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須田悦弘講演会「作品と技術」で私が考えたこと

造形作家の須田悦弘さんの講演会に出かけました。
木彫によるインスタレーションを30年間発表し続けていらっしゃるとのことです。
主に植物を空間の中に「忍ばせる」という展示。
「水やりをどうしているのか」と聞かれたり、清掃されたりといったハプニングもたまに起こり、それも楽しいとのことでした。

参加者は、鑑賞好きよりも製作者のほうが多く集まっている印象でした。
第1部は過去の作品の紹介、第2部は、須田さんが作品を壇上で作りながら質問を受け付けるというものでしたが、そこでどんどんと出される質問が熱くて深くて細かい。
彫刻刀やその研ぎの話にまで行きつきました。
後で講演会チラシを改めて見ると「作品づくりのヒントが詰まった特別な講演会に参加しませんか。」とあり、ああそうだったのね、となりました。
須田さんの作品を見て、私も作ってみたい、という思いが起こること自体にすごさを感じます。

須田さんが大学の授業で初めて彫られた「するめ」のクオリティが異様に高かったことから、質問のひとつに「須田さんが考える才能とは何か」というものがありました。
須田さんは、技術や空間認知能力のようなものではなく、「好きこそものの上手なれ」を引用して「続けられることが才能ではないか」とおっしゃいました。

振り返って私といえば、長年生きてきて、長期間一つのことに取り組み続けるということができないなとつくづく感じていました。
気持ちの上では「何かを成し遂げたい」「極めつくしてみたい」と思い、またそのような業を成し遂げている人に強いあこがれを感じるのですが、それがどうしてもできず、そのことがふがいないことだと内心で苦しく感じていました。

ところが先日、HSPの一つのHSEというものを知り、特殊だと思っていた私の性格が、ほぼこのHSEという類型通りと感じて、何かこの世の種明かしを見たような気持ちになりました。
ちなみにHSEはHighly Sensitive Extrovertの略であるとのことです。
確かハリー・ポッターも昔唱えていたような。
ハイリーセンシティブエクストロバート!

新規性のあるものを歓迎するが、繊細で疲れやすいので、次々と新しい魅力を求めて花から花へと移り歩くのだそうです。
これを読んだときに、なんだしょうもない奴かオレは、と思いつつ、何かの道で大成しなくてはいけないような無意識の自分像が相対化され、できることとできないことの境界線がみえたことに重荷が取れたような気がしました。

プロフェッショナルを志したいという一時の情熱に浮かされる瞬間は、生まれてこのかた多々ありましたが、そんな道に迷い込むと「続けられない自分に直面する」というストレスに今以上に苦しめられるところでありました。
いや、危ないところだった。
講演会の趣旨とは全く違うところで大きな気づきを得た時間でした。

壇上で朴はさりりと刻まれり ものの上手にならない自分

と思ったのもつかの間、帰りに新規探究の心がわき出でて、うっかりと会場近くの画材屋さんで油絵のキャンパスを買ってしまいました。
やはりどうしようもないですな。

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