライターさんから「物書き」を学ぶコースに入りました。
書きたいジャンルはみんな違いますが、同じように「書いてみたい」という思いの方達との交流が今は大きな励みになっています。
「書くこと」がセラピーになった私。
私のこの体験が、同じように海外生活でしんどい思いをしている人にとって何かのヒントになればいいなと思います。