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保育の持論〜大人の都合を押し付けない〜
お疲れ様です。ポッキーの日ですね。早い。気づけばクリスマスムードに。。。
居は朝8時半から娘のマイナンバーカード作りをするために市役所へ行き、
その後、いつも行かない遠目の支援センターへ行き、
アクティブに動いた月曜日になりました。
さて、子どもの世界だと喧嘩は当たり前。
そこで大人が喧嘩に入り、どっちが良くてどっちが悪いということを
諭して教えるシーンは、保育の現場でもよく見る光景だと思う。
それは、本当は必要なことなのか、という今日の話。
そもそもどっちが正義でどちらが悪かを大人が決めることは、喧嘩の仲裁に必要ではない。
大人の持っている社会のルールは、子どもの出来立てほやほやの社会では通用しない。
叩いてはだめ?叩いた子はだめな子?
ルールというもの自体もわからない。
わからないから手が出たり、口が出たりする。
噛まれたり叩かれたり、そういう経験から加害した子は学ぶこともある。
大人も子どもも保育する中でお互いが尊重しあえる空間作りを保育者は心がけなければならない。
悪だと決めつけられた子は、罪の意識を持ち、保育園へ行く気力がなるかもしれない。
何よりそんな、裁判官のようにいい悪いを決め喧嘩を仲裁する大人の姿を真似してしまうだろう。
私だったら、やってしまった行動はやらないよと伝えた上で、その子の行動の背景を考え、また同じことが起こらないために、困ったら保育者を呼ぶとか、クールダウンできる部屋を用意するとか、方法を模索する。
『大丈夫。私たちはあなたの味方で、保育園はあなたの味方で、安全基地だよ。お友達もあなたと同じで大事にしようね。』
というメッセージをいつもいろんな角度から伝えられるように心がけるだろう。
喧嘩を通して、学びが得られるように私たちは声かけをすれば、
自分の思いと思いやる気持ちを天秤にかけながら行動を調整できるようになっていくだろう。
罪の意識を植え付けるようにしつこく叱る必要はない。
叩いてしまう子を困った子と認識し、毎日叱ってはいないだろうか。
大人側が、昔からある声かけに安易に頼ったり、価値観、ルールに縛られないこと。
子どもの世界に歩み寄るように、見守ったり、思いを言語化する橋渡しをしながら、
より良い子どもファーストの保育環境にしていきたい。
どうか、子どもの遊びの世界が、
大人の価値観やルールで縛られずに、
その子にとって暖かい場所でありますように。
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