何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?③
自分は今現在34歳で、高校1年生の時に地元の福岡県から沖縄へ家出した。
学生生活や”家庭環境”で悩んでいる人に向けて発信しているが、自分の頭の中を整理するために書いている部分が大きい。
沖縄に家出して、高校で留年して不登校になり、引きこもったり、17歳にして精神疾患を患ったりして、ボロボロになっても今こうして文章を打ち込めている。
そんな人間もいるのだと、悩める学生は勇気を持って欲しい。
今日は家(うち)の”家庭環境”について1,000文字ぐらいで打ち込んでいこうと思う。
うちの家系は教師一家だった。
教師の子供は変人が多いと聞くが、まさにその通りだと思う。
家に帰っても教師がいるのだから心が休まる時がない。
親の存在は安心感を与えるものであるが、家(うち)は恐怖心を与えるものだった。
ある日の出来事、自分は5歳ぐらいの時に、兄と一緒に近所の小学校へ行った。
すると、家に帰ったら教師の父親が鬼の剣幕をして激怒していた。
なぜかリビングで正座をさせられ、平手打ちを3発喰らった。
そして、新聞紙を棒状にさせた状態で何度も頭を叩かれた。
どこに行ったのか心配して叩いたのだと言う…。(おかしいよね?)
その時から父親の顔をまともに見れなくなってしまったのだ。(口で言ってもうまく伝わらないから、暴力を振るうのって幼稚じゃない?)
父親から虐待を受けてしまったのだが、父親は虐待をした事実を今現在になっても認めようとはしなかった。
また、自分が10歳くらいの時に、新しいテレビを父親が買ってきてチャンネル設定を父親がやった。
”リモコンでテレビをつけてみなさい”と父親から言われ、リモコンを触るがつかない。
そして、父親は激怒した。
”どこを押したんか!テレビがつかんやないか!!!”と怒り狂って、家族の前で恥ずかしい思いをした。
さらに、風呂に入った後に、父親から”タオルが少しズレている”と注意されたり、”気温が25度を下回ったら、浴室内の2つある窓のうちの1つを開けなさい”などと、神経質な注文をつけてきたりもしていた。
やりたいと一言も言っていないのに厳しい剣道クラブに入れられたりもした。
あげればキリがないので、これくらいにしておこう…。
散々な子ども時代を過ごしたが、両親も子育てについて誰かに教わるものではなかったので、混乱の中にいたのかもしれない。
教師は若い頃から”先生”と周囲から呼ばれて、いつの間にか自分が偉い存在だと錯覚をしてしまうんだと思う。
自分にとっては父親は恐怖の存在であり、決して尊敬できる人物ではなかった。
今考えると、親の教育は”おかしい”と思うが、当時の10歳くらいの自分は他の家庭のことなど知りもしないし、虐待や神経質な注文が普通のことだと思っていた。
”あの人”は親ではなく、子供であり、教師であったんだ。
今現在の34歳の自分にとっては、親の有難味を噛み締めている。
親の教育について、エッセイとして残すか悩んだが、やはり本音を書き残し、なぜ沖縄に家出したのか、その背景は書き残しておくべきだと思った。
生育環境で子供の将来は左右される部分は大きいと思う。
当時の子育てを激しく批判するつもりはない。しかし、教師だからと言って、図に登らずに、家庭内では、親を演じ切るのが真の子育てかもしれない。
子供は親を選べない。
これは宿命だ。
自分が精神疾患を患ったのも、ある意味で宿命だったかもしれない。
34歳でオーバードーズ(薬を大量に飲んで)してドクターヘリが飛び、2日間生死を彷徨った。
あの世から帰ってきた自分のこれからの運命は自分自身で変えることができる。
過去を振り返らずに、プラス思考で行こう!
まだ、自分は34歳。
明るい未来を想像して生きていこう!
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