【14】ミクロネシアで過ごした2024年、大成長って話
Kaselehlie, 2025年ですね。
明けましておめでとうございます。
皆様、おみくじは引きましたか。
私は残念ながらおみくじ引けないので、
「オンラインおみくじ」たるものにトライ。
願望は「信じて願えば叶う」、いい言葉だ。
さて、今回は2024年について
振り返ったことをシェアしていきます。
25年間、日本で生活していた私にとって
太平洋に浮かぶ小さな小さな島ライフは
それはもう刺激的で奇想天外な日々でした。
話したいことは無限にありますが
自分の成長を感じた3トピック@2024
についてお話ししようと思います。
ミクロネシアで過ごした1年間。
今までの人生にはなかった、
いろーーーーーんな意味で
超成長できた2024年でした。
では、いってみよーう
①英語、「わかる」と「できる」は大違い
一番わかりやすく大きな成長を感じたのは、
やはり言語、「英語」ですね。
私は、JICA協力隊を志す2年前まで
まっっったく英語が話せませんでした。
どれくらい話せなかったかというと、
「アイムファイン、センキュー、エンデュ?」
レベルで、大学で受けたTOEICは300点代。
リスニングテストで流れてくる英語、
1割も理解できてなかったと思います。
こんなものがはてどうやって理解できるん?
と英語ができる人を不思議に思ってました。
でも「協力隊になるぞ」と志したその日。
ここから私の英語没頭☆パラダイスが始まる。
一度「やる」と決めると、時間を忘れて
狂ったようにのめり込む私の能力が大爆発。
高校で使ってた分厚い英語文法書(Forest)を
隅から隅まで余すことなく3周読み倒して
「きほんのき」を頭に叩きこむ。
そしてすぐ、オンライン英会話を開始。
最初は先生が言うことが理解できない、
自分が言いたいこと言えなさすぎて、
はっにゃあ〜ん・・?汗汗て感じでした。
それでも、私なら絶対できると信じて
仕事で忙しくても、旅行に行ったとしても
毎回の予習復習に1時間以上かけながら
必ず毎日30分、英会話をし続けました。
他にも単語勉強、シャドーイングなど
長い時は一日8時間以上勉強。
そんな没頭生活を開始してから4ヶ月後、
TOEIC受けてみたら、790点。
「え、意外といけんじゃん?」
と、ここから更にスイッチが入り、
英語プレゼンや即興スピーチができる状態で
いざ、ミクロネシアに派遣されました。
「私の英語、通用するかな」ドキドキ・・
最初の数ヶ月で感じたこと。
「全っっ然、できん・・!!!」
日常生活でさりげなく使う動詞、
契約関係の話、指示依頼の表現、
職場でのバリバリビジネス英会話、
思ってた以上に「できなかった」
「英語がわかる」と「英語ができる」は
段違いの差であることを痛感した。
私の職場は連邦政府の省ということもあり
他国のゴリゴリネイティブスピーカーたちと
会議やワークショップをやることも多い。
その時なんかは、目の前で繰り広げられる
超高速☆英語キャッチボールをただただ
脳フル回転で処理することに必死すぎて
自分の意見を言う隙なんてない。
日本とは違って、
「意見言わないやつは、いないのと同義」
的な世界なので、何も意見できない自分に
超ひっっさしぶりに
「なっっっっさけねーーーー自分!!!」
と、羞恥心MAXフィーバー状態でした。
日本で普通に生活してたら、
日本語話せて、それなりに仕事をして、
本当の意味で「なんっにもできない」
と感じることって、あまりないと思います。
私は常にポジティブ150%系女子なのですが、
その時はさすがに、結構落ち込みました。
「あ、私って落ち込むんだ」て気づきました。
でも、こんな感情になれるの、貴重すぎんか?
こんなにも何もできない経験って、すごい。
こんだけできないんだから、伸び代すごない?
ならもっと勉強ガチるしかなくない?うぉうお
と、更にやる気が爆上がりし、
今までの英語学習法を総アップデートして
「現場で使える英語」に無双集中しました。
寝てる時間以外、とにかく、ずっと英語。
暇さえあればChat GPTくんと英会話。
ベストフレンド2024は、彼ですね。
まあそんな努力を1年続けた結果、
(もちろんまだまだですが)
今はかなり、成長したと感じます。
相手に自分の意見をハッキリ伝えたり、
相手の言いたいことを先読みして反応したり、
会議のファシリとして場をうまくまとめたり、
明らかに「できる」ようになったと感じます。
何より、英語ができるようになると
旅行先でも無限に友達できるし、
初対面の人とディープな話できるし、
海外コンテンツから情報収集できるし、
いいこと最高なことしかない。
「わかる」と「できる」は大違い。
この経験から学んだことは、
痛みは、私を成長させてくれる。
大感謝。ありがとう。
②度胸、「できない」じゃなくて「やる」
さて、お次は度胸が成長したお話です。
ミクロネシアで生活していると、
想定外のことがもはや日常茶飯事です。
いきなり会議がなくなる/入ること、
明日プレゼンしてと前日に言われること、
狂犬に襲われて傘でバトルすること、
車がレストランに突っ込むこと、
etc…
挙げたらキリがないのですが、、
「日本ではそんなこと起きない」てことが
「ミクロネシアでは当たり前に」起きます。
そのおかげで、
何か想定外が起きようとも大抵のことには
動じない精神を手にいれました。
そして、おかげさまで
度胸もたくさん鍛えていただきました。
9月から12月にかけて、私は
職場のカウンターパート(CP)と
ミクロネシア全4州を飛行機で飛び回り
それぞれの地で活動を実施してきました。
12月、いよいよ最後の州に行くぞ〜!
という出発直前の時に、CPさんから
「私、行けなくなったから」
とメッセージがポンと送られてきました。
流石にこれは想定外。
「え、まじでいうてんの?」
なんといっても私は、
今住んでいるポンペイ州ならまだしも
他の州の土地、文化、言語、人、環境は
なにひとつ知らないただの日本人なのです。
それまでの出張は、もちろんそのCPが
土地の歩き方(それぞれ暗黙の了解がある)、
表敬訪問など全般リードしてくれました。
さすがに私ソロで行くのは危険すぎる。
ということで結局、別の同僚、Lさんが
CPの代わりに同行アサインされました。
ですがLさんは完全別部署の人で、
私のプロジェクトのことも何も知らない、
そもそもLさんと話したことすらそんなない、
つまり、ほぼ90%自分主導で
この出張を完遂させねばならぬという
カオスな状況になったのです。
さすがにソワソワ。でも、
「まーなんとかなるっしょ!」というノリで
10日間のヤップ州出張、ホテルは相部屋、
つまり240時間Lさんとずっしょ状態で
このカオスを突破して参りました。
うひゃーー!?となるシーンもありつつ、
とにかくもう私がやるしかないので
この出張でかなり度胸が鍛えられました。
詳細は↓ラジオで語ったので、ここでは割愛。
この経験から学んだことは、
「できない」のではなく「やる」
「できない」のは事実ではなく、解釈
「できない」のは、できるまでやってないから
ということです。
最初CPからドタキャン連絡きたときは
「いや、さすがにキツい」と思いましたが
「やる」と決めてやったら、できました。
思った以上に、できた。
それは、自分で「やる」と決めて
「できる」まで戦ったから。
想定外は、私を成長させてくれる。
大感謝、ありがとう。
③遊泳、25年間の「できない」を克服
さてお次は、長年の弱みを克服した話。
私は、泳げませんでした。
「あなたの短所はなんですか?」
と聞かれた時、私は即答で
「泳げないことです」と回答してました。
ずっとスポーツをやってきたので
それなりに運動全般できるほうですが、
泳ぎだけは、できなかった。
小学生の時に中耳炎に罹ってから、
水の中に入ると、なんだかいかつい軍隊が
ずんずん行進してきて迫られる幻聴?に襲われて
それがある意味トラウマとして
25年間ずーっと残っていたんですよね。
水の中にいたら何かに襲われて溺れる、的な。
家族と海に行っても、私だけ砂遊び。
学校のプールの授業は、積極的にサボる。
友達とプールに行っても、浅いところだけ。
なのでミクロネシア派遣が決まった時
「めっちゃ海綺麗じゃん!いいなあ〜」
と周りから羨ましがられたものの
「私泳げないから別になあ」と思ってました。
といっても、ミクロネシアは
海系アクティビティ以外ほぼ何もないので、
派遣後すぐに海に遊びに行きました。
ひっさしぶりに海に入ったものの
浮き輪という命の保険がないと怖い。
もしここで沈んだら死ぬ。
という恐怖感はやはり拭えきれず。
派遣当時はこんな状況でしたが、
今のひぐちはというと・・・・
泳げるようになったどころか、
ひとりで素潜りもできるようになり、
ダイビングライセンスも取得して
海底15m以上をスイスイ遊泳するという
「泳げないひぐちはどーこへ行った?」
てくらい苦手を完全克服しました。
なぜ私がカナヅチを克服できたのか。
その方法。
それは、「泳げなきゃ死ぬ」
というギリの環境に自分を投じたことです。
私がミクロで泳ぎを練習した場所は、
海底が見えないほど深く、浮き輪もなく、
足着いて休める場所がない、まさに
「無理にでも泳がなきゃ死ぬ」環境でした。
(今考えたら、よくそこで練習したなと思う笑)
無理にでも泳いで、無理にでも息吸わなきゃ
文字通り終了〜なので、もがきながら
どうやったら浮くの!?足は!?手は!?
と、そりゃあもう必死。
隣に、すごく泳ぎが上手な方がいて、
もう必死に見よう見まねで、何度もトライ。
バシャバシャ動ぐのですぐ疲れるものの、
ここで動きを止めたら私は他界してしまうので
「こんなところでくたばってられぬ!!」
と自分を奮い立たせ30分間もがきまくる。
その練習の後、
私、ふと気付いたんです。
今までずっと感じてた、
「水の中で誰かに迫られる感覚」
「浮き輪がないと不安な感覚」
こういうトラウマ的感覚を、
感じてる暇すらなかったなってことに。
怖いとか、不安とか、緊張とか、
そんなこと考えてる場合じゃなかった。
「浮いて生きることだけに必死」だった。
だから私は、たった30分の練習で
カナヅチを克服して泳げるようになりました。
この経験から学んだことは、
苦手意識、トラウマ的感情、不安を
考える暇なんてない環境に身を投じちゃえば
否が応でも克服せざるを得なくなる。
ということです。
しかも、最短最速で克服できます。
最初から足のつくプールで、浮き輪ありで
練習してたら、いつでも逃げ場があるから
克服までもっと時間かかってたと思う。
なのでもし今、あなたが
何かにすごーーーーく悩んでたりしたら、
そんなことで悩んでられんわってくらい
先の先の先の環境に身を投じてみたら、
案外すぐに解決できるかもしれません。
いい経験ができた、大成長。
ありがたい、大感謝。
④成長、環境を変えるってすごい。
ということで今回は、
自分の成長を感じた3トピック@2024
をお送りしてまいりました。
いやあ、ほんと、成長できたなあ。
この3つのエピソードに共通してることは、
「ミクロネシアに来たから成長できたこと」
という点です。
ミクロネシアに来てなかったら、
・こんなに英語勉強しなかったし、
・こんなに奇想天外なこと起きなかったし、
・無理やり泳ぎ克服なんてしなかった
ここに来るという挑戦、
つまり自分で環境を大きく変えたから、
こうやって色々経験できて、成長して、
今後の人生においても超絶活用できる
大切な学びを得ることができた。
つまり、環境を変えるってすごい。
環境を変えると、成長せざるを得ないし
もっともっと成長したいって思える。
こうやって成長して、学びが深まることが
私は楽しくて楽しくて仕方がない。
経験して成長するたびに、
私の人生の物語にまた1ページ追加されて、
全体を通して読み返してみたら、
どんどんおもろくなっていく感覚。
これが、最高に楽しい。
ということで、私は
2025年も、もっと経験して、成長して
最高におもろい人生の物語を紡いでゆく。
という2025年の抱負をもちまして、
今回はここまで〜。
みなさまにとっての2025も
最高におもろい1年になりますように。
ではまた。