気づければ全てやさしさ
noteを始めてすぐに「やさしさ」はあった。フォローする人々をnoteからおすすめされた。沢山の人々を。才能だらけのnoteの先輩方々をおすすめされた。
すごい「やさしさ」だった。やさしさそのものだった。私はやさしさにふれた。そのやさしさを私はどうしたかというと、躊躇なく全力で受け止めた。全てをフォローした。結果1000人以上もフォローしてしまった。
「やさしさ」は時に受け止める側にとって「戸惑い」を生む場合もある。私はやさしさにふれ、受け止め、戸惑ったし、必要のないやさしさだったかもしれないと思ったりもした。全力で受け止めるべきではなかったかもしれないと後悔もした。
でも、確かにそれはnoteの「やさしさ」だった。だから怒りなんて感情は湧いてくるはずもなく、穏やかな戸惑いと共に心地良い疲労感が私を包んだ。やさしさにふれた時は怒りと憎しみから開放される時間。
「やさしさ」はどこにでも転がってたり突然目の前に出てきたりする。恩着せがましかったり、これはやさしさですと名前を書いてあったりする。
私はその「やさしさ」に目をギラつかせて気づきたい。怒りと憎しみから開放される時間をより多く獲得する為に、穏やかな時間を過ごす為に、たまには後悔するかもしれないけれど、怒りや憎しみに支配されている時間よりよっぽどマシだから。
あなたのやさしさに私は私の為に気づきたい。
気づければ全てやさしさ